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くされ作家のクズ箱 その30 数センチの世界(セックス描写考)

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 セックスの描写は必要か、というのは小説に限らずあらゆるジャンルの表現でぶつかることかもしれない。
 最近、ネットで読んだある映画監督の話の中に、「この食事シーンはいらないのでは」との指摘に監督が最後までこだわった、といった話があった。
 食事シーンもまた、カットされやすい点ではセックスに似ている。私はセックス描写も好きだが、食事描写も好きだ。なにかを食べている人の顔を、じっと見つめることは日常ではあまりないからでもある。
 試しに、自分の前に鏡を置いたり、スマホを自撮りにして食べている自分を眺めてみると驚きと恥ずかしさとなんとも言えない嫌悪を感じたりすることもあるだろう。
 誰かに見つめられながら食べるのも、かなりの困難を伴うかもしれない。まして、見知らぬ異性に見つめられていたら。
 セックスでもそうで、自分がやっているところを見るのは、かなりの非日常感がある。
 トイレ描写も、そこでなにかが起こる(ホラーとかコメディとかアクションとか)以外ではカットだ。私も小説で、登場人物がトイレに行くところを描くときは、なにかが起きる時だけで、そのほかに通常1日に数回あるであろう「小」のことをことさら描くことはない。
 ところが私たちの日常は、表現ではカットされるセックス、食事、トイレによって規定されていることが多い。
「トイレ行きたいから」を理由として、なにかを止めたことはないだろうか。食事をしたいからと、他の予定を変更したことはないだろうか。セックスがしたいからと、自分の行動を変更したことはないだろうか。
 したい、食べたい、出したいとき、わたしたちは言動も表情も変わるのである。
 以前、ある長編小説を読んだのだが、4日間ほど経過するその小説で、主人公は一度もトイレには行かず、食事描写も2度ほど朝食にありつく場面のみで、セックスはなかった。
 食べ物テーマの作品、トイレテーマの作品、セックステーマの作品では、当然、それがメインになっていく。
 私はセックスメインではないが、SM小説を必死で書いている。その中で、セックス描写は意図的にかなりあっさり描くことが多い。
 官能小説や性愛中心の描写となると、こってりと描くことが求められる。
 SM小説も官能小説の一分野と考えれば、セックスをこってり描いてもいいはずだ。しかし私はそうしてこなかった。
 たとえばきわめて健全な雑誌『ターザン』で「男と女のハンサムSEX」という特集を読んだりすると、官能小説的には十分に楽しい世界が広がっていることが確認できる。
 その中には有名な「しみけんさん」の言葉などもあって、最初は挿入しても動かさない。さらに動かしすぎはNG。わずか3センチか4センチの小刻みな動きだけで十分だと書いてあったりする。
 わずか数センチの動きで、受け取る感覚は大きく変わる。それがセックスだ。
 その数センチの違いを官能的に描き出すことが、セックスを書くことになる。
 ところが、みなさんも薄々おわかりのように、セックス、食事、トイレでは、あまり意外な展開は生じない。いずれも、満足か不満足かは別として、やってみて、そして終わるのである。それだけ、ということが多い。
 このため通常はカットされやすく、もし描写するとすれば、予定通りに終わらなかったときだけとなる。
 セックスをしようとしたら、勃起しない。相手が失神してしまう。いきなりケンカになる、といったことが起きるなら書くべきだろう。食事をしたら喉に詰まって死ぬ、毒が入っていた、食事が出て来なかった、などといった不測の事態が起こればそれを書くことになるだろう。トイレも同様だ。
 官能小説では、やってみた、よかった、という場合、つまりセックスをしてみたというだけでも、しっかり描く必要があるかもしれない。こうなると、なかなかに書くのは大変な作業になるに違いない。
 しかもエンタメとして読者に楽しんでもらうためには工夫が必要になっていくだろう。
 たとえば花村萬月の『浄夜』では、終盤に主人公が彼女とアナルセックスをしようとする。その前段は官能小説っぽくもあるワクワクを持たせつつ、徐々にドキュメント風のリアルな描写に移行し、突然、稲垣足穂の話になっていき、抽象的な話のあとに、極めてリアルなニオイの話になっていき(指でアナルを愛撫していたら、便がついたのだ)、そしていろいろな理屈をこねながらアナルセックスをする。お互いに快感はなく、男は射精し、女はただそれをやった、という事実だけ。
 この作品はとても評判がいいので、未読の方はぜひお読みになるべきだろう。その筆力に圧倒されてしまう。
 それはともかく、このように数センチの世界について書き進むことは、目的が官能であろうと現実であろうと哲学であろうと、なにかしらそこから想起される別の観念を加えていくことになる。
 私がSM小説を書いていて、セックスをあまりきちんと描写しないのは、単純にそうした事態を回避しているからだとも言える。
 だが、いずれ、なんらかの自分なりのセックス描写を確立しておかなくてはならない、かもしれない。
 
