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くされ作家のクズ箱 その39 短編の誘惑

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 今年に入って、短い作品を書きたくなってきて、いくつかアイデアをメモしている。これまで短編はほとんど書いていない。短く終ってしまった作品もあるものの、短編を書こうという気はなかった。
 なぜなら、荒縄工房という作品発表の場は「ほぼ毎日更新」であること。長編としてのアイデアがなければ、とても毎日更新はできない。短編はすぐ終るので、つぎつぎとアイデアを生み出さなければならず、おそらくそれでは「ほぼ毎日更新」はムリだ。少なくとも私にはできない。
 第一、短編の構想がまったくわかない。少なくとも荒縄工房をはじめてから、2019年までの8年間は、アイデアは出なかった。
 それがコロナウイルスへの対応が求められるようになって、日常が一変したとき、むしろ長編のアイデアより短編のアイデアばかりが降りてくるようになったのだ。理由はいろいろある。また、荒縄工房では現在「新版」として旧作をリライトして刊行直前版に持って行く連載をはじめていて、これまでに比べるといくつもの新しい長編のアイデアを練る必要を感じなくなっている。
 これは短編でいいのではないか、と思えるようになってきた、と言えるかもしれない。
 では、短編は長編とどう違うのだろう。
 たとえば講談と落語。同じ話芸でもかなり性格が違う。
 講談は、長い話が多い。何話にも分割して語られる。「ちょうどお時間となりました」とか言って、話が盛り上がってきたところで終るのが決まりになっている。それでいて、おもしろく楽しく聞かせてしまう。
 落語はオチ(さげ)があって、そこまで噺を進めることが求められる。語りきることが最初から義務付けられている。長い噺もあるが、それも上演しやすいようにいくつかの小さい噺として完結するように出来ている。圓朝の怪談話など一部には講談と同じスタイルもあるけれども、だ。
 講談が長編で、落語が短編と位置づけることができそうだ。講談のすごさは、長編のぶつ切りではなく、どの場面でも巧みに噺を作ってしまうところ。長い話の一部に過ぎず、大団円といった終わり方ではないのにおもしろい。
 一方、落語はオチ(さげ)の意味が現代では不明なものも多く、そこまでいったからといってこちらのカタルシスはそれほど高いわけではない。ただオチで終ることになっているのでやらないと気持ち悪いだけのことだったりもする。だけど、終るのが惜しいほど楽しかったりもする。「ああ、もうオチになっちゃうなあ」と思ったりもする。
 阿刀田高は、「長編小説が歴史と関わりやすいこととの対比で言えば短編は私たちの会話と関わっている」と「短編小説のレシピ」(P25)で記している。
 その意味では、講談と歴史との関わり、落語と会話との関わりは明白だ。
 講談でも落語とほぼ同じスタイルで語る場面もある。複数の登場人物が出てくる物語を一人語りする都合上、会話表現で話を進めていく点では講談も落語も同じ。
 ただ、落語と違うのは、講談では背景や情景などのいわば「地」の語りをより詳しくできること。そうでなければ会話(芝居)部分が成り立たない。
 落語は思い切った省略が可能で、少し落語を聞いたことのある人にとっては、背景の説明、登場人物の説明などはほとんど必要ない。いきなり「やい、八、八公、起きてるか」と語り出し、「うるせえな、また熊の野郎か」と受けて話をはじめてしまってもいい。
 講談ではいま登場した人物がどこの誰で、どういう人かを説明しなくてはならないし、この説明をいかに聞かせるかも技術になる。
 長編小説では、この講談のように「その人間は何者か」とか「その場所はどういうところか」とか「その事件はどんな意味があるのか」といったことまで、詳しく書き込むことができるし、それがなければ読む側もあまり満足できないに違いない。
 一方、短編はもっとシンプルに話を構成することができる。その代わり「短いぶんだけ精緻であることが望まれる」(同・P24)。
 私はこれまで、この精緻さや技巧にはあまり近づかないようにしてきた。得意じゃないと思ってきたからだ。
 しかし、多彩なアイデアとストーリーを今後も長編のみに注ぎ込むことは、むしろ考えにくくなってきた。最大の理由は「読み手」への配慮である。
 この時代に消費するエンタメとして、優れた長編小説が君臨することはとてもいいことだし、私も読む側として長編を楽しむことが多いのだが、その一方、短編の魅力も捨てがたい。
 先日、「物語の物語 葛藤の物語」でも取り上げたが、たとえばレイモンド・カーヴァーの短編。その魅力には遠く及ばないとしても、短編には可能性が無限にある。読む側も書く側も試すことができる。挑戦できる。
 今後の荒縄工房では長編ばかりだと「どれから読んでいいのか」となりやすい。お試しとしての短編がたくさんあってもいいはずだろう。
 そして私自身、学生時代に最初に公称十万部発行の商業誌に掲載されたのはショート・ショートだった。その後も短編でいくらか賞金を稼いだこともあった。ただ長編が書きたい一心だったので、その後はほとんど書いてこなかったのだった。
 得意ではないけども、短編を書いておきたい。
 というわけで、現在連載中の書き下ろし「許諾ください」の完結後は、短編の連載も視野に入れたいと思っている。

