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くされ作家のクズ箱 その24 女と視点と羞恥心と

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 くされ作家がデビューしたときに、SM小説はすでにブームを終えようとしていた。ブームを牽引していた作品の多くは、「羞恥」を主要なテーマに据えていた。
 ところが、世の中ではタブーは減り、オープンになっていき、羞恥に対する人々の評価、捉え方も変わっていった。
 いまの時代、肌を露出しても恥ずかしくはないが、成りきり度合いが低いのは「恥ずかしい」。完成度が低くても、思いきりよくやり切ることができれば、むしろ評価の対象となる。失敗すれば「恥ずかしい」。
 羞恥心は、自己評価よりも、他者評価である。自分の恥ずかしさと、他人から見た恥ずかしさでは、いまの時代は圧倒的に他者評価である。
「おまえ、それ、恥ずかしいよ」という時代になったのだ。
「え? そうかな」
 当人はそれがどうして、どう恥ずかしいのかわからないケースが増えている。または自己評価の「恥ずかしさ」は克服すべきテーマと捉える傾向が強い。
 古典的SM小説では、被虐側は、強い羞恥心を持っている。自己評価である。ミニスカートで銀座を歩くこともできない。ナマ足もダメ。まして、半裸で街を歩かされるなんて……。こういう羞恥は「卑下」ともとられて、「古い因習」からのものとして否定されていくわけだ。
 いや、いま女子大生だって夏場は半裸と言っていい。私も毎年、輝くばかりの太腿の群れに遭遇してはため息をつく。「恥ずかしくないのか」と。
 また、男の感じる「恥ずかしさ」と女の感じる「恥ずかしさ」はかなり隔たりがある。男の恥とは「みっともなさ」であり「はっきりしないさま」でもある。女の恥は、「一時のものか、死ぬまでか」といった時間軸がまず先にあり、たいがいの恥は「一時のもの」と割り切る潔さがある。男はそれができずに悶々とするが、その悶々する様がすでに恥ずかしいと女には映るようだ。
 もちろんそうじゃない男女もいるだろうが、一般化するとそんな感じを私は持つ。とくに子どもを生んだ女性の「恥」は、出産未経験の「恥」とはまるで違う。母は強し、という言葉もあるように女は母になると羞恥心を他人事にできてしまう。
 不倫を糾弾された男女の反応の差も、興味深い。男は「しまった」と思いがちで、なかったことにしようとする。女は「二人で一緒なら世界を敵に回しても平気」なのだが、男は情けない方向へ逃げるために女は取り残され、その怒りから開き直りへと向かう。
 いや、実際はメンタル面では大変なのだとは思うけれど、男は恥をかいたあと社会との関わり方を変えようとするのに対し、女はそれを「一時」と割り切って以前のままの姿で復帰しようとする。
 男が描くSM小説では、これがしばしば逆になる。女は恥ずかしさのあまり、その事実を隠そうとして、さらに深みにはまっていくし、いつまでも恥を恐れてしまう。
 現実はそういう女性よりは、早々に開き直る女性の方が多いのではないだろうか。
 SMにおいては、羞恥プレイはとても重要なものだが、その意味するところは、創作としては女性の姿で描かれていながらも、実は男性の羞恥を描いていることが多いと私は思っている。
 男性読者はたとえM的要素はなくても、羞恥に悶え苦しむヒロインの姿に愉悦を感じるのである。このあたりは、「女よりも女らしい」と言われるように、女形の演ずる女性像などから伝統的に続いている感覚だろう。
 古典的な作品でも女性を男性視点から理想化することは多いので、そうした教養を持った男性はどこかにその感覚を理解する素地があると思う。
 女性の描く女性のためのSM小説と、男性の描く男性のためのSM小説は、こうした視点の差、経験の差、そして伝統的な概念の差などから、結果的にかなり違う作品になっていく。
 女形の文化のおかげもあって、SMプレイでM役に浸ることのできる男性が多く存在するのに対して、M役に浸る女性はどちらかといえば少ないと思う。女性のM役は当初はMらしく演じるのだが、やがてSを包み込むような存在(母視点)になりがちで、どちらかといえば支配する側になっていることが多いだろう。
 男は女には勝てないのである。
 そのせいか、男がSへ向かえば、女を無理やり奴隷にするような世界を妄想し、Mへ向かえば強い女に支配される肉便器奴隷を妄想しがちなのは、理解しやすい現象ではないだろうか。
 そこからさらに倒錯して、強い女に支配されるMな女役、つまり男が理想とするMな女役に浸る男、といった姿になっていく。
