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物語の物語 語らない物語

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 よく物語で問題になるのは、「リアリティ」です。私はあまり気にしていません。
 リアリティとは読み手の主観です。さすがに、不特定多数の読み手のみなさんの主観は、物語に浸かっている書き手にはわかりません。
 もし推測できたとしても、その主観に向けたメッセージを物語に盛り込むことはできたとしても、そこにリアリティがあるかどうかは、わかりません。そして、メッセージはたいがいの場合、物語にとっては邪魔というか、それほど意味がないのです。むしろ、メッセージこそ読み手の主観で勝手に読み取っていいものなのですから。
 リアリティのために描写を濃くするべきなのでしょうか。これも、そうだとも言えるし、そうじゃないとも言えます。
 動きのある物語で、スピードの妨げになるような細かい描写は邪魔でしょう。かといってある程度の描写がないと、読み手は物語の世界がよくわからないまま、どんどん進んでしまって、わけがわからなくなる可能性があります。
 物語でのリアリティは、むしろ「不自然さ」の問題ではないか。意図した不自然さはいいのです。それはいわば伏線であったりキャラだったりするので、書き手は意図的に不自然に描写するのです。たとえば、自分のことを「ぼく」と呼びオッサンのような話し方をする女子校生、といった設定ですね。
 一方、意図しない不自然さは読み手を混乱させるだけ、となりやすい。たとえば女子校生らしくない言動、教師らしくない言動といったものです。それが意図されていない場合はほったらかしなので、読み手にとっては「リアリティがない」と感じるわけです。
 かといって、2018年に存在している実際の女子校生の会話をそのまま収録したような作品を作ってもいいのですが、もしそれを2020年に読んだら、おそらく「古い」と感じてしまう可能性があります。2年とか3年で変わってしまう「いま」というリアルは、物語にとって必要かどうか。
 つまり、リアリティの追求は、場合によっては早く陳腐化する危険性を孕むのです。
 もしも、20年前に17歳の人が書いた小説で、いまでも17歳の人が読んで自分のことのように楽しめるとすれば、そこにあるリアルとはなんでしょうか。
 20年前には、LINEもスマホもないのです(iPhoneは2007年)。クイックペイもないし、スイカのようなICカードで乗車することもない(Suicaは2001年)。当然、20年前の連絡方法や移動の描写をリアルに書けば書くほど、違和感が増幅していく可能性があるでしょう。もちろん「20年前らしさ」を楽しむ点では、こうした当時ならではの話がおもしろかったりもします。
 ですが、たとえばミステリーのショートショートでとてもいい作品なのに、たった一言「フロッピーディスク」という単語が出たとたん、なんだか残念な気持ちになったりすることもあるでしょう。
 これは、もうホントに読み手の気持ちしだいなのです。
 当時はかっこよかったかもしれない「Macintosh」(マッキントッシュ)と表記されたパソコンが登場する作品などもそうですね。
 まだ「マック」(Mac)ならいまも普通に使われますが、会話で「君のMacintoshが、うらやましくてさ」といった感じになっていたら、読み手として「うーん」となっちゃうかもしれません。
 パソコンを「パーソナル・コンピューター」と表記したり「マイコン」と表記したり。時代によって変わってしまうのはしょうがないことなのですが、そこをどこまで描くかは、書き手としては配慮すべき点でしょう。
 有名な場所、建物、店が、なくなってしまったり、変わってしまう点も重要なポイントです。たとえば渋谷の「109」は多くの人が知っているランドマークですが、それだって1979年のオープンですから、昭和を語るときに、それ以前かそれ以後かでまったく渋谷の風景は変わっています。
 いまならそれを意識できますが、私たちがいま現在目にし手に触れ利用しているリアルが、いつまで通用するのかは、さすがに予測は難しいのです。
 だからリアルを求めるにあたって、なんでもかんでも「いま」を描く必要はないのです。それはムリだし、やっても無駄骨になる可能性が高く、いまそれを描く意味を書き手は意識して選択しなくてはならないのです。
 たとえば、歌舞伎役者の子が初舞台で「桃太郎」を演じるのを見て、歌舞伎の歴史が400年あるからと、桃太郎のスタイルも当時からあるのかと勘違いするかもしれませんが、「昔噺桃太郎」という演目は千谷道雄作とされていて昭和34年に演じられ、その後の「桃太郎」もその時代に合わせて変化していたりするのです。
 なにが言いたいかと言えば、桃太郎の衣装をみなさんも思い描くと思うし、その格好こそがリアルな姿に感じるかもしれませんが、室町時代に生まれた物語の当時は、きっといまとは違う服装だったに違いないのです。
 いまの私たちが、桃太郎のリアルを考えるのは、なかなか難しいでしょう。
 物語とは、そういうものだ、とも言えるわけです。つまり、語る部分と語らない部分を書き手がどうコントロールするかによって、読み手の感じるリアリティは大きく変わってしまうのです。
 その点で、語らない部分はとても重要になっていくでしょうし、そこを読み取ろうとする読み手の想像力と合わさることで、はじめてリアリティが浮かび上がるのではないか、と思うのです。