(協力:エピキュリアン SMアイマスク


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くされ作家のクズ箱 その29 「半分、青い。」と2つのアプローチ

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 朝ドラ「半分、青い。」では、主人公である楡野鈴愛は、漫画家としてデビューしたものの連載が打ち切られ、再起のためにもがき苦しむ。というあたりで第13週は終わったわけで(二〇一八年六月三十日放送回)、これは恐らくああなっちゃうな、という感じがプンプンしていた。だからああなるんだろう。
 トレンディ・ドラマの世界を下敷きにしつつその時代を描くドラマ。この作品のテーマはNHKのサイトにあるように「失敗って楽しい。昨日と違う明日が、きっと見つかるから──」。
 トンディ・ドラマ時代は結果うまく行くみたいな話が多かった(のではないか、あんまりドラマを観ていないのでわからないが)、または「成功」が目的になっているドラマが中心だったと思われる。
 それが「失敗」をテーマにしている点でむしろ「いま」なのだなという感覚がある。成功を目的とした行動そのものが失敗なのだ、と哲学的に言いたいのかどうかはわからないけれども。
 ドラマの善し悪しは別として、商業的な作品では、テーマが選び抜かれ、そこから導き出されたドラマの目的が設定され、それを表現するためのキャラクター、ストーリーが決定していく。
 朝ドラでいえば、失敗を通して主人公が得る物(目的)が設定されているはずで、私たちはそれをドラマを通して受け取ることになる。
 おそらくマンガもそうではないか。小説もそうだろう。合議(スポンサー、出版社などへのプレゼンを含め)の必要な創作では、基本的にこうしたプロセスがある。テーマも目的もわからない作品には、ゴーサインを出しにくいのである。
「で、この作品のテーマはなに?」
「そして主人公はどんな目的を果たすわけ? なにを得るわけ?」
 まあ、こんな原始的な質問は実際には現場では出ないはずです。作者はあらかじめ提示しているでしょうから。
 たとえば朝ドラの中でも問題になっている「ネーム」。おもしろいネームを描くことで、先に進むことが可能になる。出版されない作品を作る損失を避けたいからだ。「失敗」ができない仕組みが、多くのプロダクツにおいては組み込まれており、映画やアニメのように賭け金(資金)が増大すればするほど、リスクを避けるためのプリプロダクションが丁寧になっていく。
 ただ、そのために肝心の創作としての力が失われていく場合もある。寄ってたかってダメにしていく危険性は常にある。本来はプロセスをたどることで、よりよくなっていく(少なくともテーマと目的をより明確にすることには成功するはず)。
 朝ドラ第13週の終わりには、師匠である漫画家の秋風が主人公に「ネームなしで書いてみろ」と提言するところで終わる。元々、主人公はプリプロダクションのないやり方で最初のマンガを描いていたからだ。原点に戻るということだろうか。
 私も創作のアプローチとしては2つあるな、と思っている。
 テーマや目的を簡潔に示すためにプロットをしっかり作り込んでから小説を書くことを、恐らく多くの作家や編集者は推奨する。つまりプリプロダクションから入れ、という。
 ところが、最初に着想を得たときの熱量を大事にしたいのなら、プリプロダクションは害にしかならないことを指摘する人は少ない。
 法律上、アイデアには著作権はない。つまりプリプロダクションはアイデアの段階に過ぎない。下ごしらえをした材料は材料にすぎず、料理ではない。下ごしらえでもおいしいものもあるだろうが、素材は素材だ。料理とは呼べない。
 アイデアをこねくり回しすぎることで、最初の熱量は消えていく。鮮度が落ちる。
 だったらむしろ、熱量のある間に作品に取りかかった方がいいのではないか。
 実は、こうやって焦ってスタートをすると必ずどこかでピタッと止まり、最後まで完成できないリスクがある。だからプリプロダクションをやれ、というのだろう。
 とはいえ、プリプロダクションをやっても完成しない可能性があるのは同じだ。プリプロダクションをやってもいい作品にならない可能性はある。私たちは消費する側として、そうした多くの失敗作(と消費側は感じる)を体験してきている。
 アイデアを得てからいきなり作品づくりに入ることで、未完成のまま終わるリスクはかなり高くなるが、映画やマンガとは違い、未完成で終わることによる損失や周囲への影響はとても少なく、個人的にダメージを受けるだけなのだから、私はこの方法も「あり」だと思っている。
 未完の作品は、ただ世に出ないだけのことである。
 しかも、個人という最小単位で行う創作作業においては、未完の作品も財産になる。経験値というだけではない。放り出していたアイデア、未完のままの作品は、次の作品の役に立つ。そのままなにかに使えることはまずない。ただ、私としては間違いなく役に立っている。だめだったアイデアや未完の作品は、忘れてしまってかまわない。それでも、役に立っているのだ。
 いま書いていて、そのことを客観的に伝えることはとても難しいと気づいた。これは単に失敗学といった意味で役に立っているのではないし、肥やしになっているのとも違う。
 強引に喩えれば、地図づくりに似ている。未完の作品、使えないアイデアは、海岸線であったり崖だったり登頂できない山脈だったり、突破できないジャングルが、自分の中にあることがわかる。
 真っ白だった自分の地図に、少しずつ色がつき、景色が見えてくる。そういう意味で役に立っていると信じている。