 女装していじめられたい、女言葉を使いたいといった要望は、それほど意外ではない。
 私が、女性主人公の一人称で小説を書くようになったのは、ネットの掲示板に書くようになってからのことだ。
 主に三人称で描くことが多かったのだが、あるとき、掲示板でしかも匿名で公開するのなら、性別は好きなようにできるのではないかと気づいた。「ネットおかま」という言葉もすでにあった。私の場合は作品だから、女性になりすまして誰かを騙すような犯罪行為ではない。堂々とやっていい。
 いじめられる女性の視点で描くと、自分の描きたいSM小説が、思った以上にスムーズに書けることに気づいた。
 プロの作家として作品を書いていたときは、男性のペンネームであり、編集者にも男性とわかるわけで、そこに男特有の羞恥心があってそれを吹っ切ることができなかった。
 だが、ネットではそれができた。
 このおかげで、「あんぷらぐど」は極めて羞恥心のないストレートな描写を平気でするようになったのだ。
 このあたりは男として生まれたことが残念だけど、それは私の育った時代が「男は男らしく」がまだ一般的だったことの影響こそ問題にすべきかもしれない。
 私は男であり同時に女でありたい。両性具有が理想だ。作家というのは欲深いもので、あらゆる視点が欲しい。神にもなりたいし、同性愛者にもなりたい。雄々しくもなりたいし、女々しくもなりたい。
 恥ずかしさに身もだえしたいし、恥を恥とも思わない人にもなりたい。いい人にも悪い人にもなりたい。何度も死んでみたいし、死後の世界も経験したいし、幽霊になって誰かに取り憑いてみたいし、生まれ変わってみたい。人ではないものになってみたい。
 ま、こんな具合に果てしなく欲が深い。この欲が創作の原動力となっていることは確かだ。
 そして「荒縄工房」をはじめるとき、私は女性主人公の一人称形式をもっと続けることを自然に選択していた。ある作品では、当初は三人称で描いたのに、刊行時には一人称に変更したぐらいだ。
 憑依できないかもしれない登場人物を想定したとき、どうしても腰が引けて三人称になる。突き放して、わからない部分はわからないままにしておくときには、三人称が便利なのである。
 簡単に言えば、主人公がトイレに入っている間に、会議室でされていた会話は、一人称小説ではあとから知ることになるか、または永遠に知ることはない。三人称なら同時並行に描くことも可能だ。
 一人称は制約が多い。視点がそこに留まる。その人物の受け止め方で描くので、その人物のことはすべて理解していないと書けない。または「理解できている」と思い込まないと書けない。
 それでいて、一人称は書きはじめるとほとんど滞るところがない。なにしろある意味憑依した主人公、つまり「自分」のことを語っているだけなのだから。
 三人称は迷い続ける。描写の選択肢が多いために、いまどこを誰の視点で描くか。いわば演出プランが不可欠になる。
 本来、ストーリー重視のときは三人称のほうがいいと思う。神視点、または複数視点で立体的に描くことができる。主人公の知り得ない事実に触れることができる。
 たとえば現在連載している作品のうち『淫虐の楽園』は三人称で神視点だ。登場人物それぞれの心情を描きたいのと、ときどきシーンが分裂するからだ。同時に別のところで事件が起こるので、それを描くには三人称のほうがいい。
 また、主人公はとんでもない悪人であり、その思想はとてもわかりにくい。だから、主人公の一人称で書くと、私にしかわからない作品になってしまう恐れがあった(それにこの主人公はおそらく自伝や日記は書かないタイプの人間だ)。
 一方で『シェアしてください』は、主人公の女子校生の一人称とした。この作品はホラー要素があるので、主人公にわからないことは、むしろわからないままの方がいい。そしてストーリー以上に、主人公の欲望、情念が中心なので、ぐっと深く入り込むには一人称がふさわしい。
 ただ、こうして書いた原稿をあとでまとめるときには、別の考え方になる可能性はある。
 結果的に、書き終わらなければ、どの視点が正解だったのかはわからないのだ。
 もっともすでに6年目に入った「荒縄工房」のおかげで、私は定期的に女性の一人称視点のSM小説を書かないと気がすまなくなっているのも事実である。年を取っていわゆる更年期以降、男性ホルモンが減少し、女性ホルモンが勝つという話もあるので、私はオバサン化しつつあるのかもしれない。
 この頃は、テレビの「ロンハー」で見せるカンニング竹山の女装姿に、以前のような嫌悪よりも親近感を感じているほどだ。ただ、それもまたちょっと捻くれた男視点ではあるのだと思うが。