(協力:エピキュリアン スタッグビートル(黒い鼻フック)


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★M穴地獄―デッドライン―★
 

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自虐の虜となった女子校生が自分の肉体破壊に突き進んでいく。物語はデッドライン(引き返すことのできないところ)に向かって、エンディングと発端から交互に描かれる。結末はわかっているのに、読み進めるしかない破壊的な磁力を発する作品。



★玩具にしてください! 変態女子校生・菜津希★
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陸上部の女子・菜津希はそのことが頭から離れない。練習中に公園の隅に暮らす汚れた人たちを見たときから、肉体をその人たちに汚してほしいと願うようになる。それはやがて理解者であり脅迫者でもある人物を得て輪姦願望へとエスカレートしていく。鍛えた若き体を汚辱する快楽。

エピキュリアン1

今日のSMシーン

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物語の物語 不公平と偏在

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 音楽では、サビ(ブリッジ)にいくまでのAメロ、Bメロという「旅」があります。その前にイントロ(つかみ)があります。そして最後にアウトロ(余韻)があります。
 ですが、私たちが曲を聴いて最初に覚えるのはサビ。つぎがイントロでしょうか。かつて「イントロクイズ」があったように、強烈で印象的なイントロで曲名を思い出せる人は多いのです。
 それでいて、Aメロに入ったとたん「ふふふふーん」と怪しくなる人も多いはず。このあと高くなるかと思えばならず、低くなるかと思えばならず。そういうメロディーが続きます。そして待ちに待ったサビ。ここで大合唱。
 つまり曲の「いい部分」がサビに凝縮されている。イントロに凝縮されているということです。
 物語は、不公平と偏在から成り立っています。

