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くされ作家のクズ箱 その15 残酷な文化と私

 くされ作家は、頭の中まで腐っている。したがって普通の思考回路はなく、異様な思考しかできない。足し算や割り算の答えを信じていない。1と1を足したら、2になるときもある。牛乳はそうなるようだ。しかし玉子はどうか。1と1のままだ。白身も黄身も勝手に混ざり合うことはない。
 2つの玉子をボウルにあけて箸で攪拌してみよう。たしかに黄身も白身も混じり合う。だが、それは1と1を足して2になったというよりも、2つの玉子を混ぜて1つのオムレツ用溶き卵になった、というべきだろう。

 私が「荒縄工房」はFC2というブログサービスを利用してスタートした。5年間、毎日多くの人たちにこのブログへ来ていただけるように心を砕いてきた。
 しかしいまや、このブログにはわけのわからない倫理規定が導入され、SMを排除しようとしているとの声が上がっている。
私に言わせれば、SMは人工的につくられたいたずらに人間の心をもてあそぶ概念ではない。そもそも人間に備わっているものであり、どのような教育を施しても変わらない。
 つまり人間の本質に密接に関連している要素である。
 支配する悦び、支配される悦び。支配する苦悩、支配される苦悩。もしそれがなければ、人間の営みから悦びも苦悩も、ずいぶんと減ってしまうことだろう。
 支配したりされることが悪いことだと思っている人はいないはずだ。理不尽に永続的にその関係が続く場合は、悪いことだと歴史が証明している。ただ、過去にはこの理不尽さは百年単位で継続している。歴史を学ぶと理不尽さしかないと言ってもいいほどだ。
 私たちはいまも支配したりされたりしている。ただし、立場を変えることがやりやすくなり、もちろんSM関係から遠く離れたところで生きて行く自由もある。
 暴力であるとかSMとかをエンターテインメントに取り入れているのには理由がある。
それは暴力もSMもないエンターテインメントはウソだからだ。
 確かに「ことさらにSM関係を卑猥に描くのはおかしい」と主張することはできる。ではどの程度が卑猥で、どの程度が許されるのか。その線引きは曖昧だ。ちなみに現在、「わいせつ」の基準は裁判によって定められている。わいわつ物を扱うことは商業を含め一般的に処罰の対象となる。
 卑猥な作品と、わいせつな作品は違う。個人の感想、特定の団体の思想で「卑猥」と指摘するのはもちろんあっていい。ただ、わいせつかどうかは裁判を待たなければ判断できない。個人や特定の団体の考えだけで決まるのではない。
 暴力を排除する嗜好は極めて危険である。あえて「嗜好」と書いた。暴力描写をエンターテインメントとして楽しむのも「嗜好」なら、それを排除しようとする考えも「嗜好」だと思うからだ。
 これは「嗜好」を軽視しているのではなく、むしろ重視してのことだ。
私はあなたの嗜好を尊重する。同時に、私の嗜好も尊重してほしい。
 人間が生きる上で文化的な生活を送るにあたって、嗜好が重要な役割を果たしていることをいまさら強調する必要もない。
嗜好のない人生は生きるに価しない。少なくとも人間として生きるのには価しない。これが21世紀を生きる全世界の人たちに共通の価値観ではないだろうか。
 ある嗜好は相当のカネが必要かもしれない。ある嗜好はおカネなど必要ないかもしれない。だからといって、人の嗜好には優劣や順位はつけられないのである。タダで手に入る嗜好に比べて億円単位が必要な嗜好が上等ということはないのである。
 人間の人生は短い。その間にいかに自分らしく楽しく生きるかは、重要なテーマだ。ロボットやAIには、生まれてからすぐにそのようなことに気づく必然性はない。人間がプログラムしなければそうは思わないだろう。
だが、人間は違う。人として生まれてきたときから、自分はこの人生でいかに自分らしく楽しく生きられるかを考え、求め、行動する。
 そこにつきまとう価値観が嗜好なのだ。合理性ではなく、経済性でもない。理屈ではない。心の問題である。
私は私の嗜好を大切にして生きたい。それがいまのくされ作家としての偽らざる気持ちである。

