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物語の物語 終わり方の考察

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 このコラムは、そのときそのときに書いているのですが、なんとあと2回で100回となります。いま気づきました。
「終わりのある始まり」は2回目に書いたコラムですし、
「物語終わる。でも必ず甦る」は、2013年、荒縄工房がはじまって3年目のコラムです。
 最初から「終わり方」を気にするのが、書き手の根性というかいやらしい部分でしょう。私はお笑いが好きなので、「オチ」をとても重視しますが、それは笑いの世界でのこと。私なりの好きな「オチ」は、余韻の残るものが一番です。ブラックなオチでもいいし、意味がよくわからなくてもいい。余韻として「ああ、おもしろかったねえ」「なんだったんだろうね」としばらく浸れるオチが最高に好きです。
 次に好きなのは突っ込める「オチ」。中でも上位は「これがオチかよ!」と突っ込めるタイプ。次は「ダジャレかよ!」。さらに「うまいな」です。
 このように、私にとっての終わり方は、決してうまければいいわけではありません。
 この価値観は自分の書く作品にも反映されているような気がします。
 私のスタンスは「物語は書き続ければ必ずちゃんと終わる」です。著者の意図した終わりではない場合もありますが、「ああ、ここで終わるんだな」とハッキリわかります。
「官能アドレセンス」が先日、完結したときもそうでした。私の構想ではこの完結したときの段階はいわば「序破急」の「序」が終わったところでしたが、主人公の大空は私が思った以上に成長を遂げましたし、彼女の価値観も作品中で大きく変化しました。このまま続けることはできない、ここで終わるのだ、とはっきりわかったのです。
 また先日、コメントで「被虐の街」の続編はないのか、という質問をいただきました。杏奈という主婦が、自分のビジネスの借金を、女性に優しいと言われている闇金から借りたばかりに、返済のためにマニア向けの市場に自分を売るしかなくなる話です。
 この作品はエンディングで主人公に明確な終わりが来ていません。過酷な返済義務を終えた彼女は、いままで知らなかった快楽に目覚めてもいたのですが、その成長で作品は終わっています。
 私の作品では、明確な主人公の終わりは「死」なのですけれども、ちゃんと死をイメージさせていない終わりもかなりあります。「玩具にしてください」の終わりは、むしろ希望さえあるのです。
 それでも杏奈も菜津希も、完結時にある意味の「死」を迎えているのです。これまでの自分ではなくなること、これから先が見通せてしまったことも、ある意味の死だと物語では表現されるのです。
 荒縄工房での作品群は特殊な世界でもあるので、現実の世界と逆さまになることもしばしばです。救いようのないところまで堕ちたところが「成長」となり、エンディングになっていきます。「官能アドレセンス」はどちらかといえばフツー小説ですので、一般的な主人公の成長で終わっています。新しい世界に踏み込んで、新しい人生、新しい生活をはじめた主人公が明確になったところで完結になるのです。
 破滅で終わる作品であっても、破滅まで描かないときもあります。それは、少しでも「余韻」が残っている間に終わらせたいからです。余韻のあるオチが好きだからです。
 だから「えっ、このあとどうなったの?」が残ってしまうこともあります。それには著者はあえて答えず、余韻のみで終わらせてしまうのは、無責任なようですが、余韻重視と考えていただければありがたいです。
 続編を書くのか、書かないのか。
 私は最初から「続編」を考えるときもありますが、たいがいは「これで終わり。終わりったら終わり!」と完結させています。
 続編を最初から構想していても続編を書けていない作品もありますし、続編をまったく考えていない作品で、続編を書いていることもあります。
 その差はなんでしょう。
 第一に、主人公やメインの人物が完全には消滅していないことが大切です。なおかつ、その人物が「書いてほしい!」と強く思っているかどうか。それが分岐点になります。
 こう言うとおかしな話と思われるでしょうが、私の創造したキャラクターたちは、常に私の脳内を占拠しているわけではありません。連載が終われば、いったん、どこかに消えます。PCやスマホからソフトやアプリを削除するようなものです。
 削除しても履歴は残っていることが多いですよね。あるいはクラウドに残っていることがあると思います。
 ですが、「もういらない」と削除したあとは、通常、よほどのことがない限り、再インストールしようとはしないものです。
 それなのに、脳内に残された履歴かなにかの残像が、無意識に成長して「書いてくださいよー」と言い出すことがあるのです。
 それがたまたま私にとって、新作に手をつけるより魅力的に感じたときには、続編がスタートすることになります。以前のキャラクターを再インストールし、前作で書き切れていない部分を丁寧に掘り起こし、それを続編に生かしていくことになります。
 たとえば、亜由美シリーズの完結編「亜由美 降臨編」では、警官が重要な役で登場するのですが、これはシリーズの中でチラッと登場している警察官なのです。最初からこの人物は主人公たちに関わる設定だったのに、以後、まったく出る機会がありませんでした。すると「えー、私はどうなってるんでしょう」と言い出す。
 このため「亜由美 降臨編」は、亜由美側の「書いてくれ」以上に警官側の「おれをなんとかしてよ」が強かったので生まれた作品と言えます。
 嘘のような話に聞こえるでしょうが、人間の脳内は不思議な作用があります。どんな記憶でもエピソードで記憶することで強く残ると言われています。物語は、エピソードの塊ですので、たとえ創作であってもその記憶は通常の現実に起きたことよりも強く残ってしまう可能性は高いのです。
 さすがに70を超える作品をこの8年間、毎日書き続けてきた結果、私の記憶の大半は荒縄工房の作品なのです。シナプスがそこに常に接続されていて、微弱電流が流れ続けているのです。
 荒縄工房をはじめてすぐに、それに気づいた私は、以後、作品は終わるべくして終わることを続けていて、なんの躊躇いも迷いもないのです。

