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くされ作家のクズ箱 その35 古くて新しい概念

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 概念が大事だ、とことあるごとに概念について説いていた教師がいた。なにを言ってるのかサッパリわからなかった学生の一人、私の心にも「概念」という言葉は刻まれたので、彼の気持ちは少し世に残ったというべきか。
 私が扱っているSMの世界は、古い概念と新しい概念がぶつかっている。いまの時代に合うようにと、新しい解釈に基づいた概念を打ち立てるのだが、その後、それがことさら新しい解釈でもないことに気づき、結局は最初の概念のままでも大差ないのではと思うこともある。
 進歩は結果的に振り返って、どの程度歩んできたか、出発点から離れたかを確認してはじめて実感できるものだ。
 ところが、概念の進歩は、螺旋状で距離のわりにはすぐ横に古い概念がある。これまで何キロも歩いたのに、たった一歩、横にズレさえすれば移動距離を帳消しにするぐらい古いところに移動できる。どんどん横にズレていけば出発点に戻れてしまう。
 新たな円周を描くより、中心に向って直線的に半径を移動する方が楽である。その求心力は強力なので、なかなか振り切ることはできない。もっとも振り切らなくてもいいのかもしれないが。
 概念の進歩は実感しにくく、自分は新たな方向に歩んでいるかどうかも、かなりの距離を歩かないとはっきりしない。
 などと、いかにも形而上的なふわふわとした話を長くしてしまったのだけど。

 温故知新。私は古い概念のSMが好きである。そこに潜む乱暴で危険な香りが好きである。
 中でも「奇譚クラブ」は、ネット上にイメージがアーカイブされていることもあって、ときどき読み呆けてしまう。1947年(昭和22年)10月から1975年(昭和50年)3月まで(中断を何度か挟む)刊行された雑誌。当初はいわゆるカストリ誌で、その後雑誌になっていく。1956年(昭和31年)12月号から、沼正三『家畜人ヤプー』連載され、1962年(昭和37年)8・9月合併号から団鬼六(当時は花巻京太郎名義)の『花と蛇』が連載されたことでも知られている。
 溝口健二、三島由紀夫、渋沢龍彦、寺山修司なども愛読していた時期があるそうだ(以上SMペディア)。

 先日、私はある人の名を探して1960年代の同誌の目次を眺めていたのだが、ふと「マゾヒスト・古川裕子メモ」(久我庄一)という文に目が留まった。久我氏は「凌辱の幻想と期待の強烈さに圧倒された」とある。
 さっそく同誌に掲載された古川裕子名義の告白を読み始めた。古川裕子は大正十一年生まれというので、存命なら97歳だ。マスク、猿ぐつわ、ゴム引きレインコート、縄をオナニーの快楽に直結させていた娘時代から、大人になって理解ある伴侶に巡り合い、地下室や屋外で苛烈な責めを受ける。マゾヒストとして幸福な時期を経て、その理解ある伴侶を事故で失い、魂が漂流をしていく姿までを数年にわたって掲載していた。
 初期の告白は具体的でプレイ内容もかなり苛烈なものだから、現代のSM概念よりもずっと危険を孕んでいる。当時は、家に風呂のないことが多いので、傷だらけ痣だらけで風呂屋へ行かなければならないぐらいの状況。これは江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』の頃とイメージがだぶる(時代は違うけども)。
 戦後間もないすさんで貧しい社会の中で、被虐願望に忠実に生きることの困難さは、いまとは比べものにならなかったに違いない。だが、新しい憲法の下、自由を得た魂は、こうしたアブノーマルな漂流も許されたのだ。その悦びはきっとあったに違いない。

 SMの一般化がはじまった原初の姿を思いながら、いま執筆しても、とうてい元には戻れない。どうしたって、それはできない。いまを生きている筆者にしてみれば「思う」ことはできても、執筆という現実の前では、その思いの多くは現代の基準で選択され淘汰されていくからだ。
「その程度のことで、興奮して感じていたのか!」と思うこともあれば、「そんなところまでやってしまって大丈夫か」と思うこともある。
 たとえばこれほど手軽に上質のローションが手に入らなかった時代に、どうやってアヌスを開発していたのだろうか。江戸時代は昆布のぬめりなどを使っていたらしい。それがワセリンになるまでに、どれほどの苦労があったことだろう。ワセリンがぺぺローションになるまではどうだろう。
 さらに、括約筋は一度切れたら戻らない、といった説が常識だった時代もあり、その頃の作品には括約筋断裂によって開きっぱなしになったアヌス、といった表現もある。二度と元には戻れない体、という切なさがある。この味わいは、医学の発達した現代ではちょっと味わえない。別の表現が必要だ。
 身体的な部分についての描写も心理的な面でも、「いま」と「過去」の差は大きい。それでいて、すぐ横にあるような気もする。たとえば刺青についてはどうだろう……。厳しさの増した面もあれば、緩んできた面もある。