(協力:エピキュリアン ラバーレオタード


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★被虐の街★

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人妻・杏奈は小遣い稼ぎのビジネスに失敗、借金が返済できず自らの肉体をオークションにかけ、4人から出資してもらい返済する。その代償として8日間、彼らのいいなりとなる。徹底した被虐調教に杏奈は身も心も闇の世界へと沈んでいく。



★M妻佳乃の崩壊★


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女性が自ら語る被虐体験。それは盗撮からはじまり、契約によってあらゆる行為を強いられていく。夫と別居をはじめた元ミス・キャンパスの佳乃は、夫との軽いSMプレイから、被虐に目覚めていた。その思いから、見知らぬ男の誘いを受け、暴力と残虐の世界に踏み込んでいく。人妻が暴力と残虐の世界をさまよう。



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くされ作家のクズ箱 その28 なぜ引くような話を書くのか

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 あんぷらぐどの作品には、必ずではないもののいわゆる「スカ●ロ」表現がある。それはセリフとして「くそったれ!」と叫んだり「このしょんべたれが!」と怒鳴るといったレベルではない。
 被虐的、倒錯的な快楽のエピソードとしてとても汚い描写があるのだ。
 いわゆる「引くわあー」と言いたくなるかもしれない場面をあえてストレートに描く場合がある。もし私が編集者なら、そこはもっと巧みな言葉の表現をするべきだとアドバイスするに違いない。
 だけど、いまの時代、言葉のチョイスで事態を別の次元にずらしてしまおうという小賢しい技が横溢しすぎているように思う。監督の言葉を選手が間違って解釈して行動をしたと言いたいがために「乖離」などといった表現を使う。
 事象からすれば完全に黒(やっちゃってる)を、法律的な側面を上手に使いつつギリギリのところで黒ではない(かといって白でもない)ものにしてしまおうとする悪しき弁護士的テクニックも多い。
 しかも、それをやっているのは最高学府であったり政府やトップレベルの行政部門だったりする。
 言葉は、黒を白にするためにあるのではない。そしてレトリックは、汚いものをきれいにするためにあるのではない。
 汚いものは汚いものとしての価値がある。それを作品の中に描くと決めたとき、誤解なくそれが汚いことを表現したい。
 アラレちゃんが、棒で突き刺したウ●コを持って走るといった表現もおもしろいが、結果的にそこに描かれるウ●コは、私たちが知っているものとは違う。目的が笑いであり、登場人物のキャラクターを表現するための小道具としてのウ●コだから当然だ。そこにリアルは不要である。
 リアルが必要か不要かは、読み手というよりも書き手の事情で左右されることが多い。これは一般的にはレトリック技術の高い低いで判断されやすく、言葉の技術(ボキャブラリーを含む)が高いほど、リアルに描けないものを上手に表現する、とされている。
 だけど、そんなものはクソだ、と思う。