(協力:エピキュリアン ブレストボンテージ



★美魔女狩り 我妻千鶴子編1★
美魔女2-1
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「美魔女狩りシリーズ」2番目の標的は人気コメンテーターの母娘。大物政治家と結婚していた経験を持つ千鶴子は、娘の咲を人質に取られ、交渉のために秘密クラブへ。すべてが罠であるとも知らず必死に奴隷になりきろうとするが、過酷な排泄管理をされ、恥辱にまみれる。


★美魔女狩り 我妻千鶴子編2★
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美貌と直言で人気のコメンテーター我妻千鶴子を奴隷にする……。藤木の野望は目の前で崩れそうになっていた。果たして逆転できるのか? 淫美な映画の撮影、千鶴子の策略、奴隷タレント契約……。我妻千鶴子編の完結です。


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今日のSMシーン
恥辱の教室 隷属女教師 大浦真奈美
恥辱の教室 隷属女教師 大浦真奈美

テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

物語の物語 比喩の様式

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 欲情は汀の水のように。
 美は爆発物のように。
 潮のようにこうした衝動が訪れながら。
 手を触れたら火傷をするような。
 蟻が砂糖につくように。

 国語の話で、「比喩ってのは、わかりやすいように別のものに喩える表現だよ」と教わり、冒頭に書いたように「のように」「のような」といった直喩、それを使わない隠喩(芸術は爆発だ)、擬人(風に撫でられる)などがあるんだよ、といったことを教わった人は多いと思います。
 同時に、「意外と比喩って使わないよね」と思っている方は多いでしょう。
 比喩は考えないと使えないので、自然には出て来ない表現ですから、使えばかなりわざとらしい。
 わざとらしい表現なので、浮きやすい。鼻につく。陳腐になりやすい。前にも聞いた気がする。などなど、とにかく、うまく表現にはめるのはとても難しい。
 冒頭の五つの比喩は、三島由紀夫の手元にあった本から抜き出したもので、いずれも、それほどユニークとは思えず、おそらく多くの人が似たような比喩は使っていると思われます。
 なおかつ、必ずしもわかりやすくするための喩えになっているとは限りません。
 みなさんは、砂糖に群がる蟻をご覧になったことはありますか?
 私はこの間、久しぶりに蟻を見て「何十年ぶりだろう」と思ったほどですから、お住まいの地域などによっては、見たことがなくても不自然ではありません。
 わかりやすくというよりも、むしろ表現を補強するために別の事象をそこに加える(汀の水、爆発物、潮、火傷、蟻、砂糖)ことが重要な気さえします。
 潮の満ち引きなどのダイナミックな動きだったり、静謐な水だったり、危険な物質だったり、痛みを連想させる言葉、嫌悪または甘美を連想させる言葉を文中に登場させるために、比喩はとても便利です。
 私たちは言葉の持つ力、イメージを自分なりに解釈できます。表現されている正確な語句の意味以上のものを読み取ることができるのです。それをうまくハメ込んでいくことで、自然な表現にインパクトを追加できます。
 ただ、これは諸刃の剣で、「またかよ」と読者をうんざりさせる場合もある。「なに言ってるの?」とかえって伝わりにくくなる場合もあります。
 そのため、比喩表現をできるだけしないほうが「身のため」と言えるのです。