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●お知らせ
 今回、SM研究室の更新をやめて、本店にコラムを引き継ぐようにしていますが、またまたFC2が凍結をしていっているようなので、いつまでここで掲載できるかわからなくなりました。
 なお、次にFC2がこのブログを凍結した場合、私は完全にFC2と決別いたします。そのときはバックアップ用のSM研究室をご覧ください。なんてことを、ここに書いても凍結されたらアウトですけど。


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くされ作家のクズ箱 その16 支配・自由・解放

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 くされ作家──。「くされ」とは、ある辞書によると、「腐ったこと」とか「腐ったもの」のこと。気持ちが滅入る表現でもある。「くさくさする」は、いまも使われるがその「くさ」に通じる。気のくされ、という表現はいまはあまり使われない。さらに古典になっていくと月経の意味でも使っていたようだが、一般的ではないかもしれない。さらに好きなのは「くされあい」という言葉がある。くされ縁はよく使うが、「腐れ合い」はあまり使われないようだ。いま流行の不倫のことである。私なら「腐愛」と表記して「くされあい」と読ませたい。以前「翳愛」(かげりあい)という作品を書いたが、このあたりは荒縄工房の柱でもある「堕ちる」のカテゴリーにも通じる世界だろう。
 今回はそんなくさった頭でいつもなにを考えているのか、その一例を書いてみる。
 人は社会をつくり、社会の中で生きることを学び、伝えてきた。社会には私の見る限り、大きな喜びが三つある。支配する喜び。自由を得る喜び。解放の喜びだ。
 支配構造は社会にとっては重要で、そのまま社会構造と言ってよい。突き詰めれば少数の力によって多数を支配することで、人間社会はつくられている。逆はない。一見、多数が支配した構造に見えるようでも、その多数は少数の意見に支配されていることが多いのである。
 このため支配する喜びを知る者は常に少数派となる。
 一方、自由を得る喜びは、多くの人がそれぞれの立場なりに感じていることだ。なにから自由になるのか、による。家族から自由になること。これまで強制されてきたことから自由になることなど、いろいろある。ただし私たちの得られる自由はいつも限定的で、それは支配の限界と裏表になっている。
 支配者にも限界があるように、自由にも限界がある。
 あえて「解放」を自由と分離させたのは、解放の中に死を含めたいと思ったからだ。「死ねば自由」という言い方もできるものの、私はそこには自由はなく、生きることの辛さからの解放しかないのではないかと思う。
 自由は束縛や重圧から解放されることだけではなく、もっと小さい自由もある。「これを好きにしていいよ」といったように、支配者によって与えられる自由があるからだ。
 自由を得る喜びと、解放される喜びはほぼ同じだが、そこに微かに差異があるのではないか。
 くされ作家というものは、そんな風に考えるのである。どうでもいいことだけど、解放感と自由を得る喜びにはわずかな違いがあるのではないか。
 たとえば、支配下で重圧を感じながらも自由を得る(とても小さい自由だが)喜びはあるかもしれない。がんじがらめの中で苦悶しながらも、「これだけは」という自由があるかもしれない。
 それはたとえば妄想だ。どんなつまらない仕事を長時間やらされていても、妄想する自由までは奪われない。そこに楽園がある。かろうじて。
 解放されたからといって、この自由の喜びを得られるとは限らない。解放されたときに安堵を得てうれしいかもしれないが、次には支配される立場を失った「怖ろしい自由」と直面するかもしれないのだ。
 解放は支配者からすれば、被支配者に対する残酷な仕打ち、処刑と考えることもできる。
「もうおまえはおれの奴隷ではない」と宣言する残酷さ。解放される喜びは一瞬であり、その後にやってくる「怖ろしい自由」に足がすくみ、思考が停止し、虚ろになってしまう可能性もある。
「怖ろしい自由」は、あまり議論されていない考え方かもしれない。自由にさえなれば人間らしく生きられる、といったステレオタイプの考え方では対抗できないのだ。
 学校という社会の仕組みの中で、支配されることを学んだ者にとって、自由を与えられてもなんにもできない可能性がある。
 人は自分の無力(なんにもできない自分)に直面することで、憂鬱になってしまう。自由がもたらす怖ろしさの一つだ。自由になってしまうと、すべてを自分で決めなければならない。この苦痛。さらに自由になったと信じることと、本当に自由なのとは違う。
 テレビでマツコ・デラックスが「これ、おいしい」と言ったものを翌日買いに行くことには、「買える自由」があると同時に、マスメディアの情報に支配されている喜びもあるのだ。
「売り切れそうだった」などとうれしそうに語る。「あと二個しかなかったよ」
 だがコンビニは次のトラックが到着すれば山のようにその商品が補充されるのだ。
 支配する側からすれば「思った通り」である。マツコ・デラックスという一見反社会的なアイコンをメディアは支配される側に向けて情報を流すアイコンに作り替えた。来年はまた別の人かもしれないが、常にそういうアイコンを支配される側は求めるし、支配する側も支配される側の心の叫びに応じて用意しようとする。
 それが自由になってしまったら。解放されてしまったら。なにをするのだろう。なにを楽しみとし、喜びとするのだろう。
 このとき、支配される者は、はじめて解放によってもたらされる「怖ろしい自由」についてはほとんど教育を受けてこなかったことを知る。もっとも「ムーミン」などシニカルな子ども向け作品を見ていれば、薄々は察していたはずだが、そこにもヒントしかなく、気づく者と気づかぬ者がいたに違いない。
 私たちが得られる自由は、支配する側になったとしたら、その範囲内での自由である。支配される側になったとしたら、その範囲内での自由である……。
 それらから解放されるとき、私たちはなにをするべきなのか、もう一度考え直すことになるだろうけど、それからでは遅すぎるかもしれない。
 なんてことを考えるのであった。