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くされ作家のクズ箱 その23 異物は虚無との戦いか

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 くさった頭でいつもなにを考えているのか。その中身をSM小説との出会い(70年代)から綴っているわけだが……。

 A感覚、アナル、道具立て、浣腸、拡張と話してきたので、異物挿入という責めについても触れておきたい。
 異物については、SM小説ではさまざまなバリエーションがあるものの、おおよそ次のような目的が主ではないかと思う。
1、大切なあそこに、あんなものを。
2、とうてい入るとは思えないものを。
3、絶対入れてはいけないものを。
 1は、基本的な異物責めである。女性器、泌尿器、肛門に「本来の目的とは関係のない異物を入れる」ことは、とても子どもじみた行為ではあるが、根強いパッションが感じられる。野菜、器具などが多いが、受話器からはじまって携帯電話、そして現在ではiPhoneを入れるのはもはや「伝統芸能」な感覚である。
 ある意味のフェティシズムもそこにはあるだろう。彼のiPhoneを秘部に入れる、という行為にはただの異物挿入とは違う意味合いが含まれる。また、最近は鼻孔に注ぎ込むこともあるが、美しい顔を歪めながら、嗚咽する相手を眺める責めと言える。
 いずれにせよ「してはいけないことをする」背徳感もかつては強かったが、現在ではこれはかなり薄くなっている。たとえば性器については、大人のオモチャが一般的になっていることも多いに影響していると思う。あれを入れるなら、野菜を入れるぐらいはそれほど異常でもない、と。だったらもっと危険なもの、普通じゃないものを入れたいと考えて、パンツ、虫などの生物、生ゴミなど汚物と変化していく。そして、それは2の「とうてい入るとは思えないもの」であるとか3の「絶対入れてはいけないもの」に向かうわけだ。
 2は恥ずかしさを超えて達成感である。巨大なディルドを入れるとか、野球のバットを入れるとか、カラーコーンとか。
 これもいろいろ考えられる。こちらの異物には「暴力」を秘めた意味合いがこめられている。「こんな大きなもの、ムリ」というところを強引に進めていく。征服し達成する行為だ。または、さらに「破壊」も含まれる。
 本来は「こんなものを入れられても感じてしまう」といった羞恥が強くあったはずだが、これも現代はあまり強調されにくくなっている。「恥ずかしい」を連発する作品も悪くはないのだが、ちょっと昔のイメージを想起してしまうことが増えているかもしれない。
 むしろワインボトルを入れたとき「やった!」と達成感のあまり、写真を撮ってしまう、という方がいまな感じがする。「入っちゃった」的なおもしろさだろう。
 3は無意味さと恐怖である。1も2も、ある意味で前戯であるとかオナニーであるとか、または拡張そのものが快感に思えるといった倒錯的な「意味」が多少はある。しかしこの3にはそういう意味からも離れていく。
 たとえば、入れてはいけないものを入れる。ハイヒール、汚物、ゴミ、さらには画鋲や虫など。おおよそ直接的には快楽には結びつかず、2のような達成感もない品物を入れてしまう。
 私はこの3こそが、もっとも今日的な行為に思えてならない。
 80年代に書いていた私の作品の異物は1か2しかなかった。だが、いま私は3をよく書く。虚しさと怖ろしさこそが、倒錯的な快楽になっていると思っているからだ。
「こんなことをしても、なんにもならないのに、してしまう、やられてしまう、やってしまう」という部分である。
 そもそも性行為が生殖という本来の目的から逸脱して快楽中心になっていったときから、実は虚しさが同時に蔓延していったように思う。
「こんなことをしても、なんにもならない。でも生きているときしかできないし」みたいな感覚だ。
 これは新しいようで古い感覚でもある。ただ1点、今日的だと私が思うのは「虚しさを楽しむ」点ではないだろうか。
 話は逸れるが、虚無感は時代が人を追い越したとき(恐らく産業革命あたりか)から、蔓延している。少年マンガであるとか冒険ファンタジーの世界は「それでもがんばれば、虚無感は克服できる」と主張しているけれど、私の描くような世界は虚無感を受け入れて、虚無であることを楽しもうとする。
 虚しさを楽しめるかどうかは、長く私たちの人生の裏メニューでもあった。虚しさを埋める行為はポジティブに解釈されることが多いけれども、虚しさを確認しながら虚しさに浸る行為は、行き着くところが「死」ということもあってか、なかなか受け入れにくい快楽世界だと思う。
 性愛を扱う文学では、最後に主人公たちが心中するなどして死んでいくことが多い。阿部定事件のように少なくとも片方は死んでいく。長生きすると、虚無を克服したように見えてしまったり、コメディになってしまう可能性が高いからでもある。
「今日も張り切っておまえを責めるぞ!」「はい、がんばりまーす」といった関係性は現実にはあってもいいけど、作品的にはかなり難しい。また、老いたSMカップルによる介護的なSM関係を、いずれ描いてみたいと思う衝動はあるものの「誰が読む」と言われると構想から先にはなかなか進まない。
 こうした虚無への対処の一つであり、なおかつ羞恥なき現代の中での倒錯的興奮としての異物挿入ではないか、なんて思う。
 ネットではさまざまな異物挿入動画を見ることができるが、中でも私が好きなのは、お尻の穴に大きな蕪を入れて、四つん這いで歩かされている動画である。周囲は畑か、とにかく屋外だ。蕪の葉が尻尾のように出ている。
 おまけに拡張された尻穴は、歩いているうちに自然に蕪が飛び出してしまう。無情にももう一度、押し込まれ、歩かされる。
 ビハインドシーンがないものの、もしかしたら、このあとこの女性は笑い出すのではないかと危惧するのであるが、ともかく勝手にこちらとしてはそこに淫らな感情を投影するのである。
 異物があそこに入ってしまう。入れて歩いてしまう。しかも屋外で。
 彼女は一般の人が行けないところまで行ってしまったと思えるわけだが、気の良い奥さんかも知れず、人気の店員かもしれない。
 彼がつくる農作物を入れられているうちに、とうとうここまで来てしまった、のかもしれない。
 まさに虚しさを受け入れて、そこに悦びを見出しているように思える。それを見ている私はそう感じる。
 こんな体になってしまうと、むしろ、やらずにはいられないのではないか。ぽっかりと開いてしまった部分に、なにかを押し込むしかないではないか。
「次はなにを入れようか」と。
 この異物挿入は、大人のオモチャ同様、一種の「インポテンツ」のセックスとも言える。大人のオモチャの中には、男の場合、男性器の機能を補う役目で開発されたものも多い。完全な性的不能ではなくても、男は立たない時はインポのようなものだから、「やりたい」という気持ちと「やれる」は必ずしも一致しない。それを補う道具とも考えられる。
 また女性側としては、男の精力が物足りないとしても、異物でも感じることができればお得である。人間は利益を追求したがるので、異物によって得た利益は忘れられないだろう。男なしでも感じることができれば、便利この上ない。
 これは女性に限らない。男性でもアナニー(アナルオナニー)好きは多いと聞く。男性との性交渉を希望しない男性でも、肛門を開発しているケースがあるのだ。肛門で感じることができれば(ドライオーガズムなど)、人生が二倍お得、ということである。自慢の肛門を女性に責めてほしいと望む男性もいる。
 男は、性器にコンプレックスを持っている人もいるし、勃起しなければ男ではない、といった刷り込みもあるので、アナニーで快楽を得られるのなら、いわばこのコンプレックスから解放される。勃起しなくても快楽を得られるなら、お得である。
 この「お得さ」は、私としては虚無を楽しむことにつながっていると思う。どれだけ立派なペニスがあっても、射精をすれば終わってしまう。その虚しさを男はいつも抱えている。バイアグラを使おうとも、永遠に勃起したとしても、快楽が永遠に続くわけではないのだ。
 一方、ドライオーガズムをアナニーで得られれば、勃起も射精も関係なく快楽が得られるとされている(だから「ドライ」なのだが)。前立腺を刺激するためには、アナルだけではなく尿道も有効である。つまり、男性であっても「前から後ろから」があり得る(らしい)。
 虚しさを悦びにする一つの方法として、こうした考えを持つことも「あり」だろうし、その前戯または練習としての異物挿入も「あり」だと思う。
 物書きの私は虚しさを脳内で処理することが多いわけだけども、体感重視の人にとっては異物挿入は必然かもしれない。
 この結果、異物挿入をむりやりさせられて、新たな快楽に目覚めてしまうSM小説における被虐的な登場人物は、とても得をしていることになってしまうわけだが……。


