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物語の物語 継続と勇気

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 いまでは、誰でもネットで小説を発表できます。私も少しはウォッチをさせていただいてますが、たくさんの作家たちが多種多様な作品を発表しています。
 作品の中には連載を開始したものの、なかなか最後まで書き切れていないものも散見されます。大多数は完結し、いくつもの作品をつぎつぎ発表しています。おそらく、ほとんどの人は、日常の中で執筆にあてる時間は不足していると推測しています。
 少ない時間で作品を執筆するのは大変なことでしょうし、なによりもコツを掴むまでにある程度のムリというか努力が必要です。このムリや努力の時間すらないと、いつまでもコツをつかめないままになります。
 逆上がり、自転車、水泳。コツが掴めるとたいがいの人は、選手にはなれないとしてもできるようにはなります。
 逆上がりは私は苦手で、小●生のときどんなに練習してもコツが掴めず、中●生でふとやってみたら、簡単に出来て「なぜ出来なかったのか」と不思議でした。
 自転車は最初の三日であきらめそうになりましたが、四日目に乗れて「なぜ乗れなかったのかな」と思いました。
 水泳はその日に泳げたので、苦労した記憶がありません。
 このように、人によってどこで壁にぶつかるかは差があるので、物語を生み出すに当たっても、個人差は大きいのでしょう。
 ただ言えることは、好きなこと、やりたいことなら続けるべきです。うまくいかなくても構わないのです。続ける。続ける勇気を持つことです。
 この勇気は、それほど大げさなものではありません。だって物語ですからね。正直、逆上がりや自転車や水泳に比べても、「どうでもいいこと」に近いジャンルです。
 ところが、逆上がりや自転車や水泳には「できる、できない」の差はあるものの、そしてもちろん競技になれば高いレベルでの差があるものの、「できる」という点だけに限れば、それほど個性とは関係がありません。
 それが物語になると、いきなり心理的な壁にぶつかるのです。自分をさらけ出すことになる。自分の好きなものを晒すことになる。自分の考えていることや知識を全部、見せることになる。
 その意味で、どのように小さな物語(落語で言う小咄)でも、全身全霊で取り組まないと書けません。
 大げさですけど「全身全霊」だから、書く時間と継続性が重要になります。
 どうやって時間を作るかは人それぞれ。全身全霊で物語を見つけ紡ぎ出すことは、生きている間にしかできません。それは学業や仕事や家事をしながらでもできます。
 逆上がりや自転車のように、コツをつかめば、24時間、なにをしていても物語を生み出すことができます。
 他人の物語はこうはいきません。全身全霊で取り組めるのは自分の物語だけです。他人の物語は、「仕事」の範疇に入ります。
 自分の物語を書くことは、勇気がいります。でも、私たちが本当に本気で全力で書けるのは自分の物語だけなのです。
 途中で書けなくなる物語は、きっと自分の物語ではなかったのでしょう。もっと自分に引き寄せなければなりません。これも、ちょっとした勇気を必要とすることでしょう。
 もちろん、物語の影に自分を隠すことも私たちにとっては必要なことでしょう。ですから、自分とはまったく関係のない世界の物語を必要とすることもあるのです。
 でも、必要としているのですから、これもある意味の自分の物語なのです。だって、必要なんだから、それがなければ生きていけないのですから、なにをしていてもこの物語はあなたの中でどんどんと生み出されていくに違いありません。
 一方、他人の物語を生み出そうとしてムダな苦労をしない勇気も持ってください。それは思いきりあきらめてください。自分が書くべき物語ではない。だから書けないのですし、書く時間もないのです。時間や仕事や学業を理由に「書けない」とき、それは自分が書くべき物語ではない、つまり他人の物語なのです。
 どんなにいいアイデアやプロットでも、そんなものに時間や労力をかける必要はありません。人生の無駄です。もしそのアイデアやプロットに固執するとき、他人の物語であることを明確に意識すべきです。
 他人の物語を書き続けられる人は、それを仕事にした人だけです。いわゆるプロ。商業的に書くことを仕事にした人です。
 残念ながら仕事(つまり金銭的な対価が得られ、生活ができる)にできる人はごくわずかです。
 そして他人の物語を書く苦悩は、自分の物語を書く苦悩とはまったく違います。そのプロセスは、「他人の物語」をいったん「自分の物語」にしていくという複雑なものです。
 先に書いたように、私たちが全身全霊で取り組めるのは自分の物語だけなので、他人の物語を書く仕事を成功させるには、いったん自分の物語にしなければなりません。
 せめて、自分の中の一部、またはすぐ近くに置かなければ、書けないはずです。これは、俳優が役になりきるのと似ています。
 この点では、まず自分の物語を書くことができた上で(それがおもしろいかどうかは関係ありません)、次に他人の物語を技術的に自分の物語にしていくプロセスを学ぶ必要があります。そして、その学び方は、人によって違います。なぜなら自分の物語を書くコツを得るのも、人によって違うからです。
 天才的に最初からできてしまう人もいれば、苦労する人もいるのです。
 いずれにせよ、継続できるかどうか。継続する勇気を持てるかどうかに、かかっていると私は思います。