☆お知らせ Kindleで『堕ちる 特別編 改訂新版 』を刊行しました。カバーをあとで変更しました。当初のカバーがあまりにも形而上的でしたので、もう少しエロ度を上げようと考えたのです。内容が難しいと思われたらいけないので。現在、次の刊行予定作品『被虐の街』の原稿修正を進めています。来月にはPDF版、Kindle版ともに刊行したいという意気込みですが、どうなりますか。お楽しみに。年内には『亜由美 降臨編』『お嬢様はドM 3(完結編)』も刊行したいんですけど……。 

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くされ作家のクズ箱 その17 道具立て(1) SM小説の特徴とは?

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 くされ作家の戯れ言ですが──。連休中、3日連続でお届けいたします。あんぷらぐど(荒縄工房)。

 SM小説をジャンルとして考えてみると、加虐的な性愛嗜好の人物(通称サディスト、S)が、ターゲットをなにかしらの方法で捕らえて、自分のやりたいことをする話が典型的だろう。その反対に、被虐的な性愛嗜好の人物(通称マゾヒスト、M)が、Sに身を投げ出すか、またはターゲットに加虐的行動を取らせるように仕向ける話もあるだろう。
 このターゲットは恋愛の対象であったり親族だったり、まったく一方的に対象となった人物だ。
 SとMのどちらが先かは、ニワトリとタマゴはどっちが先か、みたいな関係かもしれないけれど、Sによる性的な満足への道を描くにせよ、Mな人物による性的な満足への道を描くにせよ、どちらもSM小説である。
 典型的なパターンは、とても通常の恋愛関係にはなれないようなターゲットを陥れ、被虐的な性愛に目覚めさせていく話がある。調教とか飼育だ。
 そこには残酷さ、無惨さ、はかなさ、哀しさが伴う。「一方通行な哀しみ」であり「身勝手な残酷さ」だろう。
 ところで、主人公の「性愛嗜好を満足させる」という目的を「野望を達成させる」とか「復讐を遂げる」といった別の目的、満足に置き換えれば、他ジャンルのエンタメや文芸になっていく。
 SだろうがMだろうが主人公が刑事なら事件解決がより大きな目的になり得るし、政治家なら野心を満たすことがより大きな目的となり得る。
 その意味でSM小説が扱う目的は、誰もが日常的に少しは抱く願望であり、願望そのものはありふれたものだ。
 また、SとMの間の恋愛感情であるとか、ターゲットとの恋愛感情に焦点を合わせていけば、それは官能小説や恋愛小説の部分が大きくなっていく。SM小説は恋愛なしでも成立する点が、恋愛小説、官能小説と大きく違うところだ。
 さらに、犯罪小説、ミステリーと違う点は、事件の解決とか犯人の心理、被害者の気持ちよりも、性愛的な満足度を重視している点だ。SM小説の多くは事件を扱っている。理不尽なもの、衝動的なもの、悪辣なもの、同情できるものなど、さまざまあるのはミステリーと同じ。
 しかしミステリーは事件の解決で終わるのに対して、SM小説では解決にはほとんど興味がない。SやMの性愛的満足がどのようなプロセスで、どのように達成されるかが、最大のポイントになる。
 だからというわけではないが、「死」で終わらせることを最初に思いつくことだろう。SM小説の最後は死または死を予感させるところで終わるのが自然だ。
 そこに私はへそ曲がりなので、「死なせない」という気持ちが強くなっていき、自分で作品を書く場合、死ではない結末を模索するようになった。これは「荒縄工房」をはじめるとさらに顕著となり、2011年から2014年までは死なせないことを前提に書いていた。明確に死を前提にした『M穴地獄』までは、どんな目に遭ってもけなげに生き続ける作品となっていた。
 映画やドラマとして表現するときに、性愛を追求した先に訪れる「死」は必然のように感じ、あえて「死」を遠ざけると、そこにコメディの要素が入り込むのが常だろう。このため、コメディ要素の強い作品もいくつか書いている。
 笑いは死を遠ざける効果がある。だからといって、永遠に生き続けられるわけではないのだが。