 物語は何度も繰り返して楽しめる音楽と違い、長い作品だと一生涯に一度きりしか読まない場合がほとんどでしょう。
 そのとき、読んだ者に残るのはイントロなのかサビなのか。明確に残るのはアウトロだったり、全体を通してインプットされた雰囲気だったり、印象的なシーンやセリフだったり。不公平なようですが、書き手も読み手もどこかに注目し、それが凝縮されたところに熱くなるのではないでしょうか。
 つまり、濃い部分が自然に、または意図的に出来てきて、そこだけが印象としていつまでも残るのではないか、と思うのです。
 その意味で、物語の構成をこうした音楽であるとか、耳にタコができる「起承転結」などになぞらえて考えることに、どれほどの意味があるのかなという気がしてなりません。
 むしろ、一度きりの一筆書きの旅なのですから、そんな明確な構成をしっかり作ってから書くなんてあり得ないのではないか。
 大切なことは不公平さと偏在にあるのではないか、と思ったりもします。
 起承転結で構成を考えると、濃淡の差があまりない、かえってつかみ所のない作品が出来やすい気がするのです。
 物語は平等ではない。不公平です。そして偏ってるのです。明らかな濃淡を描くことのほうが構成より大切な気がしてなりません。
 連載マンガはいつ終わるかわからない。場合によっては永遠に終わらないかもしれない。先日、完結が話題になった「ドカベン」は、最初柔道マンガではじまったのですが、途中で野球にチェンジ。中学時代は柔道、高校進学で野球となっているので問題はまったくないのですが、大胆です。
 書く前からそんな構成を思いつく人は少ないでしょうし、思いついたとしても柔道編で打ち切り(完結)となっていても不思議ではありません。
 ですが、「ドカベン」には大きな意味での濃淡が明確に作り出されており、愛読者にとってはその濃い部分の印象は長く残っているのではないかと思います。
 どこを濃くするか。どこを薄くするか。いかに不公平に表現するか。それが大切なのではないでしょうか。
 通常、作者の頭の中には、大まかな構成(大好きなストーリー)が常に存在していて、表に出せるのはそのうちの一部だけです。
 一人の人間が生み出す作品は、何作だろうと全体で一つの作品だと考えることもできます。
 私自身、いま書いているものは、頭の中にある大きな構成の一部を抜き出しているのではないかと感じることもあります。
 その中でも不公平は生じます。なにかを公平に表現するなどということは、表現にとっては意味のないことではないかとさえ思うのです。
 たとえば、町の姿を詳細に描写するのか、それとも草の葉にのっている一滴の露を詳細に描写するのか。それは書き手の自由です。
 濃淡をしっかり作ることができれば、読者は濃い部分か、あるいはむしろ淡い部分の印象が残りやすいはずです。
 読む側として「おもしろい」と思える部分は物語のどこかに偏在しています。ですが、読者のことを書き手はわかっているとは言えないので、いくつかの偏在を意図的に仕掛けていくことになります。
 スポーツ漫画では、大きな流れでは、競技を通して主人公たち成長すること。成長を実感するなにかを得ることで終わるのです。
 そのための練習場面だとか競技場面も多くなるので、そこにいかに濃淡をつけて描くかは大きな問題です。なにかをくっきりと浮かび上がらせるようにしたいのが作り手の思いでしょう。野球でいえばスコアボードのように数字が淡々と並ぶような作品では、読み手はちょっと楽しめません。
 点を取るシーンか、点を取られるシーンか、点が入らないシーンか。そうした中から選んで濃く描く必要があります。
 スコアボードでは「0」ですが、その「0」に至る物語がたっぷりあっても不思議ではないからです。ですが、9回分の表裏のどの回のどこの「0」かに、濃い部分が潜んでいる可能性はありますが、すべての「0」ではないのです。飛ばしてもいい「0」もあるからです。
 この長い旅のどこに「おもしろさ」を見つけるかは読者によって違いますので、複数のキャラクターを配置して、ストーリーを多層的に複雑にし、多角的に描いていくことになります。大胆に視点を変えていく必要も出て来ます。
 ストーリーや構成は音楽よりも複雑にしてもかまいません。舞台やキャラクターを安定させることで、物語を見失うことはあまりないはずです。とくに成人を対象にした作品なら、「もっとシンプルに」とか「わかりやすく」といった指導的な意見には徹底的に逆らってもいいと私は思っています。
 いかに濃い部分を濃く表現するか、薄い部分を薄く表現するか。そこには思いきり気持ちをこめていいのではないでしょうか。

(協力:エピキュリアン 頚椎固定ギプス(ギブス)


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★堕ちる AとV 1★

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水絵は拒絶しながらも体は求めてしまう。被虐世界に流されていくOL。発端はAV出演疑惑。同僚たちに裸にされて比較され、やがて同僚たちの嗜虐性に火をつけてしまう。奴隷として私物を没収され、野外露出、浣腸、拡張、種付けとエスカレートしていく。


★乱舞★
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その恋は危険な世界への扉だった……。勤務先のエレベーターで見初めた彼女は、とあるバーでアルバイトをしていた。彼女を雇うことにし、同時にオフィスでの調教をはじめる。自分の求めた女なのかを確かめるように、過酷な責めを課していく。やがて取引先の接待要員に使うことに。果たしてSMと純愛は両立するのか。