 別に過激にやりたいからそう言っているわけではない。事実として、便宜が図られ利益を受けている状況があるのに、それを偶然だとかその人たちに利益を与える意図はなかったと言い張るために消費される言葉の数々に、言葉としての値打ちがないことは明らかである。もちろん、法的にどうなのか、というのは別の話だ。
 法的に裁けないことを倫理的に裁こうというのはそもそもムリ(魔女裁判のようになる)だが、そこで言葉を弄ぶのは、攻撃側も守備側も危険で虚しいブーメランの飛ばし合いとなっていく。
 つまり、リアルとは、言葉でごまかせないものだと言える。私がいま書いたように、どれだけ言葉を募ってみても(法的、倫理的、魔女裁判、ブーメランなど)、事実が変わるわけではない。事実はなくならない。
 そして書き手として、そのことをストレートに表現したいときには、レトリックは不要になる。というか、むしろ邪魔になる。
 私はだから、バカみたいに正直にそのままをそのまま表現することがある。
 その一方、本当に書きたいことは慎重に深く埋めて、パッと見てもわからないようにすることも、書き手の事情である。そのことについては、ストレートには書きたくないのだ。
 私はなにかを主張するために作品を書いているわけではないので(主人公が主張をする立場の場合にはその主張は表に登場するが)、楽しく読んでいるときに妙な主張が浮かび上がりすぎると、つまらなくなってしまう。だから、隠す。
 あからさまな表現と慎重に包み隠した表現。
 この両方の、いわば両極端の判断の中で、いつも揺れながら書いている。
 引くような話を嫌悪する人たちも多いことはわかっている。私だって、嫌いなニュースに毎日、直面している。嫌いな写真もある。嫌いな映画もある。嫌いな作品もある。嫌いな表現もある。
 嫌いだからといって、見ない読まないわけではない。
 私は嫌いなものも食べる。そして「やっぱり嫌いだ」となることもあれば、「今日に限って悪くない」と思えることもある。
 受け止める側は、発信する側とは違う。私の中でもそれは明らかに違うのだ。
 そのため、私はいつからか、読み手を忖度して作品を書くことを止めている。どれぐらい前からだろう。とくに「荒縄工房」となってからは、一切、マーケティング的に作品を考えたことはない。
 短い人生、いまの時代には書きたいことが書けるのだ。商業的に多額の金銭や名誉などと引き換えに、マーケティング的な作品を書いてもいいかもしれないが、幸か不幸か、私はその道から外れた。
 だったら、いまさら、マーケティングを意識して書くなんてナンセンスである。書きたいことを書きたいように書く。
 もちろん、マーケティングをしないからといって、読者を無視して書いているわけではない。私は自分の中でいつも読者を想定しており、その読者のために書いている。それだけは揺るぎがない。
 これからも、たぶん、引くような話を書き続けることだろう。それは書き手のエゴではあるが、読者を念頭に置いていることだけは確かだ。
 私は書くことが人生の目的だとは考えていない。書くことは手段である。
 読者の喜びは目的になっている。喜びにもいろいろある、と理解していて、私の作品への嫌悪も含めて書き手として責任を持って「引くような話」を書く。
 おそらく、それが書けるうちは、私はまだ書くという手段への希望を失っていないだろう。