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 ブログ掲載時から大幅に改稿し、エピソードを増やした完全版です。
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目次
二次元コード、最初の落札者、肛虐縛り、言葉で嬲られて、恥部いじり、すべての穴を支配されて、拡張責め、野外調教、淫らなランチ、露出散歩、産卵遊戯、洗濯バサミの悦楽、懲罰、変態労働、残酷な夜、ハメられて、旅行に連れ出される、宿で見世物に、お座敷SMショー、露天風呂、踏みつけられて、火炙り刑、残酷嬲り、果てしない悦虐、終章


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くされ作家のクズ箱 その22 拡大志向の限界

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 さてまたまたアナルの話だ。なお、私はアナルという単語とアヌスという表記をよく使う。エイナスもたまに使う。厳密な意味よりも汎用性と雰囲気を重視している。

 拡大志向はいまも私は定番としていくつもの作品で踏襲している。そこには、「こんな体になってしまった」「こんな体にされてしまった」という意味での愉悦があると思うからだ。なんでも受け入れられる体になる。それは「元には戻れない」という被虐的な気持ちにふさわしい行為だ。
 たとえば、乳首、性器、肛門を普通では考えられないほど拡張する行為。さらに色素を沈着させる行為は、「恥ずかしさ」と「元に戻れない」につながっている。
 浣腸と排泄は、「排泄が恥ずかしい」と思ってくれなければ、意味が半減する。このため他人の前、公衆の場面などでの排泄へとエスカレートしていく。
 私は書いていないタイプだが「愛しているのだから排泄姿は恥ずかしくないよ」と説得してさせている場合もあり、慣れた者同士では羞恥は減少する可能性がある。そこで、「これでもか」と羞恥を喚起するシチュエーションにもっていく必要が出てくるわけだ。不倫している場合は、夫の目の前で排泄させる、とか。
 アヌスの拡張も、たとえばワインボトルを底から入れられるようにするといったことで、誰が見ても肛門を本来の目的以外に使っていることが明らかな「恥ずかしさ」が生まれる。
 SMでは利便性と羞恥の裏腹が、常にストーリーとなってくる。
 公衆の面前でもセックスできるぐらいの体にしたい。その恥ずかしさまでも悦楽になるように調教したい。アヌスにおいても、恥ずかしいほどの大きさにしたい。それはどんなペニスでも(場合によっては2本ぐらい)受け入れられる利便性を備えたい。
 このように高度成長期の終焉とともに、ただの拡大志向から利便性(ベネフィット、コンビニエンス)へと重点は変化していっているように思うのは私だけだろうか。羞恥心については別項目で考察しよう。
 SM小説に出てくる行為の多くが、しだいにサービス産業的になっていくのも、時代を反映しているように思えてならない。いつでもどこでも誰とでも、である。さらに、最上級の悦楽に結びつくように「奉仕」の精神までも強調してきている。ホスピタリティだ。
 私としては、あまりにもM側が高度に発達してしまうと、S側がバカみたいに見えてしまうのではないかと不安になる。Sはわがままで自分勝手な人で、M側は高度なホスピタリティを身につけて洗練された思考力を秘めているかのように。
 奉仕の心はどんな分野でも尊いものであり、賞賛に値する。結果、ホスピタリティの高いMは賞賛に値するわけだ。
 結果的にそう読めてしまう作品も私は書いているけれども、これもまた時代の影響によるものではないかと思っている。

