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物語の物語 比喩の様式

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 欲情は汀の水のように。
 美は爆発物のように。
 潮のようにこうした衝動が訪れながら。
 手を触れたら火傷をするような。
 蟻が砂糖につくように。

 国語の話で、「比喩ってのは、わかりやすいように別のものに喩える表現だよ」と教わり、冒頭に書いたように「のように」「のような」といった直喩、それを使わない隠喩(芸術は爆発だ)、擬人(風に撫でられる)などがあるんだよ、といったことを教わった人は多いと思います。
 同時に、「意外と比喩って使わないよね」と思っている方は多いでしょう。
 比喩は考えないと使えないので、自然には出て来ない表現ですから、使えばかなりわざとらしい。
 わざとらしい表現なので、浮きやすい。鼻につく。陳腐になりやすい。前にも聞いた気がする。などなど、とにかく、うまく表現にはめるのはとても難しい。
 冒頭の五つの比喩は、三島由紀夫の手元にあった本から抜き出したもので、いずれも、それほどユニークとは思えず、おそらく多くの人が似たような比喩は使っていると思われます。
 なおかつ、必ずしもわかりやすくするための喩えになっているとは限りません。
 みなさんは、砂糖に群がる蟻をご覧になったことはありますか?
 私はこの間、久しぶりに蟻を見て「何十年ぶりだろう」と思ったほどですから、お住まいの地域などによっては、見たことがなくても不自然ではありません。
 わかりやすくというよりも、むしろ表現を補強するために別の事象をそこに加える(汀の水、爆発物、潮、火傷、蟻、砂糖)ことが重要な気さえします。
 潮の満ち引きなどのダイナミックな動きだったり、静謐な水だったり、危険な物質だったり、痛みを連想させる言葉、嫌悪または甘美を連想させる言葉を文中に登場させるために、比喩はとても便利です。
 私たちは言葉の持つ力、イメージを自分なりに解釈できます。表現されている正確な語句の意味以上のものを読み取ることができるのです。それをうまくハメ込んでいくことで、自然な表現にインパクトを追加できます。
 ただ、これは諸刃の剣で、「またかよ」と読者をうんざりさせる場合もある。「なに言ってるの?」とかえって伝わりにくくなる場合もあります。
 そのため、比喩表現をできるだけしないほうが「身のため」と言えるのです。
 比喩を使わなくても、言葉の持つ力、イメージを強化する方法はあるからです。これは映画でよく見られる方法ですが、その場面にふさわしい設定を予め用意するのです。
 露骨な方法としては、主人公たちが断崖絶壁を前にして口論していれば、その内容に特別な表現を使わなくても緊張感を生み出せる可能性があります。
 登場人物が料理人なら、食材や調理法を日常的に使うことができますので、文章の彩りや味付けに役立つこともあるでしょう。