(協力:エピキュリアン リップエキスパンダー

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 エピキュリアンさんでDVDの紹介記事を書かせていただいております。

被虐のマゾ女優 藍川美夏調教記録

湯けむり天獄~縄情の宿~12 天縄鈴鳴 編 山井すず

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すべての記事リストは「荒縄工房 SM研究室」へ。



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くされ作家のクズ箱 その38 書くべきことの危うさ

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 なんだかんだ9年続けて来た荒縄工房でのSM小説執筆活動。当初10年やる計画で、残りは1年。その先のことは誰にもわからない。
 だいたい70を超える作品を書いてきた。そして何度も同じことが起きてきた。
「おや、一行も進まないぞ」
 筆が止まる。なにも浮かばない。思いつかない。出てこない。
 だいたい毎日、1話。2500文字程度。それが止まる。時間が解決するわけではない。
 解決策は1つしかない。素直なアイデア。
 アイデアには2つあって、素直なやつと、そうじゃないやつ。
 素直なアイデアは私を高揚させ物語を前に進ませ、結果的に物語をよりよくする。たぶん、よりよくなっているはず。だって素直なアイデアだから。
 そうじゃないアイデアは、自分で書きたいものじゃなく、なにかしらの力や欲求によって「書かされているもの」なのだ。
 たとえば、「この作品では『これを書くべき』」と決めつけたときに、素直なアイデアは引っ込み、そうじゃないヤツが現われる。
 そして先に進めなくなる。
 素直じゃないヤツを捨てて、素直なアイデアに戻るのは勇気がいる。なぜなら、素直な方向へ進むと、書くべきことが書けなくなるからだ。
 書くべきことは書かない。こんな基本的な創作技術をときどき忘れてしまうのは、私が人間だからだろう。人間は忘れ、勘違いし、ミスをする。
 作品をつくるときには、日々、ミスや勘違いの連続だ。右に行くべきところを左に行く。止まるべきところを忘れて行きすぎる。ナビもなく、うろ覚えの道をはじめて進んでいくようなもの。しかも目的地も明確ではない。「たぶん、こういう場所に行き着くはず」でありながら、執筆しながらその場所を探っていく。
 その中で、頼れるものが最初からなかったり、見失ったとき、「書くべきこと」に頼ってしまうことがある。
 書くべきことは書かないのに──。
 書くべきことを書くのは論文や主張といった役に立つ文章のことで、小説の「小」はそういった書くべきことでいっぱいの文章とは違う角度を目指す意味がある。
 あてもなく(だいたい「こんな感じ」といったあてはある)、ただドライブしている私なので、宅配便や路線バスを運転しているのとはまるで違う。
 小説で書くべきことを書きはじめることは、極めて危うい。というのも、論文と違い、ほぼすべてを自分の頭の中にある曖昧模糊とした「思い」や「感覚」で書いているのに、根拠や出典の必要な論文のような「書くべきこと」を入れてしまうと、もはや自分の中の大事なシグナルが見えなくなり、結果的に、身動きができなくなってしまう。
 一方、素直なアイデアは、書くべきこととは無関係である。五歳児のように無心にクレヨンで絵を描き「これ、なに?」と聞くと「空だよ」とか「友だち」とか「お父さん」とか思いもよらない返事を得るのと同じで、素直なアイデアは、主観的で自分の中にあるもので、他者とは簡単にはわかり合えない「何か」なのだ。
 論文など書くべきことで占められた文章は、基本的には主観的にコントロールされつつ、同時に客観的にほぼ同じように理解されるように執筆する。
 小説は違う。主観的にコントロールするのは当然だが、他者との理解については限定的で、極端な場合は誰にも理解されない文章になっていったとしても不思議ではない。
 それを恐れてしまうと、素直なアイデアは消えていき、誰かのアイデアに乗っかっただけのわかりやすいがおもしろくない作品になっていく。
 わかりやすくておもしろくない作品よりは、わかりやすくてなおかつおもしろい作品の方がいい。だが、そうではなく、わからないんだけどおもしろい作品もある。私はそういう作品が好きだ。
 残念ながら私にもすべては理解できず、何割かしかわからないけど、とにかくおもしろい、そんな作品が理想だ。
 そのために、書くべきことを書かないよう、気をつけなければならない。
 書けなくなった、進まなくなったときは、それを気付かせてくれる合図なので、素直なアイデアを取り戻し、勇気をもってそこに突き進む。
 それでしか、作品は完成しないような気が私はしている。
 世の中にすばらしい作品はいっぱいある。私だって、すばらしい作品を書きたい。だけど、すばらしくなくても、せめて自分の作品として完成させたい。誰の物でもない、自分の作品でなければ、なぜ書いているのかわからなくなってしまう。
 書くべきことに頼らず、素直なアイデアを取り戻すためには、バカになる必要があって、散歩やスポーツはけっこう、役に立つ。散歩もできればくだらない目的を持ってはじめた方がいい。スポーツは上達や勝敗といった目的がすでにあるので、のめり込めればいい。散歩には目的が判然としないので、うっかりすると「書くべきこと」を考えはじめてしまう。それではダメだ。
 だから散歩はたとえば「路地裏の猫を見つける」とか「昔、よく行った店へ行く」などの、達成できてもできなくてもいいような目的を最初に設定しておいたほうがいい。歩数を稼ぐ、というのもいい。
 こうして考えないようにして数時間過ごすことで、素直なアイデアを思い出したり、気付いたりする。この素直なアイデアは、私たちの根本に近いところに最初からあるものなので、論理的に組み立てたりするものではない。思い出す、気付くだけでいい。
 ある意味、自分が小説を書く根本的な動機に近いアイデアなので、揺るがないしブレもない。
 問題は、それをいいものとして信じることができるかなのだ。