(協力:エピキュリアン 穴あき尿道リングプラグ


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★共用淫虐妻・千春★

DLSiteのみで販売しています。小説『十二階』一部、二部を改題・改稿した作品です。
十二階に住む達也に頼まれ、千春の調教を引き受ける。彼女の奥底にある危ういまでの被虐性を知り、厳しい調教を行う。さらに達也の提案でマンション全体の「共用」として千春を住人に貸し出す。特殊なペットとして改造にも踏み出す。語り手の調教役を男性にし、一部の表現を変更。ストーリーは小説『十二階』一部、二部と同じです。



★小説『十二階』第一部★
十二階第一部
DMM.R18でのみ販売中。とあるマンションで人妻を徹底調教する。千春は夫の決断で同じマンションに住む敏恵に調教を委託することになった。激しくも甘美な調教で、昼夜を問わず若妻は被虐にどっぷりと染まる。



★小説『十二階』第二部★
十二階第一部

DMM.R18でのみ販売中。調教はマンションぐるみとなり、千春には衣服もプライバシーもなくなってしまう。住人に貸し出される人妻は、さらに苛烈な運命が待っていた。



エピキュリアン1


今日のSMシーン
【VR】W痴女M男調教 ヒール踏み、唾飲み、バラ鞭、ろうそく垂らし、革手袋手コキ
【VR】W痴女M男調教 ヒール踏み、唾飲み、バラ鞭、ろうそく垂らし、革手袋手コキ