(協力:エピキュリアン DVD緊縛折檻未亡人 春菜はな 作品紹介


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くされ作家のクズ箱 その27 表現の限界と妄想

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 この男の頭の中では妄想が渦巻いている。あらゆる場面で「もし……」と思う。すべてがSMやエロの妄想、というわけではない。
 自分にとっておもしろい方向性を考えるとき、いつもいく方向ばかりではおもしろさが足りない。いつもと違う道で、なおかつおもしろい方がいい。
 ところが、いつもとは違う方向へ進むと、必ずおもしろいとは限らないのだ。おもしろいときもあれば、そうでもないときもある。「やっぱりいつもの道に行けばよかった」と思うこともあるだろう。
 最初は失敗したと思った未知の方向に、徐々におもしろさを見出すこともある。これは経験があるかどうかの差かもしれない。
 自分の中に強い抑制、いわばブレーキが備わっていると、そもそもが選べる方向性は少なくなる。
  一方、抑制を外すことに成功したときは、無限の道がある(ような気がする。実際にはないけど)。
 表現に最初から限界を設けたとき、自然と選べる道は少なくなってしまう。
 だが、「表現上、選んではいけない道」だからといって、進んではいけないわけではない。表現するかどうかはあとのことで、道を進んでいくことで見えてくるものがある。
「この道はないな」と行きもしないでやめることは、妄想を小さくしてしまい、結果的におもしろさを小さくしてしまう。
 表現には限界がある。それは技術的な限界がまずあること。技術的限界は、考えれば非常に深いものがある。よく言われるのは表現者の「未熟さ」であるとか「無知」だろう。
 私は未熟さ、無知は、大きく考えてはいけないと思っている。たとえば、十代でデビューした作家の四十代の作品は、四倍成熟していて知識が豊富になっているかと言われると、そうかもしれないとも言えるが、そうではないとも言えるからだ。
 十代に受けたものをその後、ひたすら繰り返す、または洗練させる道もある。途中で飽きてまったく違う道に行く場合もある。そうした表現者側の技術的な限界は、加えて市場(ニーズ)の技術的限界とも関係している。
 ある表現について、いきなり難しい内容にしていくと理解できる人が減り、表現が伝わらない可能性が出てくる。
 たとえば十代でデビューした表現者が哲学の専門家になっていき、二十代では哲学を背景とした表現に傾注していったとしたらどうか。技術的にはより成熟しているはずなのに、その作品を評価する者は減っていき、理解者が減り、結果的にその向上した技術は自己満足になってしまう場合もあるだろう。または何十年後かに再評価されるまで放置される可能性もあるだろう。
 技術はあらゆる分野でそうだが、どれほど優れた技術によるものでも、市場に受け入れられなければそのまま放置されてしまう。
 表現も同じだ。過去にさまざまな表現者が現れては消えていく中で、自身の技術的問題よりも市場によって消えていくほうが圧倒的に多いだろう。
 つまり、表現者は自身の技術を磨くことはあってもいいし、なくてもいいのである。
 また無知の部分も同様だ。自分は無知であることを知ってさえいれば、無知であることは表現にとっては大きな問題ではない。知らないことで受ける批判は、「過去の表現を知らないで似たことをやる」といった場合と「こんなことも知らないのか」といった場合が主だろう。
 で、前者については、いまの時代、類似性は限りなく微妙になっている。模倣していないのなら類似性は「あり」だ。類似性を排除したら表現は成り立たない。その点を考えると、どれだけ知識を得たとしても、過去作品との類似性は起こり得る。したがって、「知りませんでした」は表現については、あり得ることであり、表現者の責任は類似を指摘されてからの態度や姿勢にはあるものの、やってしまった表現については責任はないと私は思っている。
 さらに「初歩的ミス」などと言われる「こんなことも知らないのか」も、市場の知識レベルとの兼ね合いとしか言いようがない。これは表現できる人にとって、知識を万全にしておかなければならないというプレッシャーは常にある。だが、それを習得しなければ表現できないのかと言われると、私は関係ないと思っている。表現ができるのなら、知らなくてもいいのだ。
 たとえば、宇宙を舞台にした表現は多数あるが、宇宙についてどれだけ知っているというのだろう。宇宙の専門家であっても、いまだに未知の探究をしているというのに、そのレベルに到達することは簡単ではない。
 加えて、私のつたない経験であるが、こうした知識で武装された表現は、知識の壁という限界のせいで、おもしろさを大幅に削がれていることが多い。
 あっちの道に行けばいいのに「そっちはダメだ」と知識によって制限を受けることがあるのだ。
 ところが、これも市場(ニーズ)によっては、知識的には否定される道も肯定されてしまうことがあるのだ。
「男がそんなことはしない」と思われた時代に一般的だった表現と「男だってする」と思われている時代の表現では大きな差がある。
 健康にいい食べ物の常識は、時代で大きく変わっているため、過去の表現の中にはいまでは通用しないものがあっても不思議ではない。
 このように、案外と、表現に加わる制限は少ないはずなのに、表現者はさまざまなプレッシャーを感じて自主的に制約を設けていくのである。
「自分は専門家ではないので、こういう表現はできない」とか「よくわからないから、書けないな」とか。逆に「他の作品でこう表現しているから、それはいいんだな」と真似をすることは多いかもしれない。だが、それは必ずしも自分の望む道ではないかもしれない。
 こうなると、いかに上質な妄想を持てるか、制約を取っ払える自由さがあるかは、表現にとって重要になる。
 こう書いてみて、世間の常識とは真逆であることがわかるだろう。「行ってはいけない」「そっちはダメに決まっている」と言われている道にも進むのが、妄想だ。
 その意味で、いままで通ったことのない道、行ったことのない道を探すことこそ、表現者にとっては大切な努力かもしれないと思う。
 もちろん妄想のどの部分を実際に表現するかどうかは、別の問題になる。