 性愛を中心に描くことは、官能小説全般に求められていることで、SM小説もそこから派生したジャンルだからそこは外せない。しかし、私はSM小説は官能小説だ、と言い切ることには少し躊躇いがある。
 官能性の中心は恋愛にあり、愛する者たちが結びつき性愛によってより関係を深めていく。たとえば不倫だ。公的には夫婦こそ正しい愛の結びつきであるが、性愛になっていくとより深い関係が第三者と可能になる。いったん、性愛でより深い関係になった者同士は、夫婦を超えてしまう。しかしそれは正しい愛の関係ではない。社会通念、道徳、法律を超えて、愛が発展していく過程を描くことができるために、愛の深淵を考えさせ、私たちは楽しんで読むことができる(楽しむ、という言葉は広義の意味)。
 一方、SM小説で深まる関係は、加虐的な性愛と被虐的な性愛の発見であったり共有である。不倫と同じく共犯関係を最後には築く点と、社会通念、道徳、法律を超えている点は、官能小説と同じだ。
 ところが、私の書く作品は、それほど官能小説的な性愛を描いていない。官能小説の根本は、恋愛小説であり、そこに性愛を濃く描くことで成り立っているとすれば、ほとんど愛のない世界を描いているのである。あるとしても、一方的な愛だ。恋愛を否定する場面も多いのである。
 支配する、支配されるという関係性を強調し、M側からすれば文字通り「身も心も捧げる」ことであり「無条件に従う」ことであり「犠牲になる」ことと性愛を結びつけている。S側は自分の中にある衝動を現実にしたい、暴力を発散したい、欲望を叩きつける生贄を得る話になる。

 SM小説は、恋愛小説や官能小説、ミステリー、サスペンス、ホラーといったジャンルからも距離を置くジャンルであり、スタイル(話の筋立て)として、恋愛、官能、推理、サスペンス、スリラー、ホラーといった既存の小説を活用していながら、まるで違う話になっていく。

 こうした点を踏まえて、私にとってのSM小説がほかのジャンルと大きく違う点があるとすれば、さまざまな道具、装置にあるのではないかと思っている。
 文芸でのSM的な小説と、SM小説との違い、他のSM的要素を取り入れたエンタメとSM小説の違いは、道具立てへのこだわりに収斂するような気がするからだ。 つづく


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縛り拷問覚醒 恥肉の牢獄 北条麻妃
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くされ作家のクズ箱 その18 道具立て(2) 道具に込められた思い

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 くされ作家の戯れ言ですが──。連休中、3日連続でお届けいたします。その2回目。あんぷらぐど(荒縄工房)。