(協力:エピキュリアン 顔面拘束式口枷



★小説「亜由美」第一部★
亜由美第一部

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女子大生となったばかりの亜由美。剛介との出会いから、自らのマゾ願望がいっきに開花。理不尽な辱め、処女喪失、輪姦からはじまってタップリ、被虐を味わうことになります。



★小説『亜由美』第二部★
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メス豚女子大生となった亜由美への本格的な調教が繰り広げられます。大学でも便所でも商店街でも……。苦悶と快楽が彼女の日課になっていきます。


★小説『亜由美』第三部★


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メス豚女子大生・亜由美の完結編。壮絶な輪姦合宿から同じ大学の女子を巻き込んでの拷問実験へ。連載時にはなかったエンディング。


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今日のSMシーン
緊縛調教妻 老人会の生贄 弄ばれた母乳未亡人 羽月希
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くされ作家のクズ箱 その37 正統派への抵抗

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 正統派、という言葉が好きではない。なにをもってして正統なのか。意見が分かれるときは特にそうだ。SM小説は、小説世界および官能小説世界でもいわば極北な、異端な分野ではないかと最初に出会った1980年代には感じていた。
 そもそも異端なものに正統なものが含まれるわけがないだろう。異端は異端らしく、自由奔放に正統か異端かなど関係なく進んでいっていい。その自由さが私を魅了した。
 なにをやってもいいんだ! いや、模倣はダメだよ、と当時の編集者にしっかり言われたわけだが……。
 模倣からの脱却が次の目標となった。自由にSM世界を書いていい。ただし模倣でないこと。かつては二次創作はほとんどメジャーではなく、オリジナリティが求められていた。
 ところが、諸先輩たちはまったくもって自由闊達に作品を書いておられるので、どこかしら抵触してしまう。抵触はかまわないが自分なりに昇華しなければならない。それが生煮えになっていると下手な真似になってしまう。
『「色ざんげ」が書けなくて』(会田誠)の中に、こんな言葉がある。
──浮世離れしていなければ楽しめないのです。──
 日本の80年代以降のポルノの流れを「超御都合主義的展開」とし、それは「純粋オナニー志向」になっているとする会田氏。
 SM小説はSM世界を描く上で、フォーマットを官能小説や時代小説やそのほかの小説から移してきました。
「官能小説の前にまず小説であること。SM小説の前に小説であること」が求められていた時代があったのです。
 ですが、SM小説の目的は登場する人物をさまざまに責め抜くことにあるので、一般的な官能小説や時代小説からは逸脱します。官能小説のフォーマットは、恋愛小説や青春小説などから性愛部分だけを増幅していく点で逸脱していくのですが、SM小説はその性愛がアブノーマルなのです。
 時代小説は武士や商人の身分と役割がカチッとある中で、欲にかられた人たちと正義を求める人たちが戦ったり、身分ゆえの定めの中で葛藤する話が多いわけですが、そのフォーマットにアブノーマルな欲を注ぎ込んでいくことでSM小説化されていきます。
 SM小説が日本的解釈のサド・マゾというアブノーマル性愛小説として定着したため、ノーマル性愛からアブノーマル性愛まで、「なんでもあり」な世界が築かれていきました。それでも「ただし小説であること」が求められてもいました。
 異常な欲望、一般的ではない欲望を微細に描くことが一つの目的になっていったとき、小説であれ、という主義主張はしだいに後退していきます。
 異常性を際立たせるためには、ノーマルなフォーマットを使った方がいい。読者としてもその方が安心です。内容が異常性愛でなおかつフォーマットがまったく見えないと、シュールな状況となっていき、どちらかといえば純文学に近づいてしまう。
 その意味で、正統派のSM小説とは、まず小説としての体を成すこと。そして官能小説や時代小説のフォーマットを使っていることが求められていたのです。窮屈ですね。