 たとえば、蟻や砂糖を比喩に出したいなら、蟻や砂糖に関連した設定や登場人物がいた方が、自然です。SF小説で未知の惑星の設定で、蟻と砂糖の比喩が不自然になるように、時代や場面、そして読者の意識によっても比喩は通じなくなる可能性があります。
 比喩を使うと文章を長くしてしまうので、リズムを作りにくいのも難点です。上手な書き手は、それが苦ではないのでしょうが、テクニックをひけらかしているように見えることもあるでしょう。
 その点では隠喩はリズムを作るのにはまだいいのですが、飛躍の面白さと、場面との調和はさらに難しくなる可能性が高いでしょう。
 比喩で決めてやろうと思うよりも、設定やそれに合わせた表現にこだわっていったほうが効果的なのではないか、と思う人も多いようです。
 なによりも、三人称の作品で比喩を繰り出すと、作者が前に出てきてしまうのが、どうも雰囲気を壊しかねない。これは比喩に限らず、ちょっと気の効いた表現だったり語句の使い方でも読者は物語を離れて、作者を強く感じやすいので、できれば避けたいのですね。
 いまの時代では、比喩にかわって、私の見方なのですが「投影描写」と「思考描写」が主流かな、と思っています。いずれも私がいま勝手に考えた名称ですが。
「投影描写」は、さきほど指摘した場面設定だったり登場人物の性格などをあらかじめ、表現したいことに近接させておくことです。この点では登場人物の名前などもよく活用されていますね。水関係比喩と関連づけて「水沢」とか「汀」といった名を最初からつけちゃうわけです。
 そして「思考描写」。これは一人称でやりやすいことですが、主人公の考えをそのまま記述することです。その表現の中に比喩に相当する語句をちりばめていく。
「僕たちの乗ったボートは本当にちっぽけだ」(『僕のなかの壊れていない部分』白石一文)といった文章も、主人公の思考の中でサラッと出てくるわけです。この一文は、もちろん本当にボートに乗っているわけではないのです。主人公が男女の関係などあれこれ考えていく「思考描写」の中で出てきます。
 この作品は主人公が過去に読んだ本を全文丸暗記するほど記憶力のある編集者という設定なので、これぐらいの言葉が出てきてもまったく不思議ではありません。
 主人公がもしキャバクラ嬢だったら、こうした部分もかなり変わった表現になるはずでしょう。
 私自身はストレートな直喩をある程度、使っていて、あまり投影描写はしていません。作品内容がストレートなのでそのほうがわかりやすいと思うのです。一人称作品では思考描写は当然出てきますが、そこでも主人公の立場もあるので、あまりかけ離れた表現が出ないように注意しています。
 ちなみに現在、連載中の「官能アドレセンス」は、主人公を編集者(言葉を操る人)にし、一人称にし、直喩や隠喩があってもおかしくなく、投影描写や思考描写ができるように工夫はしています。
 先日の更新した回では、夜、雨の中、タクシーに乗せることで、主人公のこの先がどうなっていくのかという不安をそのままシーンに投影しています。タクシーは行き先を指定できますが、運転は他人に委ねるのです。おまけに同乗しているのはよくわからない他人です。
 この作品は三十代の女性が、官能について考えることで、ある意味第二の思春期を感じる、というテーマで書いています。