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物語の物語 視点の自由な移動

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 小説を書きたいと思った人が、入門書などを読んでいくうちに、最初の方でぶつかる壁に「視点」があります。多くの先人たちによって、視点についての問題点が指摘されていて、三人称、一人称といったスタイルだけではなく、文中の視点の統一についてもうるさく言われています。
 たとえば三人称でも、登場人物の一人に焦点を当てて描くとき、その人物が知り得ない事項についてどう扱うか。どこでどのようなカタチで表現するか。これは工夫のしどころのある点です。ト書きのように神視点で著者(神)が描写してしまうのもありですが、それを避けたい場合もあるでしょうから、そのときの表現でよりおもしろくできる可能性はあります。
 一人称で書いてしまうと、その人物が知り得ないことは記述できないので、推測するしかなくなります。これも、表現のしようによってはおもしろくすることができそうです。
 文中の視点の移動は、主に三人称のときに混乱が生じやすいと言われています。そしてここに神経を使いすぎることによって、おもしろさが削がれる場合もあります。
 いま書いたみたいに、「よりおもしろく表現できるかも」という意味での制約に比べて、文中の視点移動は窮屈に考えると、おもしろさを削いでしまう可能性が高くなります。
 あまりに視点の移動を難しく考えすぎてしまうと、どんどん窮屈になっていき、書いていてつまらなくなっていくこともあると思います。
 私は以前はすごくこだわっていて、窮屈に考えていましたが、最近はとても緩くとらえるようにしています。要するに読者にわかれば問題ないんじゃないか。
 現在連載している「被虐の家」では、三人称のスタイルで、文中の視点はかなり頻繁に移動します。
 メインは姉妹(桃江、千絵)ですので、二人の気持ちを描写します。ただ千絵については不思議な存在でいてほしいので、あえて心理的な側面を深く描いていません。外から見える部分を中心にしています。
 桃江は夫のこと、自分のこと、妹のことで悩む存在なので、主人公でもあることからそれなりに彼女の視点で描く部分も多くなっていきます。
 加えて、彼女たちを好きなようにしたいと思っている河田と淵野。この2人にも視点は移動します。河田から見た姉妹、そして淵野やほかの人たち。淵野から見た姉妹、そして河田といった視点を書き込んでいます。
 比較的自由に視点が変わり、それぞれの考えが出てきます。私としては読んでいて混乱しなければ、こうした視点の移動は自由にやってもいいと思っています。
 映画でも複数登場人物の場合は、それぞれのアップであるとか、細かいカット割りによってスピーディーに視点を切り替えていくこともあるので、読者もそれを苦にしないのではなかと思っています。
 一方、「いいなりドール」は、一人称で主人公の視点のみで描かれるので、兄や家族がどう思っているのか、主人公の推測と見たままの描写になっていきます。
 ただ、一人称の場合では、この「見たままの描写」の中に読者にとっては「おや?」と思わせる部分をはさみ込んでみるといったこともします。主人公はそれを見ているけど、スルーしてしまうようなところに、のちに明かされる事態への予感を潜ませて、読者には先に気づいてもらう、といったことです。
 視点を自由に移動すると、複数人物の思いのすれ違いを立体的に表現できますが、読者にとってはそれが必ずしも楽しいとは限らないこともあります。
 すべてを知ってしまうと、先に対する期待が減る可能性もあるのです。
 書く側にとって便利なシステムは、必ずしも読む側にとっておもしろいとは限らないので、自分なりの制約は設けた方がいいかもしれません。
 物語は本来、口伝で一人語り、つまりいまの落語のようなもの。そこに語り手の気持ちや解釈が加わって、さらにおもしろさを追求していく世界です。
 小説表現の最初は、この口伝を文字で表現するところからはじまったわけで、日記スタイルはいわば書き手による一人称の表現でもあるわけです。そして「私が見聞きしたこと」を書くうちに、そこに登場する人物の気持ちまで推測するようになっていきます。
 書き手が自分の感情を、登場する人物に反映させたり、登場人物の気持ちを自分なりに解釈したりしはじめます。さらに、登場人物に憑依していき、自分のことのように語りはじめるのです。
 一人語りは視点を変えることがとても難しいものです。落語「芝浜」は酒好きの亭主としっかり者のおかみさんの話。ただ、おかみさんのしっかり度をどの程度描写するかは、語り手しだい。なぜなら最後の部分で、このおかみさんがやっていたことを、どのように表現するかは物語の核となるところだからです。
 でも、「芝浜」はあまりにも有名な作品なので、落語ファンはみなそのスジを知っている。核の部分(ミステリーでいえばトリック)を承知の上で、現代に生きる落語家からその話を聞くのです。
 このため、むしろおかみさんの心情にぐっと寄って演じることも可能になります。ネタバレしても、感動はあると思うわけです。
 酒好きのだらしない亭主という話は、落語にけっこうあるわけで、それが後半に様相が一転していくことが「芝浜」のよさであり、そこでは「笑い」を減らしてまでも人間を描くことに思い切ってシフトした作者の工夫が感じられます。
 たとえば「サザエさん」でおもしろおかしいエピソードをやらかしたあと、一人、薄暗い台所で味噌汁を作るサザエさんの後ろ姿をインサートするだけで、そのエピソードの意味は大きく変わります。
 視点を変えることによって、意味が変わっていくので、自由に移動してもいいのですが、意味の変化まで意識しておかないと、あとで読者は混乱します。
 つまり、自由に視点を移動してもいい。読み手がついてこられる範囲なら。ただし、視点を変えると意味が変わることに無頓着であってはいけないよ、という感じでしょうか。 なお、こうした書き手の気持ちは、かなりの率で失敗(空振り)します。落語でもオチまでいっても「?」となる噺があるのと同じですし、映画でも「このシーン、なに?」となることがあるのと同様です。
 ただ、空振りになるかもしれないけど、振り続けなければならない。それが表現者の宿命というか業なんだろうな、と思っています。 