 先の『「色ざんげ」が書けなくて』(会田誠)では、芸術的な作品について、批判的な視点であることはもちろんのこと「確固たる文化的地位に立って安定/安心しないこと」「様々な文化的地盤を等価に観察し、常に疑いの気持ちを持ち続けること」「そういう態度から来る自身の空虚さに耐え、その代償として手に入る、自由やフレキシブルさや実験精神という武器を手放さないこと」などと記しています。
 いわゆる「低俗」なもののよさはサブカル的に評価されていき、現代ではそれもまた芸術的に見ることも可能になってきていますが、それでも、芸術的になるにはこのような条件が存在しているのです。ある意味、現状と戦っていることが求められます。
 エンタメの片隅にあるSM小説は、いくら異端だからといってそこまで芸術性を高めていってもいいのですが、そうなるとマルキ・ド・サドの作品やマゾッホの作品のようになっていくことでしょう。私自身としては、そこまでは求めていなくて、かなりエンタメ寄りの正統性を探ってみたいのです。
 フォーマットに沿って描いてしまうと「自由」を放棄したことになりますし、芸術的というよりは低俗な方向へ振れていくわけです。低俗って言葉に抵抗があるなら工芸的と言ってもいい。
 火鉢に同じ絵を書き続けるのは、アートというよりは工芸(マニファクチュア)です。下絵はアートかもしれないけど、それを商品化する段階で自由は失われます。火鉢という実用的なフォーマットに沿った作品になるからです。
 ですが工芸品やデザインを「低俗」と呼ぶ人はあまりいないので、分野によってはこれはとても優れた文化的な世界と言えます。しかし、私はSM小説の地位向上とか文化的な上質感を求める気もありません。そういう意味の正統派ではありません。
 エンタメ小説の多くがミステリーとかホラーとか時代とかジャンル化されて、ある程度のフォーマットがあり「こう書かなければダメ」といった決まり事まであるのは、いわば芸術的自由や批判性よりも、工芸的な楽しさを選択した結果だと思います。
 芸術にも正統派が存在します。作家たちは自分のオリジナリティを、過去に築かれたフォーマットからの脱却によって発見しなければなりませんが、そこに到達する過程がすべて芸術的だと言えます。
 ゴッホが南フランスへ行く前に描いていた作品は、私たちがゴッホで連想する作品とはまるで違うわけで、暗くてある意味普通の作品(フォーマットからの逸脱が少ない)。でも、オリジナリティは見つけられますので、低俗とは言えませんし工芸的でもありません。その過程から、ゴッホなりの正統派としての道を歩もうとしてきたことがわかります。
 ごちゃごちゃ言ってきましたが、SM小説にとっての正統派とはなんでしょう。
 私はついに現在連載を開始している『タワマン』で、自称・正統派としてのSM小説に取り組んでいます。荒縄工房をはじめて8年が過ぎ、2020年には9年目となります。そのスタートは「Webに適したできるだけ自由な作品」を目指し、タブーを取り払うように夢中で書いてきました。
 そのため、人物描写、背景描写、人間ドラマなどを引っ込めて、場合によってはその主人公がキレイな人なのかそうでもないのかもよくわからないままにあえて放置するなどして、いきなり便器を舐めさせたりする「超御都合主義的展開」で「低俗」な作品づくりをしてきました。残酷で下劣な描写を増やし、「小説であれ」という前提を無視しました。
 Webで発表する作品に「小説であれ」という呪文は関係ないような気がしたのです。
 その後、エロなしのフツー小説、エロのあるフツー小説も書く時期を経て、いまはフツー小説とSM小説の融合期に入っています。
 自分なりにフォーマットの変更を続けてきたわけです。
「亜由美」シリーズや「堕ちる」シリーズ、「美魔女狩り」シリーズ、「お嬢様」シリーズといったフォーマットは、その作品限りで終わらせて、それとは違う新たな作品を生み出そうと書いてきました。
 だから「タワマン」の正統派とは、原点回帰であると同時に、私としてのこれまでの過程から生まれた新たなフォーマットの確立につなげる試みです。そして今回は、官能小説のフォーマットを正面から使い、そこに「あんぷらぐ」のオリジナリティによる逸脱を狙っていこうと考えています。
 官能小説のフォーマットとは、ノーマルな性愛の過程が主軸となります。もちろんSM世界ではありますけども。手順を飛ばさないように慎重に書き進めています。そもそも正統派が嫌いなので、抵抗しながら逸脱を企てていきますが……。
 自分にとっての正統派。その答えが出るのかどうかは未だにわかりません。ひたすら本能の赴くままに書き進めています。
 なお、衝動的にペンネームは「あんぷらぐど」から「ど」を取り去って「あんぷらぐ」となりました。これから新たな作品世界へと突入していきたいのです。
 2020年以降もよろしくお願い申し上げます。