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物語の物語 継続と勇気

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 いまでは、誰でもネットで小説を発表できます。私も少しはウォッチをさせていただいてますが、たくさんの作家たちが多種多様な作品を発表しています。
 作品の中には連載を開始したものの、なかなか最後まで書き切れていないものも散見されます。大多数は完結し、いくつもの作品をつぎつぎ発表しています。おそらく、ほとんどの人は、日常の中で執筆にあてる時間は不足していると推測しています。
 少ない時間で作品を執筆するのは大変なことでしょうし、なによりもコツを掴むまでにある程度のムリというか努力が必要です。このムリや努力の時間すらないと、いつまでもコツをつかめないままになります。
 逆上がり、自転車、水泳。コツが掴めるとたいがいの人は、選手にはなれないとしてもできるようにはなります。
 逆上がりは私は苦手で、小●生のときどんなに練習してもコツが掴めず、中●生でふとやってみたら、簡単に出来て「なぜ出来なかったのか」と不思議でした。
 自転車は最初の三日であきらめそうになりましたが、四日目に乗れて「なぜ乗れなかったのかな」と思いました。
 水泳はその日に泳げたので、苦労した記憶がありません。
 このように、人によってどこで壁にぶつかるかは差があるので、物語を生み出すに当たっても、個人差は大きいのでしょう。
 ただ言えることは、好きなこと、やりたいことなら続けるべきです。うまくいかなくても構わないのです。続ける。続ける勇気を持つことです。
 この勇気は、それほど大げさなものではありません。だって物語ですからね。正直、逆上がりや自転車や水泳に比べても、「どうでもいいこと」に近いジャンルです。
 ところが、逆上がりや自転車や水泳には「できる、できない」の差はあるものの、そしてもちろん競技になれば高いレベルでの差があるものの、「できる」という点だけに限れば、それほど個性とは関係がありません。
 それが物語になると、いきなり心理的な壁にぶつかるのです。自分をさらけ出すことになる。自分の好きなものを晒すことになる。自分の考えていることや知識を全部、見せることになる。
 その意味で、どのように小さな物語(落語で言う小咄)でも、全身全霊で取り組まないと書けません。
 大げさですけど「全身全霊」だから、書く時間と継続性が重要になります。
 どうやって時間を作るかは人それぞれ。全身全霊で物語を見つけ紡ぎ出すことは、生きている間にしかできません。それは学業や仕事や家事をしながらでもできます。
 逆上がりや自転車のように、コツをつかめば、24時間、なにをしていても物語を生み出すことができます。
 他人の物語はこうはいきません。全身全霊で取り組めるのは自分の物語だけです。他人の物語は、「仕事」の範疇に入ります。
 自分の物語を書くことは、勇気がいります。でも、私たちが本当に本気で全力で書けるのは自分の物語だけなのです。
 途中で書けなくなる物語は、きっと自分の物語ではなかったのでしょう。もっと自分に引き寄せなければなりません。これも、ちょっとした勇気を必要とすることでしょう。
 もちろん、物語の影に自分を隠すことも私たちにとっては必要なことでしょう。ですから、自分とはまったく関係のない世界の物語を必要とすることもあるのです。
 でも、必要としているのですから、これもある意味の自分の物語なのです。だって、必要なんだから、それがなければ生きていけないのですから、なにをしていてもこの物語はあなたの中でどんどんと生み出されていくに違いありません。
 一方、他人の物語を生み出そうとしてムダな苦労をしない勇気も持ってください。それは思いきりあきらめてください。自分が書くべき物語ではない。だから書けないのですし、書く時間もないのです。時間や仕事や学業を理由に「書けない」とき、それは自分が書くべき物語ではない、つまり他人の物語なのです。
 どんなにいいアイデアやプロットでも、そんなものに時間や労力をかける必要はありません。人生の無駄です。もしそのアイデアやプロットに固執するとき、他人の物語であることを明確に意識すべきです。
 他人の物語を書き続けられる人は、それを仕事にした人だけです。いわゆるプロ。商業的に書くことを仕事にした人です。
 残念ながら仕事(つまり金銭的な対価が得られ、生活ができる)にできる人はごくわずかです。
 そして他人の物語を書く苦悩は、自分の物語を書く苦悩とはまったく違います。そのプロセスは、「他人の物語」をいったん「自分の物語」にしていくという複雑なものです。
 先に書いたように、私たちが全身全霊で取り組めるのは自分の物語だけなので、他人の物語を書く仕事を成功させるには、いったん自分の物語にしなければなりません。
 せめて、自分の中の一部、またはすぐ近くに置かなければ、書けないはずです。これは、俳優が役になりきるのと似ています。
 この点では、まず自分の物語を書くことができた上で(それがおもしろいかどうかは関係ありません)、次に他人の物語を技術的に自分の物語にしていくプロセスを学ぶ必要があります。そして、その学び方は、人によって違います。なぜなら自分の物語を書くコツを得るのも、人によって違うからです。
 天才的に最初からできてしまう人もいれば、苦労する人もいるのです。
 いずれにせよ、継続できるかどうか。継続する勇気を持てるかどうかに、かかっていると私は思います。