(協力:エピキュリアン ガスマスク イスラエルタイプ


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★便所虫の歌★


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週末にマリカとして苦痛を求めてさまようOL。掲示板で出会う相手の要求のままに、激しい苦痛にもだえ苦しむ。その間の記憶は失われ月曜には勤務先に出社する。そこに別のマリカが挑戦してきた……。どちらがホンモノか決着をつけることに。負ければ永久便器となる。



★折檻部屋の風夏★
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父母を香港のゴミ焼却所で惨殺された風夏は、大金持ちから一転して逃げ回る生活に。最後に学生時代の女友達を思い出して訪ねる。卒業前に奴隷になると誓っていたのだ。だが女友達は風夏に過酷な指令を出し続ける。ノワール風味の漂う作品。



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物語の物語 キリの良さに注意(異型尿道ブジー)

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。昨年11月以来のコラムです。なんだかんだと90回近くなっていますが。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

キリの良さ。人間は無意識に「ちょうどいい」の快感に気持ちが左右されます。音楽に関して言えば、ちゃんと割り切れる音の並び、ハーモニーが快楽になることが多く、ズレたり途中で切れるとモヤモヤが残ります。
 物語でもたとえば「起承転結」であるとか「序破急」であるとか、大きな構成部分でもピシッとしていると気持ちがいいでしょうし、セリフの文字数なども、ビシッと整うとカッコいいと思えたりもします。
 ですが、物語ではキリの良さから気持ちよくなったときが、要注意だと私は思っています。ツイッターだったらビシッとしていい感じですが、物語は必ずしもそうではありません。
 読みやすくわかりやすい点ではキリよくカッコよくするといいものの、リズムの良すぎる文章は、読み手からするときれいに流れすぎて、印象に残らない。または、作為が強すぎて馴染めない。そもそも、キリのよさを読者はそれほど重視していない、という点を忘れがちなんです。
 書き手の快楽は、読者の快楽になるわけではないのですよね。なるときもあるけど、必ずではないので要注意なのです。
「このあたりでキリがいいから、オチにいこうか」と思っても、書き手の気持ちよさが優先していると、あんまりうまく行きません。
 文章のリズムはとても重要で、私も大事にしています。同時に、それを崩すことも大事にしています。
たとえば、翻訳された海外の小説のリズムは、翻訳家によって整えられています。原文のリズムと必ずしも一致しません。だから訳文の正確さは大切ですが、それ以上にこのリズムの作り方というか流れが重要になります。成功することもあれば、今一なこともあります。
 ただ、私は翻訳小説を読んでいて、このリズムとの格闘にいつも楽しませてもらっています。「ここはこうした方がもっといいけど、やらなかったことには理由があるかもしれない」と思ったり、「妙なリズムだけど、このほうが原文の雰囲気に近いのかも」などと想像してみます。
 時には日本語の文章として、醜悪とさえ思えるような奇妙なリズムに出会うこともあります。それがまた、おもしろい。
 日本の文学では海外文学の翻訳や翻案が重要な役割を果たしています。著作権がいまほどうるさくなかった時代には、やり放題で盗作とは言いませんが、翻訳や翻案も盛んでした。人物名も日本名にし、場所まで日本に移してしまう。日本の風俗を取り入れた描写を加えてしまう。
 完全に日本のリズムにしてしまうのです。
読み手にとっては、正確な翻訳以上に日本的なリズムが重要で、人名を日本名にしてしまうのはとんでもないことですが、リズム的にはきっとよくなっているのです。