(協力:エピキュリアン 大型バイブ



★便所虫の歌★


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週末にマリカとして苦痛を求めてさまようOL。掲示板で出会う相手の要求のままに、激しい苦痛にもだえ苦しむ。その間の記憶は失われ月曜には勤務先に出社する。そこに別のマリカが挑戦してきた……。どちらがホンモノか決着をつけることに。負ければ永久便器となる。



★折檻部屋の風夏★
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父母を香港のゴミ焼却所で惨殺された風夏は、大金持ちから一転して逃げ回る生活に。最後に学生時代の女友達を思い出して訪ねる。卒業前に奴隷になると誓っていたのだ。だが女友達は風夏に過酷な指令を出し続ける。ノワール風味の漂う作品。



エピキュリアン1

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お嬢様学校 お仕置き倶楽部レズビアン 有栖るる 西田カリナ
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くされ作家のクズ箱 その36 人妻の誘惑

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 サドの作品には多くの人妻が登場する。それも淫らな人妻である。そして一方で貞淑な人妻もいる。正式なパートナーがありながら他の者と肉体的な関係を持つ(生殖行為)ことは、姦通罪といった概念が過去にあったことを考えれば、社会秩序への挑戦であり危険な誘惑だったことは間違いない。
 つまり、昨今の芸能人や著名人の不倫騒動どころではなく、江戸時代の不義密通は罪としては両者も仲介者も死罪だった。旧刑法(明治時代)では、二年以下の懲役。この刑法は第二次大戦後に廃止された。
 現在も宗教的な考えが社会規範として強く残されている国や地域(アメリカでは州にもよるようだが)では、現在も厳しい刑罰の対象である。イスラム法では死刑や石打ち刑だ。ちなみに、石打ち刑は、犯人の下半身を地面に埋め、上半身に石を投げつけて徐々に殺す処刑方法。あえて小さい石を使って、簡単には殺さないようにするらしい。
 生殖行為を無秩序にすることは、社会基盤を揺るがしかねない。誰が誰の子なのかは、社会にとって無関心ではいられない。それは遺伝的にはもちろんだし、社会的責任や相続にも関わる。生物学的にも経済的にも混乱を招くのである。
 とか言ってみたものの、人妻には独特の魅力がある。全国の人妻のみなさん、人妻であるだけで、人妻としての魅力があることを自覚されたほうがいい。さもないと、自覚ないままに誰かの欲望中枢を刺激している可能性があるのだ。
 いけないことをする喜びは、SMでも当然にあるわけだから、人妻の存在はどうしたって強い。
 私の作品でも、『縄味』『M妻佳乃の崩壊』『被虐の街』『美魔女狩り』『家畜妻の歌』が人妻系の作品といっていいだろう。
 夫に隠れて調教される場合は、その秘密がバレる恐れに怯え、夫に調教される場合は特殊な愛の形として受け入れるのか否かが問われるだろう。
 ただ私はこれまで、たとえば「夫に隠れて調教される」といったシチュエーションはほとんど描いていない。いま気付いたのだが、いずれ書かなければならない。
 三島由紀夫の代表作なのに、学校では教えてくれない傑作『禁色』は、男色(同性愛)を正面から取り上げたことが強調されているが、この作品はサドの諸作品の影響下にあり、支配する者、される者を描いている。この中でも人妻は大きな役割を持つ。