(協力:エピキュリアン ニップルドーム


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★お嬢様はドM 第一部★
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少しドジなお嬢様・丸木戸恵梨香(20歳)がマゾの衝動にかられてじわじわと屈辱的な「ドMのゴキ」となっていきます。ブログ公開版に未発表の2エピソード追加。



★お嬢様はドM 第二部★
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お嬢様として育てられた恵梨香は、M性に目覚め執事の息子の遠隔調教を受けることに。執事夫妻、代理として屋敷に入り込んだ男、巨根の運転手、そして調教のプロたちから日夜、心身の限界まで責められていく。さらに大学の友人たち、婿候補の子息たちにも……。 未公表部分追加。


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くされ作家のクズ箱 その26 お詫び そしてSM小説とそれ以外の世界

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お詫び 『メロー・マッドネス』は今週は休載です。すみません。
お詫び 従来の公式ツイッターが永久凍結となりました。フォロワーのみなさん、すみませんでした。
なお、新しいツイッター @tokyoindiessun もよろしくお願いいたします。

 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。
 久しぶりに近況を含めてコラムを書いてみることにした。
 私は荒縄工房で独自のSM小説を書いてきた。2011年5月からだから、2018年で7年になる。なにかを成し遂げるには十分な期間だ。でも、私はなにも成し遂げてはいない。当初5年で100作品を書く計画だった。7年で連載中を含め六十をやっと超えたところだ(シリーズもバラバラにして計算)。
 その中に、最近、自称「フツー小説」が混入してきた。
 フツーとは18禁ではない作品の意味。『変態ですみません』は、百恵と丸夫の変態夫婦の日常を描いている。百恵はコスプレーヤーだったが変態嗜好が強く、丸夫は出版社勤務であるものの編集など出版社らしい部署ではなく事務職である。変態ではあるが、マジメに生きている人たちの、そこはかとない話である。
 私がSM小説で描いているような人、またはその周辺にいる人たちの思いを表現してみたかったのだ。
 そしていま連載している『メロー・マッドネス』に至っては、いわゆるアクション系のフツー小説だ。主人公は梨々花という奴隷。彼女は自ら人生を捨てて工藤の奴隷になっていた。それが工藤を破滅させた藤崎の物になってしまったところから話は始まる。
 こちらも、まったく同じ考えで、私がこれまで描いてきた人物が、まったく違う状況に置かれたらどうするのだろうと、あえてフツー小説で描いてみた。
 正直な話、フツー小説は、面倒である。SM小説には「お約束」がある。私はかなり破壊しているけれども、それでも「お約束」を意識し、その囲いから外には出ないように注意している。
 ところがフツー小説にはその囲いがない。なにを、どう書いてもいい。自由だ。
 この自由さが無限の困難を招く。
 真っ暗な中、小さな懐中電灯で足元だけを見ながら歩いているようなものである。信じていることは、自分自身にとって「おもしろい」と思える道であること。そして「信じられる」道であること。この2つぐらいしか頼るものはない。
 人間は弱い。「おもしろい」も「信じられること」も、ブレていく。まして足元しか見えていないと、うっかりその気はなくてもズレてしまうことはある。