 いまではこうした強引な翻案はまずありませんが、「超訳」という発明もあるように、読者に寄せていくとなんらかの「適当さ」を挟むことによって、強引に慣れたリズムに引き込むのです。
 私としては、たとえば欧米のロックやジャズのリズムとそこに乗せる歌詞の関係などから、ヒントを得るように、海外の異なるリズムに触れることで、自分の作品にも変化をつけられるような気もしています。
 多くの作品を読むことは、こうしたリズムについて考える点でも有効なことでしょう。
それに加えて、自分の中にそもそもあるリズムもあるのです。
 キリのよさといった「世間一般で認知されたリズムのかっこよさ」に流されると、本来の自分のリズムが犠牲になってしまう可能性が出てきます。
 他の作品、翻訳小説などから新しいリズムを知ることも大切ですが、せっかく自分で書く作品なら、自分らしいリズムを生かしたいはず。
 キリのよさ、気持ち良さに流されると、せっかくの自分らしいリズムを失ってしまい、誰でも書くのことのできる当たり前の文章になってしまう可能性があります。物語の構成も同様で、常識的な構成に頼りすぎると、自分らしさが減ってしまう恐れもあるでしょう。
物語でもっとも大事なことは、言いたいことを伝えることだ、と思っている人も多いと思います。
 私としては言いたいことも大事かもしれませんが、それは書き手の動機に過ぎず読者にとってはそれほど需要ではないと思っています。
 それよりもせっかく自分が語るのだから、なんらかの爪跡をしっかりと残したい。この爪跡はすぐにはわからないものかもしれませんが、その人ならではのものになるはず。
 この点で自分特有のリズムで描くことも爪跡になります。文学賞で地方の方言を取り入れた作品が目に付くのは、それが日本的であるというだけではなく、標準語とは違うリズムが入ることで、著者の独自性が浮かび上がりやすいからだと私は思っています。
私は方言を使った作品は書いたことはありませんが、独自のリズムは生み出したいと思ってはいます。
だから、キリの良さ、気持ちよく決まるときには「大丈夫かな」と気をつけるようにしています。
書いたときにはわからないとしても、再読するとだいたい気づきます。もちろん、あえて心地良いリズムで書く部分もあります。そのバランスをできるだけ工夫したいとは思っているのです。

(協力:エピキュリアン 異型尿道ブジー


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★小説「亜由美」第一部★
亜由美第一部

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女子大生となったばかりの亜由美。剛介との出会いから、自らのマゾ願望がいっきに開花。理不尽な辱め、処女喪失、輪姦からはじまってタップリ、被虐を味わうことになります。



★小説『亜由美』第二部★
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メス豚女子大生となった亜由美への本格的な調教が繰り広げられます。大学でも便所でも商店街でも……。苦悶と快楽が彼女の日課になっていきます。


★小説『亜由美』第三部★


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メス豚女子大生・亜由美の完結編。壮絶な輪姦合宿から同じ大学の女子を巻き込んでの拷問実験へ。連載時にはなかったエンディング。


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【お得セット】貞淑四十路転落調教 風間ゆみ 牧原れい子 桐嶋綾子
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物語の物語 創作者の闇(目あきマスク)

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。驚いたことに、5月半ばからのご無沙汰です。「コラム書けない病」がこれほど長引くとはおもいませんでした。ということで、今回は病み上がり(?)の弁明「創作者の闇」について考えてみます。