 主人公の作家は三度の離婚によって、女性を恨み憎んでいる。彼の前に現われた美少女・康子に、女性を愛することのできない美青年・悠一を焚きつけて結婚させる。
「相手を薪ざっぽうだと思いなさい。座布団だと思いなさい。肉屋の軒に下がった牛肉の塊りだと思いなさい」と説得し、康子の肉体を悠一は物体として扱う。
 この愛のない結婚をさせたことに、主人公は酔いしれる。さらに、元伯爵夫人の鏑木を悠一に誘惑させ、穂高恭子という若妻にも悠一という完璧な刺客を引き合わせる。
 つまり人妻でありながら、理想の男が現われれば貞淑さなどかなぐり捨てるではないか、それが本性ではないか、と暴きたいわけだ。
 悠一自信は結婚後にはじめて、レストランの給仕と関係を持ち、同性愛による喜びを知る。
 支配する・されるの関係と、それぞれの幸せのぶつかり合いが、人の心や行動を激しく変えていく。
 人妻との肉体関係は、お互いに都合のいい幸せをもたらす。
 物語のキーとなっている女性たちは人妻であり(たとえ形式的であろうとも)、それぞれが異性愛者である。理想の男性との性交を夢見ている。
 とはいえ、こうした世界は、サドも三島由紀夫も男であり、残念なことに私も男なので、あまりにも女性に対する偏った考えに支配されすぎているのではないか、と不安にもなる。
 イメージで決めつけてはいけないのだろうが、女性の描いた不倫についての作品などからは、衝動によって不倫に走る傾向を強く感じる。それは男性も女性も共通だろうが、衝動で不倫する因子を必ず誰もが持っているのではないか。
 それでいて、自分が付き合っている女性には「それはないな」と男は思ってしまう。
 つまり、不倫の衝動は誰にでもある、自分にもある、だけど自分が付き合っているパートナーにはないはずだ、と決めつける。
 あるいは、むしろパートナーが不倫しているのではないかと激しく疑う。疑う根拠の有無は関係ない。疑うタイプの人は、ずっと疑っている。
 私は男であり、その点で人妻は魅力的に思える。同時に相手の夫の影にビビりもする。衝動があっても、その段階で踏み出すことを諦めてしまう。それはたぶん、自分のパートナーが不倫していたら絶望するだろうから、きっと相手の男もそうなのではないかと勝手に推察してしまうからだ。
 気が弱いから不倫しないだけで、いつでもする用意があるのかと問われると、私自身はそれほどでもない。衝動が弱いのだろう。
 人妻はステキだし、私はいろいろな場で、ステキな人妻と会ったり話したりするのも好きだ。その根底にあるのは、セックス歴ではないかと思う。
 人妻の最大のポイントは、確実なセックス歴である。いい経験悪い経験あるいは不完全な経験などを含めて、少なくともゼロではないのだ。嫌な言い方をすれば「私はやってますよ」と顔に書いてある。
 やってるかやっていなかわからない人よりは、明確にやっていることがわかっていて、顔に書いてあるのだから、見方によればセックスが歩いているようなものである。
 女性も既婚男性を、そのように見たり感じたりするのだろうか。もちろん、こんなあけすけな気持ちを持つはずはないので、別のねじ曲がった理屈によって衝動は正当化されていくに違いないけども。
 セックス歴の中にはセックスによる「幸せ経験」があったりその願望があるに違いない、と思える。こちらも男であるから、もしかして自分とやってみることもあってもいいのではないか、別の男との幸せ経験を、夫との幸せ経験と比較してみたい、知ってみたいと思うのだろうか、などと妄想する。
 もっとも、私の作品では強引にSM関係に持って行くのだから、こうした機微はあまり重視されないのだが、現実では違う。
 このテーマは、古くて新しく、今後もさまざまな創作活動を刺激することだろう。