 たとえば支配する・される話は一般的な文学でよく見られるもので、とりたててSM小説ではなくても、SM的な要素がある。しかし、そうした作品では道具立てへのこだわりは薄い。せいぜいなにか1つ、象徴的な道具を登場させるだけだろう。
 一方、SM小説では、ありとあらゆる道具が登場し、それをどう用いるかがひとつの性愛表現になっている点が大きな特徴だと思うのだ。
 古くは、ロウソクと鞭。さらに浣腸。縄をはじめとした拘束具が、このジャンルを象徴し多くの人達の共通認識となっている。
 結果的に、SM小説をほかの小説と区別しているのは、このいわば「道具立て」ということになる。

 では、道具立てさえ整えばSM小説なのか。ロウソクと鞭と浣腸が使用されればSM小説なのか。逆は成立しないと私は思っている。SM小説の特徴は道具にある。だけど、道具があればSM小説になるわけではない。
 そこだけは、性愛の深淵を覗き込む小説としてのSM小説という面を外すわけにはいかない。恋愛要素をあまり強調せず、むしろ道具立てを強調している私であるが、それだけでは足りないことも明らかなのである。
 かつて映画で「カーチェイス」がもてはやされた時代があった。主に1970年代だと思うけど、古くから映画のメインは追いかけっこにあった。動く写真として、追う警官、逃げるコメディアンといったシチュエーションは映画の歴史の初期からあった。無声映画の時代には西部劇などで馬や馬車による追いかけっこがあり、そこに汽車や自動車が加わる。
 その伝統は「マッドマックス」や「ワイルド・スピード」シリーズに受け継がれているけれど、こうした映画を「カーチェイス映画」と認識するのは、70年代を生きてきた人たちぐらいのものだろう。
 カーチェイスというからには、クルマが不可欠で、その道具立てによって成立してしまう映画であり、実際に粗悪なカーチェイス映画もあったのは事実だし、パロディ化されていったのも事実(『ブルース・ブラザース』のチェイスシーンはパロディとして典型的)。
 それなのに、いまだにカーチェイスといえば『ブリット』や『フレンチコネクション』に言及されるのは、それらがカーチェイスのおもしろさを教えてくれたきっかけになったからだけではなく、物語の中で必然的に起きるチェイスだったからだ。つまり道具立てと物語がしっかり融和していたからだ。偶然だがどちらも刑事の執念と怒りを観客にはっきり見せつけるためのチェイスになっている。感情表現として道具を使っているのだ。

 このように、SM小説を道具立てからだけで規定してしまうと、ロウソクと鞭と緊縛があればいいことになってしまい、クルマが猛スピードで走りまわってクラッシュすればいい、というのと同じになっていく。もちろんパロディやコメディとしてならいいのだが、そうでない場合はあまり楽しめない作品になっていくだろう。
 これを乗り越えるためには、原点としての性愛の質や量を見直す必要がありそうだ。
 延々と人類がその歴史と文化を積み重ねては破壊し、また積み重ねてきたにもかかわらず、わずか百年に満たない寿命の中で、個々の性愛の深淵は常に「不可思議」であり続けてきた。
 小説を書くにあたっては、まずそこを物語の主軸に据える必要がある。
 人と人のつながりを表す愛情も、性的な側面となると多かれ少なかれ、暴力的な言葉、行動、表現がつきまとう。
 衝動に突き動かされたときの人間は、多かれ少なかれ日常から逸脱する。愛と憎しみが裏表のように心を突き動かし、性衝動と快楽の記憶がそこに燃料を注ぎ込む。
 だから、ときには手に負えないほどエスカレートしていく。
 その野性の一端が加虐性や被虐性に結びつくことで、常軌を逸した性愛行動に向かっていく。
 現実社会では、身も心も傷つけるような激しい性愛は、道徳的にも法律的にも受け入れられられなくなっているのはわかっている。DVやストーカー、レ・イ・プは犯罪である。
 ところが人間は犯罪を軽々と乗り越えていく。高いフェンスを作っても、穴をあけて突破する。
 作品には、いわゆる恋愛からはほど遠い、このような逸脱した性愛もあってもいい。逸脱を理解せずに、正常な道を理解できない。
 温めたミルクのように、穏やかで濃厚な愛情も一つの理想ではあるけれど、時には激辛の担々麺を食べたくなるのが人間である。
 一方的に愛している相手が悶絶する姿が見たくて、いつものインスタントラーメンにタバスコをたっぷり入れて出す……。ちょっとしたイタズラのようでいて、明らかにこの行為はSM小説につながる気持ちを、ラーメンとタバスコという道具立てによって表現している行為だ。同じことを、嫌いな上司にもできるだろうか? 愛情関係なく? または赤の他人に?
 こうしてSM小説につながる気持ちが、道具立てと結びついたときに、明確な表現となって読者に伝わっていくだろう。
 