(協力:エピキュリアン 穴あき尿道リングプラグ


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★共用淫虐妻・千春★

DLSiteのみで販売しています。小説『十二階』一部、二部を改題・改稿した作品です。
十二階に住む達也に頼まれ、千春の調教を引き受ける。彼女の奥底にある危ういまでの被虐性を知り、厳しい調教を行う。さらに達也の提案でマンション全体の「共用」として千春を住人に貸し出す。特殊なペットとして改造にも踏み出す。語り手の調教役を男性にし、一部の表現を変更。ストーリーは小説『十二階』一部、二部と同じです。



★小説『十二階』第一部★
十二階第一部
DMM.R18でのみ販売中。とあるマンションで人妻を徹底調教する。千春は夫の決断で同じマンションに住む敏恵に調教を委託することになった。激しくも甘美な調教で、昼夜を問わず若妻は被虐にどっぷりと染まる。



★小説『十二階』第二部★
十二階第一部

DMM.R18でのみ販売中。調教はマンションぐるみとなり、千春には衣服もプライバシーもなくなってしまう。住人に貸し出される人妻は、さらに苛烈な運命が待っていた。



エピキュリアン1


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【VR】W痴女M男調教 ヒール踏み、唾飲み、バラ鞭、ろうそく垂らし、革手袋手コキ
【VR】W痴女M男調教 ヒール踏み、唾飲み、バラ鞭、ろうそく垂らし、革手袋手コキ



テーマ : 官能小説
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物語の物語 視点の自由な移動

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた、物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