 もちろん、何度も言うように小説の世界では、道具はある意味の心理の表現であり、主人公が敵を倒すときに二十二口径よりはマグナム弾を、もしくは対戦車ライフルであるとかバズーカとか、「怒り」という心理の表現として道具を大きくしていくことはあり得る。それと同じで、ある意味の愛情の大きさが、責め道具の大きさに比例するとも言える。
 しかも、私の作品の大半もそうだが、いきなりバズーカで相手をぶっ飛ばすのではなく、最後の最後にバズーカを使うわけで、巨大浣腸器の登場も、満を持してクライマックスに使われる。
 浣腸する液体についてもグリセリンの濃度をどんどん増やしたり、別の薬品やお酢、タバスコなどいかにも激しそうなものへとエスカレートしていく。
 ところが、バブルが崩壊したように、こうしたエスカレートするストーリー形態そのものが、長期デフレ、低成長時代には「いかがなものか」となっていく。
 一発で怪獣を倒せる光線があるのなら、わざわざプロレス的な破壊活動によってビルをいくつも壊すより、あっさり一発でやっつけるのがいいわけで、それならウルトラマンは1分で終わる。
 こうした情報をみんなが共有していくことによって、絵空事、ファンタジーとして、または水戸黄門の印籠のような「お決まり」としてのエスカレートするストーリーは今後も語られ続けていく。ではあるけれど、そこから「いま」を感じることは少なくなってしまうだろう。
「いま」を感じさせない作品はマニアには受け入れられるかもしれないが、一般的には「いま読む必要はない」と後回しにされてしまう。だから、SM小説で「いま」を感じさせることは常に求められるチャレンジでもある。
 幸いにもセックス関連の手順は、太古の時代から大きくは変わっていないので、官能性を求めるときのストーリーの構造もそれほど大きくは変わらないと、20世紀までは考えられていた。「やることはみな同じ」と。
 しかし21世紀になるとネット、VR、AIが現実となってしまった。仮想現実と現実の関係性が曖昧になっていく時代になっている。さらに二次元、三次元といったくくりもある。また小説に描いたことが「本当にできるのか」といった話もネットであっという間に検証されてしまう。または「やってみた」と実際にやってしまう人が現れる。
 このため、官能性の構造も変わらざるを得ない。
 私たちはいま、そういう時代に生きているのである。前戯の代わりにVRを使う、または前戯はリアルにやるが本番はVRで澄ませるなど、今後はITと官能の融合が進んでいくに違いない。
 一方、それだけに肉体と肉体をぶつけるような、より原始的な世界も求められるだろう。
なぜVRで安全で手軽なエクスタシーが得られるのに、あえて危険で面倒な肉体関係を持つのか。そこを描かなければ意味がなくなるかもしれない。20世紀の当たり前は、21世紀では通用しない場合もあるのだ。
 そう考えたとき、私たちはいまでもインターネットで、無料で、とてつもなくヴァギナやアヌスを拡張した人の動画を目の当たりにすることができてしまう。両手が入る、足が入る……。頭が入る?
 このようなリアルのおもしろさと、小説で描くある意味の仮想現実(読者の脳内で再現、再体験されていくという意味で)の世界ではどのような共鳴が起きるのだろうか。
 私は自分の体の拡張に走る人の気持ちを描いてみたいとも思う。それはグローバルな外に開かれた世界から、自分の体の一器官というとても小さい部分へ閉じこもる方向性でありながら、もしそれをネットで動画を公開すれば、グローバルに向けて変わり果てた自分の肉体を見せつける行為へと転じる。
 これほど振れ幅の大きな世界は、おそらく人類としても未経験なのだと思う。
 私は今後も浣腸や肛虐や拡張を小説の中で描いていくと思うけれども、こうしたことを考えつつ、その中でもより夢のある(悪夢だとしても)世界を提示することができればいいなあ、と思っている。
 ときには登場人物の心理表現として、ときには時代性を表す表現として、そしてあるときはリアルさを持たせるために、さまざまな道具を使い、定番とも言える浣腸や拡張の意味付けを考えていくことになるだろうし、そこにチャレンジし続けたいなと思ったりもしているのだ。


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愛欲の陰獣・新妻奴隷+乱舞’98 篠宮かおり
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くされ作家のクズ箱 その21 内臓の愉悦

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 前回、浣腸と排泄についてあくまでもSM小説上の話として語ってみたが、まだ語り足りていないようだ。ということで、今回もまたその手の話である。