(協力:エピキュリアン ラバーグローブ



★美魔女狩り 我妻千鶴子編1★
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「美魔女狩りシリーズ」2番目の標的は人気コメンテーターの母娘。大物政治家と結婚していた経験を持つ千鶴子は、娘の咲を人質に取られ、交渉のために秘密クラブへ。すべてが罠であるとも知らず必死に奴隷になりきろうとするが、過酷な排泄管理をされ、恥辱にまみれる。


★美魔女狩り 我妻千鶴子編2★
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美貌と直言で人気のコメンテーター我妻千鶴子を奴隷にする……。藤木の野望は目の前で崩れそうになっていた。果たして逆転できるのか? 淫美な映画の撮影、千鶴子の策略、奴隷タレント契約……。我妻千鶴子編の完結です。


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WAM堕ち潜入捜査官 岬あずさ
WAM堕ち潜入捜査官 岬あずさ



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くされ作家のクズ箱 その35 古くて新しい概念

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 概念が大事だ、とことあるごとに概念について説いていた教師がいた。なにを言ってるのかサッパリわからなかった学生の一人、私の心にも「概念」という言葉は刻まれたので、彼の気持ちは少し世に残ったというべきか。
 私が扱っているSMの世界は、古い概念と新しい概念がぶつかっている。いまの時代に合うようにと、新しい解釈に基づいた概念を打ち立てるのだが、その後、それがことさら新しい解釈でもないことに気づき、結局は最初の概念のままでも大差ないのではと思うこともある。
 進歩は結果的に振り返って、どの程度歩んできたか、出発点から離れたかを確認してはじめて実感できるものだ。
 ところが、概念の進歩は、螺旋状で距離のわりにはすぐ横に古い概念がある。これまで何キロも歩いたのに、たった一歩、横にズレさえすれば移動距離を帳消しにするぐらい古いところに移動できる。どんどん横にズレていけば出発点に戻れてしまう。
 新たな円周を描くより、中心に向って直線的に半径を移動する方が楽である。その求心力は強力なので、なかなか振り切ることはできない。もっとも振り切らなくてもいいのかもしれないが。
 概念の進歩は実感しにくく、自分は新たな方向に歩んでいるかどうかも、かなりの距離を歩かないとはっきりしない。
 などと、いかにも形而上的なふわふわとした話を長くしてしまったのだけど。

 温故知新。私は古い概念のSMが好きである。そこに潜む乱暴で危険な香りが好きである。
 中でも「奇譚クラブ」は、ネット上にイメージがアーカイブされていることもあって、ときどき読み呆けてしまう。1947年(昭和22年)10月から1975年(昭和50年)3月まで(中断を何度か挟む)刊行された雑誌。当初はいわゆるカストリ誌で、その後雑誌になっていく。1956年(昭和31年)12月号から、沼正三『家畜人ヤプー』連載され、1962年(昭和37年)8・9月合併号から団鬼六(当時は花巻京太郎名義)の『花と蛇』が連載されたことでも知られている。
 溝口健二、三島由紀夫、渋沢龍彦、寺山修司なども愛読していた時期があるそうだ(以上SMペディア)。