 比喩を使わなくても、言葉の持つ力、イメージを強化する方法はあるからです。これは映画でよく見られる方法ですが、その場面にふさわしい設定を予め用意するのです。
 露骨な方法としては、主人公たちが断崖絶壁を前にして口論していれば、その内容に特別な表現を使わなくても緊張感を生み出せる可能性があります。
 登場人物が料理人なら、食材や調理法を日常的に使うことができますので、文章の彩りや味付けに役立つこともあるでしょう。
 たとえば、蟻や砂糖を比喩に出したいなら、蟻や砂糖に関連した設定や登場人物がいた方が、自然です。SF小説で未知の惑星の設定で、蟻と砂糖の比喩が不自然になるように、時代や場面、そして読者の意識によっても比喩は通じなくなる可能性があります。
 比喩を使うと文章を長くしてしまうので、リズムを作りにくいのも難点です。上手な書き手は、それが苦ではないのでしょうが、テクニックをひけらかしているように見えることもあるでしょう。
 その点では隠喩はリズムを作るのにはまだいいのですが、飛躍の面白さと、場面との調和はさらに難しくなる可能性が高いでしょう。
 比喩で決めてやろうと思うよりも、設定やそれに合わせた表現にこだわっていったほうが効果的なのではないか、と思う人も多いようです。
 なによりも、三人称の作品で比喩を繰り出すと、作者が前に出てきてしまうのが、どうも雰囲気を壊しかねない。これは比喩に限らず、ちょっと気の効いた表現だったり語句の使い方でも読者は物語を離れて、作者を強く感じやすいので、できれば避けたいのですね。
 いまの時代では、比喩にかわって、私の見方なのですが「投影描写」と「思考描写」が主流かな、と思っています。いずれも私がいま勝手に考えた名称ですが。
「投影描写」は、さきほど指摘した場面設定だったり登場人物の性格などをあらかじめ、表現したいことに近接させておくことです。この点では登場人物の名前などもよく活用されていますね。水関係比喩と関連づけて「水沢」とか「汀」といった名を最初からつけちゃうわけです。
 そして「思考描写」。これは一人称でやりやすいことですが、主人公の考えをそのまま記述することです。その表現の中に比喩に相当する語句をちりばめていく。
「僕たちの乗ったボートは本当にちっぽけだ」(『僕のなかの壊れていない部分』白石一文)といった文章も、主人公の思考の中でサラッと出てくるわけです。この一文は、もちろん本当にボートに乗っているわけではないのです。主人公が男女の関係などあれこれ考えていく「思考描写」の中で出てきます。
 この作品は主人公が過去に読んだ本を全文丸暗記するほど記憶力のある編集者という設定なので、これぐらいの言葉が出てきてもまったく不思議ではありません。
 主人公がもしキャバクラ嬢だったら、こうした部分もかなり変わった表現になるはずでしょう。
 私自身はストレートな直喩をある程度、使っていて、あまり投影描写はしていません。作品内容がストレートなのでそのほうがわかりやすいと思うのです。一人称作品では思考描写は当然出てきますが、そこでも主人公の立場もあるので、あまりかけ離れた表現が出ないように注意しています。
 ちなみに現在、連載中の「官能アドレセンス」は、主人公を編集者(言葉を操る人)にし、一人称にし、直喩や隠喩があってもおかしくなく、投影描写や思考描写ができるように工夫はしています。
 先日の更新した回では、夜、雨の中、タクシーに乗せることで、主人公のこの先がどうなっていくのかという不安をそのままシーンに投影しています。タクシーは行き先を指定できますが、運転は他人に委ねるのです。おまけに同乗しているのはよくわからない他人です。
 この作品は三十代の女性が、官能について考えることで、ある意味第二の思春期を感じる、というテーマで書いています。