 便秘に悩んでいる女性は、七割という説もある日本では、背徳的な楽しみもさることながら、大量浣腸をされて恥ずかしさに悶えながらも、スッキリできたらどれほどいいか、と想像している人たちもいるはずだ。エステとしての腸内洗浄はすでによく知られている。
 残念ながら便秘の解消だけを考えると、浣腸は万能ではない。頑固な便秘の人には浣腸もあまり役に立たないこともあるし、便秘状態のところにそもそも薬液は大して入らない。最終的には、かき出す必要もある。
 そしてもちろん、日本のSM小説文化では、わざと便秘状態にしてかき出すプレイまである。
 もともと便秘の女性なら、浣腸などせずとも、素直にローションで愛撫を繰り返しながらリラックスさせてアナルセックスするほうがずっとシンプルで現実的だ。ベッドを汚す率も低いだろう。というか、アナルセックスそのものは、浣腸とは本来は関係がないのである。
 日本には男色の文化があり、衆道と呼ばれていた。
 スカトロプレイは絶対にムリだと考えている人は多い。しかし、浣腸プレイやアナルセックスはありだと思っている人は、かなりの割合ではないだろうか。
 それほど「腸内がスッキリ」という快楽であったり、肛門周辺の感覚が「美味しい」と感じる人は多いのである。
 欧米人は肉食系で浣腸は古くから治療として使われてきた。お仕置きとしても使われていた。簡単な理屈で、「子どもが言うことを聞かないのは便秘だからだ」と。お腹の中に悪いものが溜まっているせいだから、それをすべて吐き出させる浣腸は「善」となる。
 つまり「浣腸してやるぞ」というのは、「お仕置きするぞ」を意味し「おまえは悪い子だ」と言っているのだが、日本にはそういう意味はあまりない。最初から遊びとしての「かんちょー」である。もっとも70年代には躾けに厳しい継母から浣腸やお灸をされる話などがあったものの、当時でも「懐かしい」というジャンルだったと思う。
 日本では繊維質の食事が多く、かつてはあまり便秘は多くなかったのではないか。少なくとも戦国時代には、直腸内に便があるのに排便できない、といった人はまずいなかったのではないか。だから、朝晩の通常の排便をすませていれば、いきなりアナルセックスができてしまった(つまり直腸内は空っぽ)と思うのだが、どうだろう。
 加えてペニスの長さもある。日本人は小柄な上にペニスもそれほど長大ではない。挿入によって到達できる範囲が短い。お尻でするときは、臀部の張り出しがあるため体位にもよるがそれほど深くは入らないだろう。
 一方、長大なペニスをもってすれば、かなり奥まで蹂躙できるので、そこで溜まっていたものとコンニチハ、という事態はあり得る。それを防ぐためにも浣腸はむしろ当然の行為だったのかもしれない。
 DMMで検索すると「アナル」で13744タイトル。「スカトロ」のビデオ作品は1627タイトル。「浣腸」とすると2622タイトルあった。
 浣腸と排泄の周辺には、たくさんの快楽が潜んでいる。
 お尻の具合をよくする、つまり「ケツマンコ」にしていくために器具を使用する。なぜならアヌスの役割は大きく矛盾しているからである。
 形状を見たとき膣は通常は潰れた粘膜の袋だ。入り口から奥までそれほど差はなく(もちろん名器の人はいろいろあるとはいえ)、挿入するとその分だけ広がる。ペニスにぴっちりまとわりつく。
 アヌスは肛門付近はぎゅっと強く締め付けることができる。排便を我慢することができるのである。ところが、締まるのはそこだけで、奥は無感覚の腸である。腸を意識して締めることは不可能だろう。それができるなら便秘はない。便を溜める機能もあるため、柔らかく広がっている。
 膣が片手ですべての指を使ってやんわりとペニスを握っているようなものだとすれば、アヌスは親指と人差し指だけで輪をつくって締めているようなものだ(もちろん個人差はある)。
 この締まりのいい部分が気持ちよいことになるのだが、同時に締まりがいいために太いものを入れるのが難しい。
 せっかく締まりがよくても入れられなければ思いは達することができない。だから、ある程度の拡張をしなければならない。
 出すのは得意だが入れるためには、多少の訓練が必要だ。傷つけず痛みを少なくするためにもお尻の柔軟さが不可欠である。
 こうして「恥ずかしいお尻の修業」といったテーマが成り立つ。アナルオナニーを常習している人はともかく、アナル処女の場合はきれいに仕上げるために慎重な行動が求められる。
 このため、SM小説ではかなり乱暴なことをしているようでも、案外、理にかなった方法で拡張をしていることが多い。一例をあげれば、細く短いものから長く太いものへ、段階を追って異物を挿入していく。綿棒にはじまり、ペン、万年筆、指1本から、2本、3本といった具合。
 小説ではあまり詳しく書かないことが多いものの、肛門もまん丸でありつつも、左右は大腿の根元や骨盤に阻まれるので、上下に拡げたいところだが、こちらも恥骨、尾てい骨に阻まれる。
 このため、フィストファックなどの拡張となると、個人差も大きく誰でもやればできる、とは言えないと私は思っている。もっとも、SM小説ではこうした部分には目をつぶり、誰でも拡張できる前提で話を進めている。
 いわば拡大志向というやつで、SM小説が1970年代からブームになっていった時代はいわゆる高度経済成長で「大きいことはいいこと」だったのである(なんてね)。
 このため、浣腸器も巨大化すれば、アヌス拡張用の器具も巨大化していく。
 この話、まだ続きます。