 小説を書きたいと思った人が、入門書などを読んでいくうちに、最初の方でぶつかる壁に「視点」があります。多くの先人たちによって、視点についての問題点が指摘されていて、三人称、一人称といったスタイルだけではなく、文中の視点の統一についてもうるさく言われています。
 たとえば三人称でも、登場人物の一人に焦点を当てて描くとき、その人物が知り得ない事項についてどう扱うか。どこでどのようなカタチで表現するか。これは工夫のしどころのある点です。ト書きのように神視点で著者(神)が描写してしまうのもありですが、それを避けたい場合もあるでしょうから、そのときの表現でよりおもしろくできる可能性はあります。
 一人称で書いてしまうと、その人物が知り得ないことは記述できないので、推測するしかなくなります。これも、表現のしようによってはおもしろくすることができそうです。
 文中の視点の移動は、主に三人称のときに混乱が生じやすいと言われています。そしてここに神経を使いすぎることによって、おもしろさが削がれる場合もあります。
 いま書いたみたいに、「よりおもしろく表現できるかも」という意味での制約に比べて、文中の視点移動は窮屈に考えると、おもしろさを削いでしまう可能性が高くなります。
 あまりに視点の移動を難しく考えすぎてしまうと、どんどん窮屈になっていき、書いていてつまらなくなっていくこともあると思います。
 私は以前はすごくこだわっていて、窮屈に考えていましたが、最近はとても緩くとらえるようにしています。要するに読者にわかれば問題ないんじゃないか。
 現在連載している「被虐の家」では、三人称のスタイルで、文中の視点はかなり頻繁に移動します。
 メインは姉妹(桃江、千絵)ですので、二人の気持ちを描写します。ただ千絵については不思議な存在でいてほしいので、あえて心理的な側面を深く描いていません。外から見える部分を中心にしています。
 桃江は夫のこと、自分のこと、妹のことで悩む存在なので、主人公でもあることからそれなりに彼女の視点で描く部分も多くなっていきます。
 加えて、彼女たちを好きなようにしたいと思っている河田と淵野。この2人にも視点は移動します。河田から見た姉妹、そして淵野やほかの人たち。淵野から見た姉妹、そして河田といった視点を書き込んでいます。
 比較的自由に視点が変わり、それぞれの考えが出てきます。私としては読んでいて混乱しなければ、こうした視点の移動は自由にやってもいいと思っています。
 映画でも複数登場人物の場合は、それぞれのアップであるとか、細かいカット割りによってスピーディーに視点を切り替えていくこともあるので、読者もそれを苦にしないのではなかと思っています。
 一方、「いいなりドール」は、一人称で主人公の視点のみで描かれるので、兄や家族がどう思っているのか、主人公の推測と見たままの描写になっていきます。
 ただ、一人称の場合では、この「見たままの描写」の中に読者にとっては「おや?」と思わせる部分をはさみ込んでみるといったこともします。主人公はそれを見ているけど、スルーしてしまうようなところに、のちに明かされる事態への予感を潜ませて、読者には先に気づいてもらう、といったことです。
 視点を自由に移動すると、複数人物の思いのすれ違いを立体的に表現できますが、読者にとってはそれが必ずしも楽しいとは限らないこともあります。
 すべてを知ってしまうと、先に対する期待が減る可能性もあるのです。
 書く側にとって便利なシステムは、必ずしも読む側にとっておもしろいとは限らないので、自分なりの制約は設けた方がいいかもしれません。
 物語は本来、口伝で一人語り、つまりいまの落語のようなもの。そこに語り手の気持ちや解釈が加わって、さらにおもしろさを追求していく世界です。
 小説表現の最初は、この口伝を文字で表現するところからはじまったわけで、日記スタイルはいわば書き手による一人称の表現でもあるわけです。そして「私が見聞きしたこと」を書くうちに、そこに登場する人物の気持ちまで推測するようになっていきます。
 書き手が自分の感情を、登場する人物に反映させたり、登場人物の気持ちを自分なりに解釈したりしはじめます。さらに、登場人物に憑依していき、自分のことのように語りはじめるのです。
 一人語りは視点を変えることがとても難しいものです。落語「芝浜」は酒好きの亭主としっかり者のおかみさんの話。ただ、おかみさんのしっかり度をどの程度描写するかは、語り手しだい。なぜなら最後の部分で、このおかみさんがやっていたことを、どのように表現するかは物語の核となるところだからです。
 でも、「芝浜」はあまりにも有名な作品なので、落語ファンはみなそのスジを知っている。核の部分(ミステリーでいえばトリック)を承知の上で、現代に生きる落語家からその話を聞くのです。
 このため、むしろおかみさんの心情にぐっと寄って演じることも可能になります。ネタバレしても、感動はあると思うわけです。
 酒好きのだらしない亭主という話は、落語にけっこうあるわけで、それが後半に様相が一転していくことが「芝浜」のよさであり、そこでは「笑い」を減らしてまでも人間を描くことに思い切ってシフトした作者の工夫が感じられます。
 たとえば「サザエさん」でおもしろおかしいエピソードをやらかしたあと、一人、薄暗い台所で味噌汁を作るサザエさんの後ろ姿をインサートするだけで、そのエピソードの意味は大きく変わります。
 視点を変えることによって、意味が変わっていくので、自由に移動してもいいのですが、意味の変化まで意識しておかないと、あとで読者は混乱します。
 つまり、自由に視点を移動してもいい。読み手がついてこられる範囲なら。ただし、視点を変えると意味が変わることに無頓着であってはいけないよ、という感じでしょうか。 なお、こうした書き手の気持ちは、かなりの率で失敗(空振り)します。落語でもオチまでいっても「?」となる噺があるのと同じですし、映画でも「このシーン、なに?」となることがあるのと同様です。
 ただ、空振りになるかもしれないけど、振り続けなければならない。それが表現者の宿命というか業なんだろうな、と思っています。 