(協力:エピキュリアン 顔面拘束3点セット



★『亜由美 灼熱編』★


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亜由美のその後を追う「外伝」。亜由美が自ら語るパルダ王国へ性奴隷として留学させられた日々。拷問調教での傷を癒すため貨物船に乗せられ、種付けされながら王国へ。そこで待ち受けていたものは……。連載時にはなかったエンディング。



★『亜由美 降臨編』★
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亜由美シリーズ完結編。『一部~三部』『灼熱編』を経た亜由美が帰国。武器を身につけた彼女の復讐がはじまる。『安里咲1、2』の後日談と一体化したストーリーは最後まで目を離すことができない展開です。亜由美と安里咲の有終の美をお楽しみください。


エピキュリアン1


今日のSMシーン
雪中拷問 神納花
雪中拷問 神納花



テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

物語の物語 観察の緻密さ

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 正確に語るためには、観察をしっかりすることです。情報収集と呼ばれる現代の言葉に振り回されてはいけません。ビッグデータはAIのおやつみたいなものでしょう。人工知能は大量の情報を欲しがる。
 一方、主観的に表現をする物語の語り手としては、情報収集よりも観察を重視したほうがいい。巌流島に行ったこともないのに、巌流島の決闘を語ることは難しい。巌流島の情報を取り寄せていけば、少しはマシです。でも正確ではない。風にあたり、ニオイをかいで、朝、昼、夕の変化を知ること、海の色や飛ぶ鳥を見ることから、はじめて「わかった」となることも多いのです。
 そもそも文字だけで正確な情報を伝えられるのか。それはとても難しい話です。法律やお役所の公文書は「正確さ」を重視しています。それでもツッコミどころは多く「解釈」を巡って紛糾し裁判までいくこともあります。
 そしてその判決文も正確であるはずです。それなのにやっぱりツッコミが入り、控訴されたりもします。
 さらに「解釈」は翻訳されたり、時代の変化、立場の変化によって左右されます。だから文字だけで正確無比に状態を伝えることは難しいのです。でも、やらないわけにはいきません。物語においては、一定の不確かさは許容されていて、そこは読者(聞き手)の解釈に委ねられています。
 だからといって、なにもかも適当に書くわけにもいきません。なぜなら、これはブーメランで自分(物語の語り手、作者)に跳ね返ってくるからです。
 物語で大事なことは、「感じること」だと思います。その場面、その立場で感じることが最初になければ物語は生まれません。
 たとえば、クルマ。運転している人、助手席の人、後部座席の人では感じるものが違うのです。だから正確に物語を構築するなら、運転もし、助手席にも乗り、後部座席にも乗ってみる。
 日常でやれることは、できるだけ体験する必要があります。
 一方、日常では体験できないこと。それを正確に把握するにはどうすればいいでしょうか。
 そこは観察する。
 観察は冷たい表現に聞こえるかもしれませんが、かなり熱いものです。意識して観察対象に自分をのせていくのです。フェラーリを街角で見たとき、観察とは外からその挙動、排気音をチェックするだけでは足りません。意識を車内に持っていく。黄色いフェラーリを運転する人の気持ちとは? なぜ赤じゃない? その低いシートから見える街は? そして観察している歩道の私はどう見える? 排気音は背中に感じる(エンジンが後部にある)。路面の感触をどう感じるか。さらに車内の臭いは?
 見ているだけではわからないことも多いので、体験できないことは観察で補い、それでもわからない部分は書かない。だけど、書けることもあるはず。