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テーマ : 官能小説
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物語の物語 観察の緻密さ

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 正確に語るためには、観察をしっかりすることです。情報収集と呼ばれる現代の言葉に振り回されてはいけません。ビッグデータはAIのおやつみたいなものでしょう。人工知能は大量の情報を欲しがる。
 一方、主観的に表現をする物語の語り手としては、情報収集よりも観察を重視したほうがいい。巌流島に行ったこともないのに、巌流島の決闘を語ることは難しい。巌流島の情報を取り寄せていけば、少しはマシです。でも正確ではない。風にあたり、ニオイをかいで、朝、昼、夕の変化を知ること、海の色や飛ぶ鳥を見ることから、はじめて「わかった」となることも多いのです。
 そもそも文字だけで正確な情報を伝えられるのか。それはとても難しい話です。法律やお役所の公文書は「正確さ」を重視しています。それでもツッコミどころは多く「解釈」を巡って紛糾し裁判までいくこともあります。
 そしてその判決文も正確であるはずです。それなのにやっぱりツッコミが入り、控訴されたりもします。
 さらに「解釈」は翻訳されたり、時代の変化、立場の変化によって左右されます。だから文字だけで正確無比に状態を伝えることは難しいのです。でも、やらないわけにはいきません。物語においては、一定の不確かさは許容されていて、そこは読者(聞き手)の解釈に委ねられています。
 だからといって、なにもかも適当に書くわけにもいきません。なぜなら、これはブーメランで自分(物語の語り手、作者)に跳ね返ってくるからです。
 物語で大事なことは、「感じること」だと思います。その場面、その立場で感じることが最初になければ物語は生まれません。
 たとえば、クルマ。運転している人、助手席の人、後部座席の人では感じるものが違うのです。だから正確に物語を構築するなら、運転もし、助手席にも乗り、後部座席にも乗ってみる。
 日常でやれることは、できるだけ体験する必要があります。
 一方、日常では体験できないこと。それを正確に把握するにはどうすればいいでしょうか。
 そこは観察する。
 観察は冷たい表現に聞こえるかもしれませんが、かなり熱いものです。意識して観察対象に自分をのせていくのです。フェラーリを街角で見たとき、観察とは外からその挙動、排気音をチェックするだけでは足りません。意識を車内に持っていく。黄色いフェラーリを運転する人の気持ちとは? なぜ赤じゃない? その低いシートから見える街は? そして観察している歩道の私はどう見える? 排気音は背中に感じる(エンジンが後部にある)。路面の感触をどう感じるか。さらに車内の臭いは?
 見ているだけではわからないことも多いので、体験できないことは観察で補い、それでもわからない部分は書かない。だけど、書けることもあるはず。
 たとえばニオイ。革張りシートの香りが好きなのに、さっきまで乗せていた彼女の安っぽい香水のニオイが残ってしまって……。といったことは書ける。フェラーリに乗らなくても書けるのです。
 よくイマジネーションと呼ばれますが、ただ妄想しているだけでは、描写できるほどの情報量になりません。漠然とした感じは、物語を生み出すきっかけになります。そのままでは多くの人に伝えることは難しいでしょう。
 だから情報量を適度に増やすのです。それがイマジネーションで、イマジネーションは観察に基づいて濃くなり立体的になります。
 観察は熱い。人の気持ちを感じるときを例にすれば、漠然とその人を眺めているだけでは情報量が足りません。
 表情だけでも足りません。呼吸。視線。手や指の動き、姿勢といった見える部分。さらに声。トーン、口調。そして言葉のチョイス。どこを強調し、なにを繰り返すのか。さらに飲み込んでしまう言葉、なぜか出てこない単語、言うべきなのに言わないことにも注意します。
 こうした観察を経て、物語に登場する人物の造形が情報豊かになっていきます。さらに相手の身になる。この状況でこういうことを言わなければならない立場になったら、どんな気持ちがするでしょうか。自分はこうだけど、あの人はどうなのか。
 こうしたイマジネーションは、緻密な観察によってはじめて生まれてくるのであって、いきなり閃くことはありません。
 もちろん、すぐには理解できないことも多いものです。「なぜ、あの人はあの時、あんな表情でこんなことを言ったのか?」と思い続けていると、別の事象(自分のことだったりほかの人だったり映画や小説など)をヒントに「そうか!」となる時があります。
 それを忘れないことです。
 他の人が描いた物語も、観察の対象となります。自分には描けなかったことを描いている、自分とは違う描き方をしているので、いちいちすべてが勉強になります。ここで得た情報も、イマジネーションの元になります。
 映画を見て、そこから得た情報で「そうか!」となることもしばしばです。
 AとBを足してCになることが観察されたとき、FとBを足したらなんになるのか。それを想像するのです。これだけでは情報が足りないので、FとCを足したときにMになった例などを知識として得ておくなどして、「だったらNとかPになる可能性もあるんじゃないか、と考えます。
 これだけだとまだ妄想が強いです。でもこの段階でも物語になることもあります。多少の強引さや飛躍の許されている物語ならいけるでしょう。
 もっと緻密な物語を必要とするなら、さらに別の情報を探して補強していくことになります。
 とはいえ、人については、「相手のことはわからない」を前提に組み立てても許されます。どうしてそんなことをしたのか、当人にもわからないし、恐らく正解はない。わからないから物語になる、という場合もあるのです。仮説を立ててもいいし、それが覆っていっても構いません。その過程そのものが物語になることもあるでしょう。
 なんでもかんでもわかった気になってしまうより、わからないことがあることをわかっていて物語にする方が素直ですし、物語としても深みが増すと思います。
 そして自分の観察の間違いについても、考慮しておきたいところです。人は間違えます。自分も間違える。神ではないのです。

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テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