 その時は、創作者、表現者としての裸の自分しかいない。武器もパンツも靴下もない。その状態で必死に書くしかない。
 ある時からコラムが書けなくなってしまった。その代わり、フツー小説を書くようになった。そして今日、このコラムを書いているということは、そう、いまちょっと壁にぶつかっているのだ。
 大した壁ではない。『メロー・マッドネス』はもうすぐ終わる。少なくとも今回書きたかったことは終わる。それだけに、愛おしくなってしまったこともあるけれども、極端な遅筆になってきてしまったのだ。
 終盤を描くためにもう少しだけ時間をいただきたい。そんな気持ちなのである。
 SM小説を書いていて、そういうことは一度もなかったので、これも自分にとっては大切な経験の一つだと思っている(みなさんにとっては迷惑なだけでしょうけれども)。
 また『メロー・マッドネス』は「小説家になろう」にも掲載している。これもはじめてのことだ。「なろう」では章ごとにまとめているだけではなく、PDFで縦書きで読むこともできるため、数字もできるだけ縦書きに修正している。
 時間以上に精神的に大きなダメージを受けたこととして、荒縄工房をはじめてから続けて来たツイッターの永久凍結がある。警告なしの凍結に何度も異議を送付していたのだが、結局は「復元しない」と通告されてしまったのだ。
 一緒に育ってきたアカウントである。原因はこちらには思い当たる点はなく、どう見ても海外と思われるスパムが、こちらの@をずっと貼りつけたままツイートを繰り返していることが問題なのではないだろうか。凍結後も通知はこのスパムだけやってくるのだ。
 このあたりの詳しい回答はなく、ただ規約違反だからダメというだけなので対応のしようもなかった。多くのフォロワーのみなさまにご迷惑をおかけしていると思う。この場を借りてお詫び申し上げたい。
 なお新しいアカウントによる公式ツイッターを稼動させているので、これを今後は続けていくつもりだ。
 ただ、これからの活動をどうやっていくか、正直自分に問い直す日々が続いている。なにかが起きたとき、それはメッセージであったりサインだと私は思うからだ。
 いまが、荒縄工房の転機なのである。それがどういうものなのか。小さな懐中電灯だけで闇夜を歩き続ける者には、まだよくわかっていない。
 間違いのないことは、それでも歩き続けること。歩ける限り。勇気がある限り。


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★美魔女狩り 浅木郁子編★

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藤木たち「美魔女狩りチーム」初登場作品。 銀行支店長として活躍していた美魔女・郁子は、脱出不可能の罠にはめられる。肛虐を主体とした責め苦の中で壮絶なアクメを繰り返すうちに、すべてを失い尻穴女郎・イク子へと調教され、部下や取引先から暴虐の限りを受ける。



★家畜妻の歌★
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新婚の若妻が夫と取り交わした家畜妻契約。古びたアパートの一室で7人の飼育員によって日々、調教されマゾの悦びにどっぷりと漬かっていく。調教を受ける若妻の視点で描く。


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あんぷらぐど

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ペンネーム「あんぷらぐど」
1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
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