(協力:エピキュリアン ガスマスク イスラエルタイプ


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★便所虫の歌★


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週末にマリカとして苦痛を求めてさまようOL。掲示板で出会う相手の要求のままに、激しい苦痛にもだえ苦しむ。その間の記憶は失われ月曜には勤務先に出社する。そこに別のマリカが挑戦してきた……。どちらがホンモノか決着をつけることに。負ければ永久便器となる。



★折檻部屋の風夏★
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父母を香港のゴミ焼却所で惨殺された風夏は、大金持ちから一転して逃げ回る生活に。最後に学生時代の女友達を思い出して訪ねる。卒業前に奴隷になると誓っていたのだ。だが女友達は風夏に過酷な指令を出し続ける。ノワール風味の漂う作品。



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物語の物語 キリの良さに注意(異型尿道ブジー)

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 こんにちは。あんぷらぐど(荒縄工房)です。昨年11月以来のコラムです。なんだかんだと90回近くなっていますが。「物語の物語」は、SM小説にどっぷり漬かる私が、ほぼ毎日作品を書き続けているときに気づいた物を語ることの不思議、おもしろさなどを綴っています。

キリの良さ。人間は無意識に「ちょうどいい」の快感に気持ちが左右されます。音楽に関して言えば、ちゃんと割り切れる音の並び、ハーモニーが快楽になることが多く、ズレたり途中で切れるとモヤモヤが残ります。
 物語でもたとえば「起承転結」であるとか「序破急」であるとか、大きな構成部分でもピシッとしていると気持ちがいいでしょうし、セリフの文字数なども、ビシッと整うとカッコいいと思えたりもします。
 ですが、物語ではキリの良さから気持ちよくなったときが、要注意だと私は思っています。ツイッターだったらビシッとしていい感じですが、物語は必ずしもそうではありません。
 読みやすくわかりやすい点ではキリよくカッコよくするといいものの、リズムの良すぎる文章は、読み手からするときれいに流れすぎて、印象に残らない。または、作為が強すぎて馴染めない。そもそも、キリのよさを読者はそれほど重視していない、という点を忘れがちなんです。
 書き手の快楽は、読者の快楽になるわけではないのですよね。なるときもあるけど、必ずではないので要注意なのです。
「このあたりでキリがいいから、オチにいこうか」と思っても、書き手の気持ちよさが優先していると、あんまりうまく行きません。
 文章のリズムはとても重要で、私も大事にしています。同時に、それを崩すことも大事にしています。
たとえば、翻訳された海外の小説のリズムは、翻訳家によって整えられています。原文のリズムと必ずしも一致しません。だから訳文の正確さは大切ですが、それ以上にこのリズムの作り方というか流れが重要になります。成功することもあれば、今一なこともあります。
 ただ、私は翻訳小説を読んでいて、このリズムとの格闘にいつも楽しませてもらっています。「ここはこうした方がもっといいけど、やらなかったことには理由があるかもしれない」と思ったり、「妙なリズムだけど、このほうが原文の雰囲気に近いのかも」などと想像してみます。
 時には日本語の文章として、醜悪とさえ思えるような奇妙なリズムに出会うこともあります。それがまた、おもしろい。
 日本の文学では海外文学の翻訳や翻案が重要な役割を果たしています。著作権がいまほどうるさくなかった時代には、やり放題で盗作とは言いませんが、翻訳や翻案も盛んでした。人物名も日本名にし、場所まで日本に移してしまう。日本の風俗を取り入れた描写を加えてしまう。
 完全に日本のリズムにしてしまうのです。
読み手にとっては、正確な翻訳以上に日本的なリズムが重要で、人名を日本名にしてしまうのはとんでもないことですが、リズム的にはきっとよくなっているのです。
 いまではこうした強引な翻案はまずありませんが、「超訳」という発明もあるように、読者に寄せていくとなんらかの「適当さ」を挟むことによって、強引に慣れたリズムに引き込むのです。