物語の物語 正確に語る

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 文字で描写されたこと、手書きの絵、精緻な絵、写真、動画……。
 おそらくみなさんも私と同様に、このような順序で「より正確」だと判断しているのではないでしょうか。
 事実、現実を切り取るとき、そもそもその段階で正確性は限定されていきます。それでも情報量の多い方、よりリアルなものを「正確」と判定していく習性を持っている人が多いのです。
 つまり文字情報はそもそも「それほど正確ではない」と考えられています。先ほどの例でいけば、動画、写真、精緻な絵、手書きの絵、文字による描写の順に、より主観的になっていくからだと言えます。
 動画、写真も主観で撮影できるものの、細部まで主観を貫くことは難しく手間がかかるので、映画やCGのように作り上げることは誰にでもできるものではないため、一般的な動画、写真は「撮れてしまった」現実であるとみなされます。
 精緻な絵画もリアルであることを主とするために、描き手の主観は題材の選択などある程度は限られます。動画・写真と違い、あり得ない角度、あり得ない光線、あり得ないぼかしなど主観を入れる要素は飛躍的に増えます。技量なのか主観なのかは別として。
 このように文章での描写は、完全に主観であり、客観はわずか。客観的に書くことはできますが、それでも主観の塊であることには変わりがありません。
 では情報量の多い動画や写真を見せられて「わかりましたか?」と聞かれたとき、「わかった」と答えることはできるでしょうか。
 むしろ文字情報のほうが「わかりましたか?」と問われて「わかった」と言いやすいのではないでしょうか。
 客観性が少なく、情報量も少ない文字情報は理解しやすく、動画や写真は「見た目は確かに細部までよくわかるんだけど、これっていったいなんなの? どういうこと?」と疑問が増えてしまうことも多いのではないでしょうか。
 これは、情報量としては文字数でしか補えない(量的には)ものの、主観による取捨選択によって言葉に紐付けされた豊富な情報が、読む側の脳内に蓄積された情報を引き出すことによって、何百倍にも増幅されるからではないでしょうか。
 映像は、パッと見ただけでは、それがどこなのか、いつなのか、誰なのかもわかりません。このため、ディティールは撮影技術しだいで忠実に再現できるのに、見ている側の脳内の情報を引き出しにくいのです。
 ドライブレコーダーや防犯カメラの映像は、「正確」です。でも、それを情報として役立てるには別の情報を大量に必要とします。
 いずれはAI(人工知能)によってそれを瞬時におこなうようになるのでしょう。
 では文字情報は主観的で不正確、曖昧すぎるのでしょうか?
 私たちは物語を語るときに「正確さ」を必ずしも上位には置いていません。人の心の動きであるとか、言動は、正確に描写したとしても正確に表現できているとは限りません。
「わかりました!」
「わかったよ」
「わかった」
「はいはい」
 など、表現を変えていくことで、意味合いに変化をもたせることができるのは、「人は必ずしも、本心のままに言ったり行動したりしているのではない」と私たち自身が認知しているからです。
 さらに「人は心変わりする」ことも前提となっていますから、物語の冒頭で愛を誓い合っている2人が、中盤で憎み合い、終盤で殺し合っても不思議はありません。
 そうした曖昧な前提で語られる物語にそもそも「正確に語る」意味はあるでしょうか?
 実は正確さは、やはりとても重要です。
「昔むかし、あるところに」と、最初から曖昧に表現したとしても、です。
 そこは草深い郊外なのか、鬱蒼とした森の中なのか、湖の畔なのか、断崖絶壁なのか。そして時代としては、だいたいいつ頃なのか。中央集権完成前なのか、途上なのか、その後なのか。
 大雑把でも設定をしっかりしておかないと、登場人物の言動はしっくりしなくなります。例えば、昭和初期の四国で時代劇を見せる旅役者による武士と町人の話があったとします。それと、近松門左衛門が当時の時代背景の中で描いた武士と町人の話では、そもそもまったく違ってくる。
 そこに横たわっているのは正確さです。
 芝居や小説、つまり物語をおもしろくするために主観的に新たな解釈や想像を加えていくのは確かなことですが(そうじゃないとつまらないのです)、だからといって最初からなにもかも不正確にやっていいわけではありません。
 できる限りの正確さを元にし、そこから物語を作り上げていくこと。そこを忘れてしまうと、物語はしだいに理解しにくい形而上的な世界に入り込んでいくのです。
 ダンテの「神曲」は、著者の当時の政治家など実在の人物をリアルに描いている作品です。その言葉や行動には当時を知っている人なら、むしろ正確さに驚いたのではないでしょうか。残念ながら、いまの時代にいる私たちには、なにがなんだかさっぱりわからない。わかるためには研究しなければならない。
 でも研究の対象となるほどの正確さをそもそも持ち合わせていたのです。これは防犯カメラの映像を解析するのと同じ理屈です。
 物語は文字、言葉で語る世界ですから、語り手はより厳密に正確さを意識しないといけません。