 たとえばニオイ。革張りシートの香りが好きなのに、さっきまで乗せていた彼女の安っぽい香水のニオイが残ってしまって……。といったことは書ける。フェラーリに乗らなくても書けるのです。
 よくイマジネーションと呼ばれますが、ただ妄想しているだけでは、描写できるほどの情報量になりません。漠然とした感じは、物語を生み出すきっかけになります。そのままでは多くの人に伝えることは難しいでしょう。
 だから情報量を適度に増やすのです。それがイマジネーションで、イマジネーションは観察に基づいて濃くなり立体的になります。
 観察は熱い。人の気持ちを感じるときを例にすれば、漠然とその人を眺めているだけでは情報量が足りません。
 表情だけでも足りません。呼吸。視線。手や指の動き、姿勢といった見える部分。さらに声。トーン、口調。そして言葉のチョイス。どこを強調し、なにを繰り返すのか。さらに飲み込んでしまう言葉、なぜか出てこない単語、言うべきなのに言わないことにも注意します。
 こうした観察を経て、物語に登場する人物の造形が情報豊かになっていきます。さらに相手の身になる。この状況でこういうことを言わなければならない立場になったら、どんな気持ちがするでしょうか。自分はこうだけど、あの人はどうなのか。
 こうしたイマジネーションは、緻密な観察によってはじめて生まれてくるのであって、いきなり閃くことはありません。
 もちろん、すぐには理解できないことも多いものです。「なぜ、あの人はあの時、あんな表情でこんなことを言ったのか?」と思い続けていると、別の事象(自分のことだったりほかの人だったり映画や小説など)をヒントに「そうか!」となる時があります。
 それを忘れないことです。
 他の人が描いた物語も、観察の対象となります。自分には描けなかったことを描いている、自分とは違う描き方をしているので、いちいちすべてが勉強になります。ここで得た情報も、イマジネーションの元になります。
 映画を見て、そこから得た情報で「そうか!」となることもしばしばです。
 AとBを足してCになることが観察されたとき、FとBを足したらなんになるのか。それを想像するのです。これだけでは情報が足りないので、FとCを足したときにMになった例などを知識として得ておくなどして、「だったらNとかPになる可能性もあるんじゃないか、と考えます。
 これだけだとまだ妄想が強いです。でもこの段階でも物語になることもあります。多少の強引さや飛躍の許されている物語ならいけるでしょう。
 もっと緻密な物語を必要とするなら、さらに別の情報を探して補強していくことになります。
 とはいえ、人については、「相手のことはわからない」を前提に組み立てても許されます。どうしてそんなことをしたのか、当人にもわからないし、恐らく正解はない。わからないから物語になる、という場合もあるのです。仮説を立ててもいいし、それが覆っていっても構いません。その過程そのものが物語になることもあるでしょう。
 なんでもかんでもわかった気になってしまうより、わからないことがあることをわかっていて物語にする方が素直ですし、物語としても深みが増すと思います。
 そして自分の観察の間違いについても、考慮しておきたいところです。人は間違えます。自分も間違える。神ではないのです。

(協力:エピキュリアン シルバー925ノーズジュエリー




★『メローマッドネス』★
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あんP(荒縄工房)著。フツー小説。エロなし。奴隷として生きることを選んだ梨々花は、工藤に買われた。だがその工藤を裏切って破滅させた藤崎に売られてしまう。闇カジノをはじめようとした藤崎を何者かが襲撃。「正義の味方」を名乗る者が現れ、梨々花は血なまぐさい狂気の世界に巻き込まれていく……。