 先日、私はある人の名を探して1960年代の同誌の目次を眺めていたのだが、ふと「マゾヒスト・古川裕子メモ」(久我庄一)という文に目が留まった。久我氏は「凌辱の幻想と期待の強烈さに圧倒された」とある。
 さっそく同誌に掲載された古川裕子名義の告白を読み始めた。古川裕子は大正十一年生まれというので、存命なら97歳だ。マスク、猿ぐつわ、ゴム引きレインコート、縄をオナニーの快楽に直結させていた娘時代から、大人になって理解ある伴侶に巡り合い、地下室や屋外で苛烈な責めを受ける。マゾヒストとして幸福な時期を経て、その理解ある伴侶を事故で失い、魂が漂流をしていく姿までを数年にわたって掲載していた。
 初期の告白は具体的でプレイ内容もかなり苛烈なものだから、現代のSM概念よりもずっと危険を孕んでいる。当時は、家に風呂のないことが多いので、傷だらけ痣だらけで風呂屋へ行かなければならないぐらいの状況。これは江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』の頃とイメージがだぶる(時代は違うけども)。
 戦後間もないすさんで貧しい社会の中で、被虐願望に忠実に生きることの困難さは、いまとは比べものにならなかったに違いない。だが、新しい憲法の下、自由を得た魂は、こうしたアブノーマルな漂流も許されたのだ。その悦びはきっとあったに違いない。

 SMの一般化がはじまった原初の姿を思いながら、いま執筆しても、とうてい元には戻れない。どうしたって、それはできない。いまを生きている筆者にしてみれば「思う」ことはできても、執筆という現実の前では、その思いの多くは現代の基準で選択され淘汰されていくからだ。
「その程度のことで、興奮して感じていたのか!」と思うこともあれば、「そんなところまでやってしまって大丈夫か」と思うこともある。
 たとえばこれほど手軽に上質のローションが手に入らなかった時代に、どうやってアヌスを開発していたのだろうか。江戸時代は昆布のぬめりなどを使っていたらしい。それがワセリンになるまでに、どれほどの苦労があったことだろう。ワセリンがぺぺローションになるまではどうだろう。
 さらに、括約筋は一度切れたら戻らない、といった説が常識だった時代もあり、その頃の作品には括約筋断裂によって開きっぱなしになったアヌス、といった表現もある。二度と元には戻れない体、という切なさがある。この味わいは、医学の発達した現代ではちょっと味わえない。別の表現が必要だ。
 身体的な部分についての描写も心理的な面でも、「いま」と「過去」の差は大きい。それでいて、すぐ横にあるような気もする。たとえば刺青についてはどうだろう……。厳しさの増した面もあれば、緩んできた面もある。

 古川裕子が何者でその後どうなったのかは、わからない。
 私は「個人の性的な願望」の儚さを思う。彼女の思いは生きている間に遂げられてはじめて実感できたものだ。それは現代の私たちも同じ。
 死んでしまったら、思いもそのまま消えていく。性的な願望は遺伝しないし、世襲で引き継ぐような性質でもない。
 それでも、現代でもレインコートや縄やマスク、猿ぐつわで性的興奮を得られる人はいるだろう。彼女の精神に近い人はそこここにいてもおかしくない。
 概念は当時とは違ってきているものの、行為はとても近いものがあるはず。
 彼女がどうなったのか。それを思ったときに私は構想を得て、「女囚スパイラル」という作品を書きはじめた。これは祖母、母、娘の三代にわたる被虐的性癖についての物語だ。
 とはいえ、私にはいまから戦後に生きた大正生まれの女性について書ける自信はない。憑依できない。戦後生まれのその子(作品では母)では、少し物語が動きにくい。そこで、孫娘を主人公にした。いまを生きている娘。彼女のレインコートに対する異常な執着、それはやがて蔵に残された祖母の告白記事の発見へつながる。同時に彼女は、近くに住む継母の弟によって、恥ずかしい姿を露わにされていく。
 できるだけ古典的な道具を活用しながら、新しい作品を作ってみたい。古い概念と新しい概念を、横から見て並べて描いてみたい。そんな欲望を持ったのだった。さて、どんな話になるだろうか。

(協力:エピキュリアン きゃんどる工房ローソク



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『奈々恵の百日(続・許諾ください)
『お嬢様はドM3(完結編 期間限定Ver)』
『新版 共用淫虐妻・千春(期間限定Ver) 』
『妹は鬼畜系R(期間限定Ver)』
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1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
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