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物語の物語 語らない物語

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 よく物語で問題になるのは、「リアリティ」です。私はあまり気にしていません。
 リアリティとは読み手の主観です。さすがに、不特定多数の読み手のみなさんの主観は、物語に浸かっている書き手にはわかりません。
 もし推測できたとしても、その主観に向けたメッセージを物語に盛り込むことはできたとしても、そこにリアリティがあるかどうかは、わかりません。そして、メッセージはたいがいの場合、物語にとっては邪魔というか、それほど意味がないのです。むしろ、メッセージこそ読み手の主観で勝手に読み取っていいものなのですから。
 リアリティのために描写を濃くするべきなのでしょうか。これも、そうだとも言えるし、そうじゃないとも言えます。
 動きのある物語で、スピードの妨げになるような細かい描写は邪魔でしょう。かといってある程度の描写がないと、読み手は物語の世界がよくわからないまま、どんどん進んでしまって、わけがわからなくなる可能性があります。
 物語でのリアリティは、むしろ「不自然さ」の問題ではないか。意図した不自然さはいいのです。それはいわば伏線であったりキャラだったりするので、書き手は意図的に不自然に描写するのです。たとえば、自分のことを「ぼく」と呼びオッサンのような話し方をする女子校生、といった設定ですね。
 一方、意図しない不自然さは読み手を混乱させるだけ、となりやすい。たとえば女子校生らしくない言動、教師らしくない言動といったものです。それが意図されていない場合はほったらかしなので、読み手にとっては「リアリティがない」と感じるわけです。
 かといって、2018年に存在している実際の女子校生の会話をそのまま収録したような作品を作ってもいいのですが、もしそれを2020年に読んだら、おそらく「古い」と感じてしまう可能性があります。2年とか3年で変わってしまう「いま」というリアルは、物語にとって必要かどうか。
 つまり、リアリティの追求は、場合によっては早く陳腐化する危険性を孕むのです。
 もしも、20年前に17歳の人が書いた小説で、いまでも17歳の人が読んで自分のことのように楽しめるとすれば、そこにあるリアルとはなんでしょうか。
 20年前には、LINEもスマホもないのです(iPhoneは2007年)。クイックペイもないし、スイカのようなICカードで乗車することもない(Suicaは2001年)。当然、20年前の連絡方法や移動の描写をリアルに書けば書くほど、違和感が増幅していく可能性があるでしょう。もちろん「20年前らしさ」を楽しむ点では、こうした当時ならではの話がおもしろかったりもします。
 ですが、たとえばミステリーのショートショートでとてもいい作品なのに、たった一言「フロッピーディスク」という単語が出たとたん、なんだか残念な気持ちになったりすることもあるでしょう。
 これは、もうホントに読み手の気持ちしだいなのです。
 当時はかっこよかったかもしれない「Macintosh」(マッキントッシュ)と表記されたパソコンが登場する作品などもそうですね。
 まだ「マック」(Mac)ならいまも普通に使われますが、会話で「君のMacintoshが、うらやましくてさ」といった感じになっていたら、読み手として「うーん」となっちゃうかもしれません。
 パソコンを「パーソナル・コンピューター」と表記したり「マイコン」と表記したり。時代によって変わってしまうのはしょうがないことなのですが、そこをどこまで描くかは、書き手としては配慮すべき点でしょう。
 有名な場所、建物、店が、なくなってしまったり、変わってしまう点も重要なポイントです。たとえば渋谷の「109」は多くの人が知っているランドマークですが、それだって1979年のオープンですから、昭和を語るときに、それ以前かそれ以後かでまったく渋谷の風景は変わっています。
 いまならそれを意識できますが、私たちがいま現在目にし手に触れ利用しているリアルが、いつまで通用するのかは、さすがに予測は難しいのです。
 だからリアルを求めるにあたって、なんでもかんでも「いま」を描く必要はないのです。それはムリだし、やっても無駄骨になる可能性が高く、いまそれを描く意味を書き手は意識して選択しなくてはならないのです。
 たとえば、歌舞伎役者の子が初舞台で「桃太郎」を演じるのを見て、歌舞伎の歴史が400年あるからと、桃太郎のスタイルも当時からあるのかと勘違いするかもしれませんが、「昔噺桃太郎」という演目は千谷道雄作とされていて昭和34年に演じられ、その後の「桃太郎」もその時代に合わせて変化していたりするのです。
 なにが言いたいかと言えば、桃太郎の衣装をみなさんも思い描くと思うし、その格好こそがリアルな姿に感じるかもしれませんが、室町時代に生まれた物語の当時は、きっといまとは違う服装だったに違いないのです。
 いまの私たちが、桃太郎のリアルを考えるのは、なかなか難しいでしょう。
 物語とは、そういうものだ、とも言えるわけです。つまり、語る部分と語らない部分を書き手がどうコントロールするかによって、読み手の感じるリアリティは大きく変わってしまうのです。
 その点で、語らない部分はとても重要になっていくでしょうし、そこを読み取ろうとする読み手の想像力と合わさることで、はじめてリアリティが浮かび上がるのではないか、と思うのです。