★『変態は承服しかねる』★
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変態的作家あんぷらぐどが、まじめに考察した「変態」論。まじめです。
毎年、無料キャンペーンをやりますので、そこでDLすることをオススメします。購入されても責任は負いません。


エピキュリアン1


今日のSMシーン
拘束男をひたすらヌキまくる逆レ●プ痴女 強制射精スペシャル 深田えいみ
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テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

物語の物語 正確に語る

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 文字で描写されたこと、手書きの絵、精緻な絵、写真、動画……。
 おそらくみなさんも私と同様に、このような順序で「より正確」だと判断しているのではないでしょうか。
 事実、現実を切り取るとき、そもそもその段階で正確性は限定されていきます。それでも情報量の多い方、よりリアルなものを「正確」と判定していく習性を持っている人が多いのです。
 つまり文字情報はそもそも「それほど正確ではない」と考えられています。先ほどの例でいけば、動画、写真、精緻な絵、手書きの絵、文字による描写の順に、より主観的になっていくからだと言えます。
 動画、写真も主観で撮影できるものの、細部まで主観を貫くことは難しく手間がかかるので、映画やCGのように作り上げることは誰にでもできるものではないため、一般的な動画、写真は「撮れてしまった」現実であるとみなされます。
 精緻な絵画もリアルであることを主とするために、描き手の主観は題材の選択などある程度は限られます。動画・写真と違い、あり得ない角度、あり得ない光線、あり得ないぼかしなど主観を入れる要素は飛躍的に増えます。技量なのか主観なのかは別として。
 このように文章での描写は、完全に主観であり、客観はわずか。客観的に書くことはできますが、それでも主観の塊であることには変わりがありません。
 では情報量の多い動画や写真を見せられて「わかりましたか?」と聞かれたとき、「わかった」と答えることはできるでしょうか。
 むしろ文字情報のほうが「わかりましたか?」と問われて「わかった」と言いやすいのではないでしょうか。
 客観性が少なく、情報量も少ない文字情報は理解しやすく、動画や写真は「見た目は確かに細部までよくわかるんだけど、これっていったいなんなの? どういうこと?」と疑問が増えてしまうことも多いのではないでしょうか。
 これは、情報量としては文字数でしか補えない(量的には)ものの、主観による取捨選択によって言葉に紐付けされた豊富な情報が、読む側の脳内に蓄積された情報を引き出すことによって、何百倍にも増幅されるからではないでしょうか。
 映像は、パッと見ただけでは、それがどこなのか、いつなのか、誰なのかもわかりません。このため、ディティールは撮影技術しだいで忠実に再現できるのに、見ている側の脳内の情報を引き出しにくいのです。
 ドライブレコーダーや防犯カメラの映像は、「正確」です。でも、それを情報として役立てるには別の情報を大量に必要とします。
 いずれはAI(人工知能)によってそれを瞬時におこなうようになるのでしょう。
 では文字情報は主観的で不正確、曖昧すぎるのでしょうか?
 私たちは物語を語るときに「正確さ」を必ずしも上位には置いていません。人の心の動きであるとか、言動は、正確に描写したとしても正確に表現できているとは限りません。
「わかりました!」
「わかったよ」
「わかった」
「はいはい」
 など、表現を変えていくことで、意味合いに変化をもたせることができるのは、「人は必ずしも、本心のままに言ったり行動したりしているのではない」と私たち自身が認知しているからです。
 さらに「人は心変わりする」ことも前提となっていますから、物語の冒頭で愛を誓い合っている2人が、中盤で憎み合い、終盤で殺し合っても不思議はありません。
 そうした曖昧な前提で語られる物語にそもそも「正確に語る」意味はあるでしょうか?
 実は正確さは、やはりとても重要です。
「昔むかし、あるところに」と、最初から曖昧に表現したとしても、です。
 そこは草深い郊外なのか、鬱蒼とした森の中なのか、湖の畔なのか、断崖絶壁なのか。そして時代としては、だいたいいつ頃なのか。中央集権完成前なのか、途上なのか、その後なのか。
 大雑把でも設定をしっかりしておかないと、登場人物の言動はしっくりしなくなります。例えば、昭和初期の四国で時代劇を見せる旅役者による武士と町人の話があったとします。それと、近松門左衛門が当時の時代背景の中で描いた武士と町人の話では、そもそもまったく違ってくる。
 そこに横たわっているのは正確さです。
 芝居や小説、つまり物語をおもしろくするために主観的に新たな解釈や想像を加えていくのは確かなことですが(そうじゃないとつまらないのです)、だからといって最初からなにもかも不正確にやっていいわけではありません。
 できる限りの正確さを元にし、そこから物語を作り上げていくこと。そこを忘れてしまうと、物語はしだいに理解しにくい形而上的な世界に入り込んでいくのです。
 ダンテの「神曲」は、著者の当時の政治家など実在の人物をリアルに描いている作品です。その言葉や行動には当時を知っている人なら、むしろ正確さに驚いたのではないでしょうか。残念ながら、いまの時代にいる私たちには、なにがなんだかさっぱりわからない。わかるためには研究しなければならない。
 でも研究の対象となるほどの正確さをそもそも持ち合わせていたのです。これは防犯カメラの映像を解析するのと同じ理屈です。
 物語は文字、言葉で語る世界ですから、語り手はより厳密に正確さを意識しないといけません。