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★便所虫の歌★


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週末にマリカとして苦痛を求めてさまようOL。掲示板で出会う相手の要求のままに、激しい苦痛にもだえ苦しむ。その間の記憶は失われ月曜には勤務先に出社する。そこに別のマリカが挑戦してきた……。どちらがホンモノか決着をつけることに。負ければ永久便器となる。



★折檻部屋の風夏★
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父母を香港のゴミ焼却所で惨殺された風夏は、大金持ちから一転して逃げ回る生活に。最後に学生時代の女友達を思い出して訪ねる。卒業前に奴隷になると誓っていたのだ。だが女友達は風夏に過酷な指令を出し続ける。ノワール風味の漂う作品。


★乱舞★
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その恋は危険な世界への扉だった……。勤務先のエレベーターで見初めた彼女は、とあるバーでアルバイトをしていた。彼女を雇うことにし、同時にオフィスでの調教をはじめる。自分の求めた女なのかを確かめるように、過酷な責めを課していく。やがて取引先の接待要員に使うことに。果たしてSMと純愛は両立するのか。


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淫猥調教 私はあなたの奴隷です……。 通野未帆
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くされ作家のクズ箱 その20 浣腸と排泄の快楽

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 私がSM小説に出会ったのは1970年代だった。
 サドの『悪徳の栄え』を手に入れてよくわからないながらも、何度も読み返していた洟垂れ小僧だったわけだが、図書館で借りた誰かのエッセーに偶然サドが言及されていて、下女や娼婦などに浣腸して逮捕されたみたいな風に描かれていた。もちろん、浣腸だけ逮捕されたわけではないのだが。
 現在ではサドの実像についてはもっとリアルな文献が多数あるものの、当時日本語で読めるものは少なく、ちょっと適当すぎる扱いもされていたのである。
 ただ少年心に「浣腸」が刻み込まれたのは事実で、「それのどこがおもしろいのか」と謎が謎を呼ぶわけだ。
 悶々としている私の前に、1970年代中盤あたりだろうか。いくつものSM雑誌が書店の一角を占めるようになったのは、天の啓示としか思えなかった。以前に書いたように当時は「A感覚」と呼ばれたジャンルがあった。鶏姦という言葉は、そもそも男性同士の結合であるが、この頃にはアナルセックスを意味してもいた。男なら穴はそこしかないのだが、女性器ではなく、アナルを求める行為は女性に対する屈辱であり責めと解釈されたのである。
 現在とは意識がちょっと違う。
 浣腸はこのアナルセックスのための準備を兼ねていると当時のSM小説では記されることが多かった。つまり、捕らえた女性に浣腸をし、羞恥の中で排泄、そのショックでやや従順になった相手をアナルセックスでトドメを刺す……。
 一方で、ピュアな浣腸マニアも存在していたことは、当時の雑誌でもうかがえた。
 たとえば、何も知らない女性にいちじく浣腸をして、お漏らしをさせる。それも排便なので羞恥心もマックスになるとの発想だ。恥ずかしいのに強制的に漏らす女性を見て興奮するわけだ。
 オムツプレイなどにも発展していくし、こうしたシチュエーションに浸って自ら浣腸して遊ぶマニアもいることを知った。
 一方で、浣腸で苦しめることに重点を置く発想も生まれる。簡単には排泄できない状況にして大量の浣腸で長時間悶絶させる。または通常の浣腸液ではないものを浣腸する。さらに何度も何度も浣腸を繰り返す。
 前者は幼☆児プレイ、オムツプレイなどとも重なっていく。羞恥と背徳感が主だ。
 後者はより狂暴な浣腸器であるとか浣腸液の開発へと進んで行く。これがいわゆる「肛虐」というジャンルに発展する。
 シチュエーションとしては、相手が1人だけではなく、複数になっていったり、公衆の場所などへ拡大する。
 実際に浣腸プレイをする場合には、なんといってもその後始末が面倒この上ないだろうことは想像できる。
 ス☆カトロ要素を加えていくのはしばらく後のことである。出てしまったものをどう扱うか、という部分では、長らく浣腸シーンはあっても排泄後のシーンはあっさり、という傾向だった。ぶちまけられたものが、あっという間に片付けられてしまう。
 そうしないとトドメとしてのアナルセックスまでに、間があいてしまうからだ。
 ス☆カという角度から排泄後まで描く作品は、とても特殊な扱いを受けていたはずで、いわゆる官能小説ジャンルの小説では今日でも真正面から取り上げる作家は少ないだろう。
 しかし、時代は変わった。それは、否応なく実物が飛び散るアダルトビデオの普及からだと思う。日活ロマンポルノの時代にも浣腸シーンはあったが、注入が主。排泄はよくわからない。
 脂汗を垂らして苦悶する女優のアップと、なにかが出たらしい雰囲気と、それを受けた洗面器かなにかを片付ける描写で済ませる。