(協力:エピキュリアン スタッグビートル(黒い鼻フック)


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★M穴地獄―デッドライン―★
 

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自虐の虜となった女子校生が自分の肉体破壊に突き進んでいく。物語はデッドライン(引き返すことのできないところ)に向かって、エンディングと発端から交互に描かれる。結末はわかっているのに、読み進めるしかない破壊的な磁力を発する作品。



★玩具にしてください! 変態女子校生・菜津希★
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陸上部の女子・菜津希はそのことが頭から離れない。練習中に公園の隅に暮らす汚れた人たちを見たときから、肉体をその人たちに汚してほしいと願うようになる。それはやがて理解者であり脅迫者でもある人物を得て輪姦願望へとエスカレートしていく。鍛えた若き体を汚辱する快楽。

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物語の物語 不公平と偏在

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 音楽では、サビ(ブリッジ)にいくまでのAメロ、Bメロという「旅」があります。その前にイントロ(つかみ)があります。そして最後にアウトロ(余韻)があります。
 ですが、私たちが曲を聴いて最初に覚えるのはサビ。つぎがイントロでしょうか。かつて「イントロクイズ」があったように、強烈で印象的なイントロで曲名を思い出せる人は多いのです。
 それでいて、Aメロに入ったとたん「ふふふふーん」と怪しくなる人も多いはず。このあと高くなるかと思えばならず、低くなるかと思えばならず。そういうメロディーが続きます。そして待ちに待ったサビ。ここで大合唱。
 つまり曲の「いい部分」がサビに凝縮されている。イントロに凝縮されているということです。
 物語は、不公平と偏在から成り立っています。