(協力:エピキュリアン バイブ固定バンド



★美魔女狩り 我妻千鶴子編1★
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おじさん…今日、私を縛ってください。2 ななこ
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物語の物語 語らない物語

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 よく物語で問題になるのは、「リアリティ」です。私はあまり気にしていません。
 リアリティとは読み手の主観です。さすがに、不特定多数の読み手のみなさんの主観は、物語に浸かっている書き手にはわかりません。
 もし推測できたとしても、その主観に向けたメッセージを物語に盛り込むことはできたとしても、そこにリアリティがあるかどうかは、わかりません。そして、メッセージはたいがいの場合、物語にとっては邪魔というか、それほど意味がないのです。むしろ、メッセージこそ読み手の主観で勝手に読み取っていいものなのですから。
 リアリティのために描写を濃くするべきなのでしょうか。これも、そうだとも言えるし、そうじゃないとも言えます。
 動きのある物語で、スピードの妨げになるような細かい描写は邪魔でしょう。かといってある程度の描写がないと、読み手は物語の世界がよくわからないまま、どんどん進んでしまって、わけがわからなくなる可能性があります。
 物語でのリアリティは、むしろ「不自然さ」の問題ではないか。意図した不自然さはいいのです。それはいわば伏線であったりキャラだったりするので、書き手は意図的に不自然に描写するのです。たとえば、自分のことを「ぼく」と呼びオッサンのような話し方をする女子校生、といった設定ですね。
 一方、意図しない不自然さは読み手を混乱させるだけ、となりやすい。たとえば女子校生らしくない言動、教師らしくない言動といったものです。それが意図されていない場合はほったらかしなので、読み手にとっては「リアリティがない」と感じるわけです。
 かといって、2018年に存在している実際の女子校生の会話をそのまま収録したような作品を作ってもいいのですが、もしそれを2020年に読んだら、おそらく「古い」と感じてしまう可能性があります。2年とか3年で変わってしまう「いま」というリアルは、物語にとって必要かどうか。
 つまり、リアリティの追求は、場合によっては早く陳腐化する危険性を孕むのです。
 もしも、20年前に17歳の人が書いた小説で、いまでも17歳の人が読んで自分のことのように楽しめるとすれば、そこにあるリアルとはなんでしょうか。
 20年前には、LINEもスマホもないのです(iPhoneは2007年)。クイックペイもないし、スイカのようなICカードで乗車することもない(Suicaは2001年)。当然、20年前の連絡方法や移動の描写をリアルに書けば書くほど、違和感が増幅していく可能性があるでしょう。もちろん「20年前らしさ」を楽しむ点では、こうした当時ならではの話がおもしろかったりもします。
 ですが、たとえばミステリーのショートショートでとてもいい作品なのに、たった一言「フロッピーディスク」という単語が出たとたん、なんだか残念な気持ちになったりすることもあるでしょう。
 これは、もうホントに読み手の気持ちしだいなのです。
 当時はかっこよかったかもしれない「Macintosh」(マッキントッシュ)と表記されたパソコンが登場する作品などもそうですね。
 まだ「マック」(Mac)ならいまも普通に使われますが、会話で「君のMacintoshが、うらやましくてさ」といった感じになっていたら、読み手として「うーん」となっちゃうかもしれません。