 非日常な性愛をわかりやすく描くために、SM小説では道具立てを重視する。
 道具は人間の行動を規定する。悪い喩えだが「金槌しか知らない者は、なんでも釘に見える」といった表現がある。
 衝動的に鞭を使うためには、予め鞭を用意しなければならず、どうして鞭が手元にあるかといえば、いつかそれを使ってみたいと夢みたからに違いない。このときに相手の合意は不要だし、いわゆる恋愛とも違う方向に向かっているのだが……。
 いざとなれば強烈な一撃となり得る一本鞭を手にすれば、いつか思いきりぶちのめしたいと思うようになる。フェラーリを入手したら時速三百キロを出したいと思うようになる。はじめて電動ドリルを手にしたら、いろんなところに穴を開けたくなる。
 道具を使う快楽は、人を日常から用意に逸脱させる。思わずアクセルを踏み込んでしまうように。
 現実では犯罪だが、もしできることならやってみたい……。そういう思いは大多数の人が抱いている。
 これは恋愛とはかなり遠い感情だ。人と道具の間に生まれる愛情ととらえることはできるけども。つづく


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★小説「亜由美」第一部★
亜由美第一部

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女子大生となったばかりの亜由美。剛介との出会いから、自らのマゾ願望がいっきに開花。理不尽な辱め、処女喪失、輪姦からはじまってタップリ、被虐を味わうことになります。



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メス豚女子大生となった亜由美への本格的な調教が繰り広げられます。大学でも便所でも商店街でも……。苦悶と快楽が彼女の日課になっていきます。


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拘束×くすぐり拷問×HOM【ハンドオーバーマウス】
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くされ作家のクズ箱 その19 道具立て(3) 現実を超えた性愛の愉しみ

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 くされ作家の戯れ言ですが──。連休中、3日連続でお届けいたしました。その最終日。あんぷらぐど(荒縄工房)。

 道具立てへのこだわりは、その道具類が心の奥底を反映しているからでもある。道具で自分を表現するのである。これはファッションでも同様だ。ドクロのTシャツを着るのは心の中にある欲求とマッチしたからである。
 結城彩雨の作品で巨大な浣腸器が登場するのは、現実的に有効かどうかではなく、主人公の激情を道具に反映させているのである。ガラス製の浣腸器は落とせば割れるかもしれない。暴力的でありながらも脆さを隠さない。この捻れた気持ちを代弁する道具なのである。

 私が作品内で膣用のクスコをアヌスに使うのは、どちらも同じ扱いだと登場人物が考えているからであり、そのためにアヌスの本来の機能が損なわれたとしても構わないとさえ考えているからだ。常識的には肛門鏡を使うべきだろう。だが、それではこの登場人物の気持ちには不十分なのだ。
 カーチェイスに巨大なエンジンを積み込んだ改造車を登場させるのと同じであり、ダーティー・ハリーがマグナムを手にするのと同じだ。「マッドマックス」ではいわゆるターボチャージャーではなく、スーパーチャージャーをあえて使用する。ターボはエンジンルームに納まっているが、スーパーチャージャーはボンネットから突き出ている。それは、主人公の納まりきれない怒り、絶望を表している。とっくに心は破けてしまっているのだ。
 このように道具はうまく使えば、効果を高めることができるだけではなく、登場人物の心をストレートに表現してくれる。
 こうした道具を、性愛の深淵を覗き込むために使用するのが、SM小説の特徴の一つなのである。