 物語は何度も繰り返して楽しめる音楽と違い、長い作品だと一生涯に一度きりしか読まない場合がほとんどでしょう。
 そのとき、読んだ者に残るのはイントロなのかサビなのか。明確に残るのはアウトロだったり、全体を通してインプットされた雰囲気だったり、印象的なシーンやセリフだったり。不公平なようですが、書き手も読み手もどこかに注目し、それが凝縮されたところに熱くなるのではないでしょうか。
 つまり、濃い部分が自然に、または意図的に出来てきて、そこだけが印象としていつまでも残るのではないか、と思うのです。
 その意味で、物語の構成をこうした音楽であるとか、耳にタコができる「起承転結」などになぞらえて考えることに、どれほどの意味があるのかなという気がしてなりません。
 むしろ、一度きりの一筆書きの旅なのですから、そんな明確な構成をしっかり作ってから書くなんてあり得ないのではないか。
 大切なことは不公平さと偏在にあるのではないか、と思ったりもします。
 起承転結で構成を考えると、濃淡の差があまりない、かえってつかみ所のない作品が出来やすい気がするのです。
 物語は平等ではない。不公平です。そして偏ってるのです。明らかな濃淡を描くことのほうが構成より大切な気がしてなりません。
 連載マンガはいつ終わるかわからない。場合によっては永遠に終わらないかもしれない。先日、完結が話題になった「ドカベン」は、最初柔道マンガではじまったのですが、途中で野球にチェンジ。中学時代は柔道、高校進学で野球となっているので問題はまったくないのですが、大胆です。
 書く前からそんな構成を思いつく人は少ないでしょうし、思いついたとしても柔道編で打ち切り(完結)となっていても不思議ではありません。
 ですが、「ドカベン」には大きな意味での濃淡が明確に作り出されており、愛読者にとってはその濃い部分の印象は長く残っているのではないかと思います。
 どこを濃くするか。どこを薄くするか。いかに不公平に表現するか。それが大切なのではないでしょうか。
 通常、作者の頭の中には、大まかな構成(大好きなストーリー)が常に存在していて、表に出せるのはそのうちの一部だけです。
 一人の人間が生み出す作品は、何作だろうと全体で一つの作品だと考えることもできます。
 私自身、いま書いているものは、頭の中にある大きな構成の一部を抜き出しているのではないかと感じることもあります。
 その中でも不公平は生じます。なにかを公平に表現するなどということは、表現にとっては意味のないことではないかとさえ思うのです。
 たとえば、町の姿を詳細に描写するのか、それとも草の葉にのっている一滴の露を詳細に描写するのか。それは書き手の自由です。
 濃淡をしっかり作ることができれば、読者は濃い部分か、あるいはむしろ淡い部分の印象が残りやすいはずです。
 読む側として「おもしろい」と思える部分は物語のどこかに偏在しています。ですが、読者のことを書き手はわかっているとは言えないので、いくつかの偏在を意図的に仕掛けていくことになります。
 スポーツ漫画では、大きな流れでは、競技を通して主人公たち成長すること。成長を実感するなにかを得ることで終わるのです。
 そのための練習場面だとか競技場面も多くなるので、そこにいかに濃淡をつけて描くかは大きな問題です。なにかをくっきりと浮かび上がらせるようにしたいのが作り手の思いでしょう。野球でいえばスコアボードのように数字が淡々と並ぶような作品では、読み手はちょっと楽しめません。
 点を取るシーンか、点を取られるシーンか、点が入らないシーンか。そうした中から選んで濃く描く必要があります。
 スコアボードでは「0」ですが、その「0」に至る物語がたっぷりあっても不思議ではないからです。ですが、9回分の表裏のどの回のどこの「0」かに、濃い部分が潜んでいる可能性はありますが、すべての「0」ではないのです。飛ばしてもいい「0」もあるからです。
 この長い旅のどこに「おもしろさ」を見つけるかは読者によって違いますので、複数のキャラクターを配置して、ストーリーを多層的に複雑にし、多角的に描いていくことになります。大胆に視点を変えていく必要も出て来ます。
 ストーリーや構成は音楽よりも複雑にしてもかまいません。舞台やキャラクターを安定させることで、物語を見失うことはあまりないはずです。とくに成人を対象にした作品なら、「もっとシンプルに」とか「わかりやすく」といった指導的な意見には徹底的に逆らってもいいと私は思っています。
 いかに濃い部分を濃く表現するか、薄い部分を薄く表現するか。そこには思いきり気持ちをこめていいのではないでしょうか。

(協力:エピキュリアン 頚椎固定ギプス(ギブス)


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★堕ちる AとV 1★

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水絵は拒絶しながらも体は求めてしまう。被虐世界に流されていくOL。発端はAV出演疑惑。同僚たちに裸にされて比較され、やがて同僚たちの嗜虐性に火をつけてしまう。奴隷として私物を没収され、野外露出、浣腸、拡張、種付けとエスカレートしていく。


★乱舞★
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その恋は危険な世界への扉だった……。勤務先のエレベーターで見初めた彼女は、とあるバーでアルバイトをしていた。彼女を雇うことにし、同時にオフィスでの調教をはじめる。自分の求めた女なのかを確かめるように、過酷な責めを課していく。やがて取引先の接待要員に使うことに。果たしてSMと純愛は両立するのか。


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※2019年5月20日からは下記の予定となっています。

火曜日・水曜日
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木曜日・金曜日
 バイオレンスツアー
土曜日・日曜日
 小説 官能アドレセンス
月曜日
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ペンネーム「あんぷらぐど」
1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
未発表作、新作などを随時、お読みいただきたいと思っています。

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