 パソコンを「パーソナル・コンピューター」と表記したり「マイコン」と表記したり。時代によって変わってしまうのはしょうがないことなのですが、そこをどこまで描くかは、書き手としては配慮すべき点でしょう。
 有名な場所、建物、店が、なくなってしまったり、変わってしまう点も重要なポイントです。たとえば渋谷の「109」は多くの人が知っているランドマークですが、それだって1979年のオープンですから、昭和を語るときに、それ以前かそれ以後かでまったく渋谷の風景は変わっています。
 いまならそれを意識できますが、私たちがいま現在目にし手に触れ利用しているリアルが、いつまで通用するのかは、さすがに予測は難しいのです。
 だからリアルを求めるにあたって、なんでもかんでも「いま」を描く必要はないのです。それはムリだし、やっても無駄骨になる可能性が高く、いまそれを描く意味を書き手は意識して選択しなくてはならないのです。
 たとえば、歌舞伎役者の子が初舞台で「桃太郎」を演じるのを見て、歌舞伎の歴史が400年あるからと、桃太郎のスタイルも当時からあるのかと勘違いするかもしれませんが、「昔噺桃太郎」という演目は千谷道雄作とされていて昭和34年に演じられ、その後の「桃太郎」もその時代に合わせて変化していたりするのです。
 なにが言いたいかと言えば、桃太郎の衣装をみなさんも思い描くと思うし、その格好こそがリアルな姿に感じるかもしれませんが、室町時代に生まれた物語の当時は、きっといまとは違う服装だったに違いないのです。
 いまの私たちが、桃太郎のリアルを考えるのは、なかなか難しいでしょう。
 物語とは、そういうものだ、とも言えるわけです。つまり、語る部分と語らない部分を書き手がどうコントロールするかによって、読み手の感じるリアリティは大きく変わってしまうのです。
 その点で、語らない部分はとても重要になっていくでしょうし、そこを読み取ろうとする読み手の想像力と合わさることで、はじめてリアリティが浮かび上がるのではないか、と思うのです。

(協力:エピキュリアン スタッグビートル(黒い鼻フック)


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自虐の虜となった女子校生が自分の肉体破壊に突き進んでいく。物語はデッドライン(引き返すことのできないところ)に向かって、エンディングと発端から交互に描かれる。結末はわかっているのに、読み進めるしかない破壊的な磁力を発する作品。



★玩具にしてください! 変態女子校生・菜津希★
gang1100.jpg 

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陸上部の女子・菜津希はそのことが頭から離れない。練習中に公園の隅に暮らす汚れた人たちを見たときから、肉体をその人たちに汚してほしいと願うようになる。それはやがて理解者であり脅迫者でもある人物を得て輪姦願望へとエスカレートしていく。鍛えた若き体を汚辱する快楽。

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※2019年9月21日からは下記の予定となっています。

火曜日・水曜日
 女囚スパイラル
木曜日・金曜日
 クソな彼氏に殺されたい
土曜日・日曜日
 公園でいけないことをするクラブ
月曜日
 妄想絵物語(イラスト・月工仮面さん)
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ペンネーム「あんぷらぐど」
1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
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