 物語を語る者は、物語と自分との距離感を常に一定に維持していることが平安のためには大切です。これはたとえば役者さんが役に入り込むとき、そして公演が終わってそこから抜けるときの技術に似ているでしょう。
 入ったり抜けたり、いわば憑依したり脱けたりといった行為は、ある意味の「魔法」が必要です。
 人によっては酒を飲み、人によっては旅に出て、人によっては寝て起きればOKということもあるでしょう。
 ただ、この距離感はあるとき蜜月を終えるのです。それは「業」とも呼べるある意味の「欲」であり「誘惑」であり「使命」によって起きるのです。
 物語で考えれば「もっとおもしろい話」と求める気持ち、「これまでにない話」を求める気持ち、または外部からのそうした期待や要請によって、「これまでの距離感ではダメだ」となる時が来るのです。
 または、井戸に喩えればこれまでは5メートルのところに水面があったのに、いつしか水を汲むペースが速すぎて6メートル、7メートルと深くなっていくようなものです。
 いままでとは違う距離感で水(物語)を汲み取る必要が出て来たとき、それなりの時間と労力がかかります。いわば負荷です。
 こうしたことが人を成長させることもあれば、平安を壊してしまうこともあります。
 物語にのめり込むとき、語り手はふとどこまで深く入ってしまったかを見失い、日常から遠くへ行ってしまっていることにも気づきません。
 このため日常のある部分が壊れます。または心の一部が壊れたり再構築されたりします。人生が変わってしまう人もいるかもしれません。
 それは必ずしも恐怖や痛みを伴わない行為なので(むしろ喜びだったりします)、物語に取り憑かれていくことを止めることはできません。
 どこで気づくかは、人によって違います。物語に関していえば、間違いなく読書体験の量と質によってこの気づきは得られます。過去の体験でも問題ありません。物語の世界は、物語によって解決するしかないので(そうしないと心が取り戻せない恐れがあります)、ほかのどんな体験でも解決はしないのです。
 ムリに引き離すと、心は物語に入り込んだまま、肉体は現実に戻ることになり、とても危険な状態になり得ます。必ずではないですが(個人差が大きいです)。
 私がしばらくコラムを書けなかったのは、物語世界に完全に入り込み、そこでしか物を考えることができなかったからで、いわば創作脳(このほか日常生活用の脳もあるわけですが)がどっぷりそこに漬かってしまったと考えられます。
 物語を書いている自分を客観視できません。日常生活はできます。もっと酷くなると日常生活もできなくなる人がいます。
 コラムはいわば現実を見る目です。その目が物語を考えて創作している自分をまったく捉えることができない。日常は見えますが、それを書いてもつまらないので書きません。
 というわけで、私の中ではそんなことが起きていたのではないかと、いまの段階ではこうして書くことができるのです。ただ、その中に入っていたときには、そんなことさえわからないのです。
 幸いにも日常生活が困難になるほどではなかったので、こうして戻ることもできていますし、潜在的には「戻りたい」という意志があったと思います。現実に絶望している物語づくりの人は、その退路も断たれているのでより厳しい状況に陥る可能性があります。
 物語についての危険性はすでに何度かここで書いているとは思います。気軽に小説を書くとか、詩を書くといったことは、趣味の範囲を越えない程度にはいいですが、のめり込んだときにこうした危険性が間違いなく高まっていくのです。
 私は自分で創作しそれを編集して刊行するので、どこかで創作者から編集者へ視点が切り替わっていたはずなのに、ホントに長い期間ダメでした。
 今回けっこう深く入った部分もあって、それが今後の作風にも変化を与えることは間違いのないところでしょう。次に、もっと深いところに行ってしまうのか。それとも、二度とそこまで到達することはないのか。それはわかりません。
 より高い頂きを目指して死ぬまで登り続けるクライマーがいるように、物語の世界でも退路を断ってまでのめり込みたい誘惑は常にあると思っていいでしょう。
 体力ある限り、書きたいと思ってきた私ですが、これはもはや体力の問題ではなくなってしまいますね。
 もっとも、ここでは物語のことでしか話をしていませんが、こうした「戻れなくなるほどのめり込む」ことは、恋愛、性愛、欲望などさまざまな分野で起こることだと思います。人間は、なにかにのめり込み、そのままはまり込んでいきたい、という願望があるのかもしれません。
 それが多くの人にとって喜ばしいのめり込みであればいいのですが……。
 最後に、この症状はあくまで物語を創作する者に生じることで、物語を読んだり楽しんだりするみなさまに伝染することはありませんので、ご安心ください。