 私としては、たとえば欧米のロックやジャズのリズムとそこに乗せる歌詞の関係などから、ヒントを得るように、海外の異なるリズムに触れることで、自分の作品にも変化をつけられるような気もしています。
 多くの作品を読むことは、こうしたリズムについて考える点でも有効なことでしょう。
それに加えて、自分の中にそもそもあるリズムもあるのです。
 キリのよさといった「世間一般で認知されたリズムのかっこよさ」に流されると、本来の自分のリズムが犠牲になってしまう可能性が出てきます。
 他の作品、翻訳小説などから新しいリズムを知ることも大切ですが、せっかく自分で書く作品なら、自分らしいリズムを生かしたいはず。
 キリのよさ、気持ち良さに流されると、せっかくの自分らしいリズムを失ってしまい、誰でも書くのことのできる当たり前の文章になってしまう可能性があります。物語の構成も同様で、常識的な構成に頼りすぎると、自分らしさが減ってしまう恐れもあるでしょう。
物語でもっとも大事なことは、言いたいことを伝えることだ、と思っている人も多いと思います。
 私としては言いたいことも大事かもしれませんが、それは書き手の動機に過ぎず読者にとってはそれほど需要ではないと思っています。
 それよりもせっかく自分が語るのだから、なんらかの爪跡をしっかりと残したい。この爪跡はすぐにはわからないものかもしれませんが、その人ならではのものになるはず。
 この点で自分特有のリズムで描くことも爪跡になります。文学賞で地方の方言を取り入れた作品が目に付くのは、それが日本的であるというだけではなく、標準語とは違うリズムが入ることで、著者の独自性が浮かび上がりやすいからだと私は思っています。
私は方言を使った作品は書いたことはありませんが、独自のリズムは生み出したいと思ってはいます。
だから、キリの良さ、気持ちよく決まるときには「大丈夫かな」と気をつけるようにしています。
書いたときにはわからないとしても、再読するとだいたい気づきます。もちろん、あえて心地良いリズムで書く部分もあります。そのバランスをできるだけ工夫したいとは思っているのです。

(協力:エピキュリアン 異型尿道ブジー


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★小説「亜由美」第一部★
亜由美第一部

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女子大生となったばかりの亜由美。剛介との出会いから、自らのマゾ願望がいっきに開花。理不尽な辱め、処女喪失、輪姦からはじまってタップリ、被虐を味わうことになります。



★小説『亜由美』第二部★
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メス豚女子大生となった亜由美への本格的な調教が繰り広げられます。大学でも便所でも商店街でも……。苦悶と快楽が彼女の日課になっていきます。


★小説『亜由美』第三部★


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メス豚女子大生・亜由美の完結編。壮絶な輪姦合宿から同じ大学の女子を巻き込んでの拷問実験へ。連載時にはなかったエンディング。


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【お得セット】貞淑四十路転落調教 風間ゆみ 牧原れい子 桐嶋綾子
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あんぷらぐど

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 現在の掲載日程
※2018年9月30日からは下記の予定となっています。

火曜日・水曜日
 グランドSM~マゾな孫娘とエロジイジ
木曜日・金曜日
 被虐の家
土曜日・日曜日(フツー小説)
 露出の気分
月曜日
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ペンネーム「あんぷらぐど」
1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
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