 雰囲気を高めるために、道具を並べていくシーン。私も、結果的に使わないのに道具を羅列したことが一度ならずある。これは「ワイルド・スピード」でガレージに静かに並ぶスーパーカーを舐めるように映し出すシーンとも似ているし、登場人物がクルマの修理や手入れをしているシーンとも共通する。西部劇なら馬に鞍をつける場面とか、馬に水をやるシーンなども同様だ。
 人と人との恋愛関係に加えて、人と道具の恋愛関係があり、愛する道具を相手に使用することで性愛を表現するのである。
 また、専用の道具ではなく、日常的にありふれた道具をあえて使用することもある。
 これはカーチェイスでいえば、警察手帳を出して急遽その場で調達したクルマやバイクでチェイスするようなものだ。
 突出した性能のない道具を使うことで、使う側の技術、アイデア、人間性が浮かび上がる。
 ヌンチャクは魅力的な武器に見えるが、本当にその人物のパワーが発揮されるのは、ヌンチャクを敵に奪われたあとである。
 さらに、相手をさらに貶めるために、あえて通常とは違う道具を使用したり、通常ではない方法で使用することも多い。
 明確に性愛の満足度が高まるのなら、なにを使ってもいい。登場人物の指、手足までも、ある意味で道具として扱っているのである。足を膣に入れる行為などが典型だろう。
 道具による心理的な効果を狙うなら、誰にでも用途のわかる道具を使う。たとえば手錠や注射針はわかりやすい。見せただけで、それでなにをされるのか想像できる。
 あえて道具を使わないことも表現の一つとなる。
 相手が愛する赤ん坊を抱えているときに、背後から襲う。赤ん坊を落とすことはできない。手を拘束されたのと同じ効果があるだけではなく、手段を選ばない冷血さが浮かび上がる。

 道具選びには、書き手の気持ちも当然ながら加わっていく。好きな道具、あまり使わない道具が出て来る。
 このあたりが、現実のSMプレイとSM小説の大きな違いでもある。SMプレイは不必要に相手を脅かすことなく、安全性も考慮した上で、なおかつ気分を盛り上げていく道具が求められる。扱いやすく、清潔で、失敗しない道具がベストだ。
 SM小説での道具は、現実から大きく飛躍していくので、プレイのヒントにはなるかもしれないがそのまま実行するのはお勧めできないことが多い。現実はできない、不潔で危険な道具の使用によって、表現したい場面もあるからだ。
 針のように、危険性の高さに比べると実行時の衝撃に個人差があり、必ずしも性愛としての効果が得られない道具もある。笑い話ではないが、目隠しをして針を刺したら気づかなかったとか、指でつねられた方が痛かった、感じた、といったことも起こり得る。
 またスカ表現のように、嫌悪を武器とする日常的な道具をあえて使用することもあるが、実際にやるとなると、後始末も含めてかなり面倒なことが生じそうだ。それでも、作品では盛大にやらかす。
 身も蓋もない話ではあるけれど、私の薄い経験から言えば、現実は想像を超えることは滅多にない。申し訳ないが、山頂に着いて感動したことはほとんどなく、有名な景勝地で「来てよかった」と感動した記憶もほとんどない。「こんなもんか」とか「なんだ」となりやすい。
 だから私は今日も、SM小説を書いているのである。その中には現実を超えた性愛の愉しみがあると信じているからだ。

 ──この項は今回で終わりです。


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★小説『亜由美』第三部★


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亜由美のその後を追う「外伝」。亜由美が自ら語るパルダ王国へ性奴隷として留学させられた日々。拷問調教での傷を癒すため貨物船に乗せられ、種付けされながら王国へ。そこで待ち受けていたものは……。連載時にはなかったエンディング。


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女体拷問研究所 THE THIRD JUDAS(ユダ)Episode-8 漆黒の女王アマゾネス蹂躙地獄 CRIMSON in The DARKNESS 長谷川夏樹
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あんぷらぐど

Author:あんぷらぐど
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 なお本ブログに掲載している作品の著作権はあんぷらぐどに、出版権は電子も含めて荒縄工房にあります。無断転載・印刷・流用はできませんのでご注意ください。

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 現在の掲載日程
※2017年4月30日からは下記の予定となっています。

火曜日・水曜日
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木曜日・金曜日
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土曜日
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日曜日
 眞木様と……。またはコラム
月曜日
 妄想絵物語(イラスト・月工仮面さん)またはコラム
 土・日・月は休止の場合あり


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ペンネーム「あんぷらぐど」
1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
未発表作、新作などを随時、お読みいただきたいと思っています。

今日も上機嫌ってわけないだろ
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