(協力:エピキュリアン 目あきマスク アマデウス


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★M穴地獄―デッドライン―★
 

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自虐の虜となった女子校生が自分の肉体破壊に突き進んでいく。物語はデッドライン(引き返すことのできないところ)に向かって、エンディングと発端から交互に描かれる。結末はわかっているのに、読み進めるしかない破壊的な磁力を発する作品。



★玩具にしてください! 変態女子校生・菜津希★
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陸上部の女子・菜津希はそのことが頭から離れない。練習中に公園の隅に暮らす汚れた人たちを見たときから、肉体をその人たちに汚してほしいと願うようになる。それはやがて理解者であり脅迫者でもある人物を得て輪姦願望へとエスカレートしていく。鍛えた若き体を汚辱する快楽。

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あやみ旬果を、飼いならす。 3
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物語の物語 道化の重要性

 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。GWも終わり5月も半ばとなりました。初夏ですね。暑すぎる日もあったりしつつ、梅雨らしい天気もあったり。外で過ごすにはいい時期ですね。

 物語には、道化役が不可欠です。道化とは、「戯ける(おどける)」から転じてオドケ→ドケ→ドウケとなったとの説があります。戯けている人です。
 道化は、トランプでいえば「ジョーカー」です。バットマンのシリーズでは、ジョーカーは重要な悪役です。またサーカスでは道化といえばピエロです。ピエロもまたホラーの世界では怖ろしい存在だったりもします。
 道化の利点は、「無私」にあります。自分のことは横に置いて、とにかく他者に向かって働きかけることに徹します。悲しんでいる人を慰めるステキな行動をする一方、怒っている人を揶揄してさらに怒らせもします。周囲の人たちは立場や損得で言えないようなことをズバッと言ったりもします。
 人の心に訴えることが第一で、自分のことは後回しになっているのです。戦場にも緊張をほぐすための道化は必要ですが、道化はどんなにがんばっても勲章は貰えません。哀れまれたりバカにされることはあっても、です。
 その状態にいられる人物でなければ、道化にはなれないわけです。
 道化は、周囲の人たちの感情に踏み込んで「あなたはいまこんな状態」と知らしめる。さらに具体的な行動へ向かわせるきっかけを作ります。心理的な鏡なのです。
 西洋では妖精の存在が信じられていたり、日本でも妖怪の存在が信じられていたりしますが、人々は「どうしてこんなことをしたのかわからない」と思うような行動に出ることがあります。恋愛はその典型ですし、それ以外にも犯罪行為、悪事、または善行、人助けも同様です。
 あまりにも振れ幅の大きい、想像のつかない行動のきっかけとして、妖精や妖怪を利用することがあるように、芝居などでは道化役によって物語が展開していきます。なんでも妖精のせいにしてもいいのですが、リアリティを求める作品には馴染みません。道化はそのときに活躍してくれます。
 観客(読み手)にとって、道化は無視していい存在です。中身は空っぽで、その人物像ははっきり言ってさして興味はない。取るに足らない人物だからこそ、その言動は周囲を振り回す力を持つのです。
 物語をおもしろくしてくれるのは、妖精や妖怪のようにパワーのある道化です。パワーはあるけど、取るに足りない存在。そういう人物を上手に配置することで、行き詰まった物語はいっきに展開します。
 小説では、明確な道化役を設ける以外に、その場面ごとに一時的に道化役になってもらう手法も多く取られています。道化役を設定すると読者は「こいつが動くとなにかが起きるぞ」と予見させますが、登場人物の誰かがその時だけ道化になる場合は予見が難しい。
 物語は予見させてワクワクを提供する方がいい場合もあれば、予見させないサプライズを重視する場合もあるので、目的に応じて道化役を使い分けるのです。