 女優に実際に浣腸、排泄をさせなかったのだから、描写のしようもないとも言える。見る側も「お約束」だったのだろう。
 ところが、リアルなビデオでは、もろにそれが飛び散る。汚す。それでも、後始末シーンはなく、盛大にやり散らかして終わることも多かった。ス☆カマニア向けでない限り、いまでもそれに似た表現なのではないか。
 小説は、都合の悪い部分はカットするなり、さらりと描写すれば済んだ。だが映像は現実を見せつける。実際に女優に浣腸し排泄する。
 女性が排泄をするシーンを目の当たりにした人たちは、かつてのような「美しい」浣腸シーンだけでは満足しない。むしろ私が最初に夢中になったような浣腸シーンは、ファンタジーになっていき、リアリティが減ってしまう。
 絵的にきれいだからと、真っ白な牛乳浣腸もビデオ演出の影響で、たちまち定番になる。
 今日でもなお、ス☆カを前面に扱うことは躊躇われるので、私などはあえてできるだけ踏み込んで描くようにしているのだけれども、完全なス☆カ小説というのは書いたことはない。読者にも強い抵抗があるようなので、これでも慎重に扱っているつもりだ。
 浣腸描写は歓迎だがス☆カは「混ぜるな危険」という意識も根強い。タブーなき作品を目指す「あんぷらぐど」としては、当然、混ぜてしまうわけだが……。
 浣腸は、典型的な懲罰道具(お仕置き)の中では、体の奥深くまで入る点で特別な意味がある。鞭、パドル、ロウソクとは性質が違う。海外では民間療法としての浣腸が古くから知られていたため、日本の感覚とはずいぶんと違うが、日本的な羞恥と欧米のウォータープレイが融合し独自に発展していると思う。
 ちなみにウィキペディアの「浣腸プレイ」の項目には、多岐にわたるその効果(快楽)が分類されている。
 SMの道具の中でも、これだけ幅広い快楽をもたらすものはほかにはない。排泄器官そのものの快楽だけではない。羞恥、苦痛、背徳感、さらに嫌悪を乗り越えて共同作業としてお互いを確かめ合う心理などなど。
 このためきれいになったアヌスを犯すシーンよりも、そこに至る浣腸シーンのほうが重要になっている。
 私自身、80年代に作家デビューした頃は「安易な浣腸」と編集者に怒られたものだ。「ここで浣腸しておけばいいだろうという姿勢はやめてほしい」と。確かに。
 そんなつもりはなかったのに、パターンに毒されていたことに気づいたのであった。以後、今日に至るまで浣腸に限らず、責めのための責めではなく、著者としてはそれぞれに意味をこめて責めるように酒でぐずぐずの脳みそに負荷をかけて書いている。
 かつてのSM小説には、「排泄まで見られた」と屈服してしまう描写さえあった。いまの感覚からはちょっと違うかもしれないが、少なくとも浣腸はかなり体力を使う行為なので疲れ果てる可能性はある。大腸検診などで経験している者ならおわかりだろう、下剤や空気浣腸など、腸内を空っぽにする作業がどれほど疲れるか……。
 SM小説を典型的にする浣腸であり、同時にあまりにも多岐にわたる感覚を刺激する行為なだけに、書き手として浣腸をどう扱うかはいつも悩むところなのである。この話はまだ続く……。


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★美魔女狩り 浅木郁子編★

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藤木たち「美魔女狩りチーム」初登場作品。 銀行支店長として活躍していた美魔女・郁子は、脱出不可能の罠にはめられる。肛虐を主体とした責め苦の中で壮絶なアクメを繰り返すうちに、すべてを失い尻穴女郎・イク子へと調教され、部下や取引先から暴虐の限りを受ける。>



★美魔女狩り 我妻千鶴子編1★
美魔女2-1
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「美魔女狩りシリーズ」2番目の標的は人気コメンテーターの母娘。大物政治家と結婚していた経験を持つ千鶴子は、娘の咲を人質に取られ、交渉のために秘密クラブへ。すべてが罠であるとも知らず必死に奴隷になりきろうとするが、過酷な排泄管理をされ、恥辱にまみれる。


★美魔女狩り 我妻千鶴子編2★
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美貌と直言で人気のコメンテーター我妻千鶴子を奴隷にする……。藤木の野望は目の前で崩れそうになっていた。果たして逆転できるのか? 淫美な映画の撮影、千鶴子の策略、奴隷タレント契約……。我妻千鶴子編の完結です。


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広報部長の浣腸スキャンダル!クソ部下に野外調教され淫乱マゾ覚醒しアナル肉便器に墜ちた話 朝桐光
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火曜日・水曜日
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木曜日・金曜日
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土曜日・日曜日
 変態ですみません
月曜日
 妄想絵物語(イラスト・月工仮面さん)またはコラム
 月は休止の場合あり


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