 ただし、道化役は中身がないこと、または無私であることが重要ですので、主要な人物が突然、道化になると読者は戸惑い、理解できなくなることもあります。むしろ、主人公の親とか、最初から登場しておきながら「立場」のみで行動していた人物(社長、取引先、先生……)などに道化をやってもらう方が自然です。
 中身のない人物の利点は、読者が「どうして?」とか「なぜ?」と思わないからです。物語の本流を意識して欲しいからこそ、読者がスルーできる人物に道化をしてもらうわけです。
 この点で、中身のある人物(主要な登場人物)に、場面に応じて道化をしてもらう場合には伏線を張っておくべきかもしれません。
 とはいえ「父親」とか「社長」のように突然なにかを言い出しても「しょうがない」存在のときは、それを大いに利用すべきですね。
 道化が物語を動かすとき、大げさな事件にするだけではなく、さりげなく背中を押すやり方もあるので、読者が誰が道化か気づかないままに物語を進めていくこともできます。これは書き手(語り手)だけが意識していればいいことで、読者(聞き手)には意識されなくても構いません。
 たとえば主人公が恋人を病室に見舞いに行ったとき、そこに居合わせた恋人の親兄弟とか友人、または医師、看護師などに道化役をしてもらうのです。
 物語を動かす力を発揮するのに、主要な人物ではない、という点に工夫のしがいがあります。たとえば将軍が思いつきで命令を発し、主人公である家臣たちが苦労する話。将軍が道化です。この結果、最後に家臣たちを褒める役も将軍だったりします。物語は、読者と一緒に喜びや悲しみを分かち合う人物を配置することも大切ですので、道化役に兼ねてもらうと便利ですし登場人物を圧縮できます。
 物語では、登場人物をやたら増やすと、誰が誰だかわかりにくくなっていく傾向があるため、役割ごとに人物を作ってしまうのではなく、複数の役割を同じ人物に持たせる方がよく、その役割分担しだいでは、より感動が深くなることも多いのです。
 難問を提示するのも将軍なら、主人公たちの行動を認めて謝罪したり、褒賞するのも将軍です。さらに主人公たちを窮地から救う役も持たせることができますし、うまく行きかけていた主人公たちをどん底に突き落とす役もできます。
 それでいて、読者にとってはあくまでも脇役または泡沫の存在であることが、道化にとっては動きやすく機能を発揮しやすいのです。


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★『先輩はマゾビッチ』★
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アイドルのようにかわいい佐波幸菜をマゾビッチにしていく「ぼく」。サークルの仲間たちとザーメン漬けにして妹の美少女菜々子を呼び出して、調教はいよいよ本格化。さらにミスサークルに出場させることになり……。


★『自虐姉』★
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姉のミサは自虐癖が強く、恥ずかしいことや痛いことが大好き。心配しながらもそんなミサを欲望のままに使い倒す弟。念願の2人暮らしはやり放題の危ない日々に。やがてアパートの住人たちを巻き込んでいきます。


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あんぷらぐど

Author:あんぷらぐど
 アクセスいただきありがとうございます。このブログは18歳未満はお読みいだけないアダルトサイトです。
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 なお本ブログに掲載している作品の著作権はあんぷらぐどに、出版権は電子も含めて荒縄工房にあります。無断転載・印刷・流用はできませんのでご注意ください。

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ペンネーム「あんぷらぐど」
1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
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