 古川裕子が何者でその後どうなったのかは、わからない。
 私は「個人の性的な願望」の儚さを思う。彼女の思いは生きている間に遂げられてはじめて実感できたものだ。それは現代の私たちも同じ。
 死んでしまったら、思いもそのまま消えていく。性的な願望は遺伝しないし、世襲で引き継ぐような性質でもない。
 それでも、現代でもレインコートや縄やマスク、猿ぐつわで性的興奮を得られる人はいるだろう。彼女の精神に近い人はそこここにいてもおかしくない。
 概念は当時とは違ってきているものの、行為はとても近いものがあるはず。
 彼女がどうなったのか。それを思ったときに私は構想を得て、「女囚スパイラル」という作品を書きはじめた。これは祖母、母、娘の三代にわたる被虐的性癖についての物語だ。
 とはいえ、私にはいまから戦後に生きた大正生まれの女性について書ける自信はない。憑依できない。戦後生まれのその子(作品では母)では、少し物語が動きにくい。そこで、孫娘を主人公にした。いまを生きている娘。彼女のレインコートに対する異常な執着、それはやがて蔵に残された祖母の告白記事の発見へつながる。同時に彼女は、近くに住む継母の弟によって、恥ずかしい姿を露わにされていく。
 できるだけ古典的な道具を活用しながら、新しい作品を作ってみたい。古い概念と新しい概念を、横から見て並べて描いてみたい。そんな欲望を持ったのだった。さて、どんな話になるだろうか。

(協力:エピキュリアン きゃんどる工房ローソク



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くされ作家のクズ箱 その34 承認欲求と創作

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 先日、あるマンガの編集関係者(マンガ編集者ではない)が、「書き手はやっぱり書くことに全身全霊であたって欲しいですよね。二十四時間、それだけに捧げてほしいですよ。読者もそれがうれしいのです。だからTwitterとかInstagramとかやるようになったら、書き手としてはオシマイではないですか?」みたいなことを言っていた。
 それは一理ある。だが一理しかない。
 先日、NHK・Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」に出ていた柳美里(作家・劇作家・演出家・書店店主)が、「以前は発信していたが、いまは受信」と語っていた。
 発信は、言葉にならない思いを作品にしていくこと。つまり自分の中から沸き起こってくる気持ちや衝動で創作する。
 多くの人は、これがクリエイティブだと考えて、「その人ならでは」とか「その人の人生が」とか「その人の魂が」といった言い方でいわば全身全霊によって生み出される作品として認めることになる。
 この意味では、先の編集関係者の意見はある意味で正しい。マンガ家ならマンガ、小説化なら小説、ミュージシャンなら音楽だけに全身全霊を注ぎ、「焼き肉にいきました」みたいなSNSはやるんじゃない、と言いたくなるのもわかる。
 発信は、「誰かに私を届ける」こと。私を作品にこめるのなら、作品だけでいい。SNSを作品としての私の宣伝のみに費やすならこの点では「あり」だろう。それ以外の私、たとえば食べたものや交遊や旅行やペットの話はまったくいらない。
 作品以外の「私」を届けてしまうと、作品にこめられた「私」がぼやけてしまうかもしれないからだ。
 とはいえ、こうしたいわば「承認欲求」としての発信だけでは捉えられないのがクリエイティブなのだと思う。
 柳美里的には「受信」である。受信がなければ発信もない。それは、その人の中身が虚ろになったからではない。すべてを吐き出したから、からっぽで書くものがなくなったので受信に力を入れると考えるのは、短絡的な発想だろう。創作の現場をあまり知らないから言える悪口だろう。
 私たちはクリエイティブに限らず、日々、インプットとアウトプットを繰り返している。飯を食い酒を飲み、運動しトイレへ行く。入れて出す。
 椎名林檎は、皿を洗ったりしているときに「ここに欲しい音楽」を生み出すことがあるという。音がないところでこそ、音が生まれてくる。
 クリエイティブでは呼吸のように、出して入れることもある。たくさん深く吐き出せば、息は自然と吸うしかなくなる。スポンジやスポイトのように、空虚かもしれないが息を吐き出すことで、インプット、つまり「受信」できる。
 なにもないところを作ると、そこを満たすためになにかを生み出す。
 SNSで食べ物や友だちや景色やペットをアウトプットすることは、いわば空気を吐くことになる。作品の本質とはまったく関係のない行動のように見えるが、それは皿を洗うことにも似ている。
 吐き出すことで、強制的に吸い込んだ新しい空気はクリエイティブの源泉となり得る。
 私はたいがい、作品の着想は向こうから来る感覚で、自分でことさらに生み出したことはない。やってみたがうまくいった試しがない。
 だからといって無意識によって着想を得ているわけではない。
 発信と受信を呼吸のように無意識にやってしまうと、過呼吸や無呼吸になる恐れもある。どちらも、病や死に至る可能性のある危険な状態だ。
 なにかを創作していくのなら、無意識に発信・受信してはいけないのである。創作者であるためには、そこに付き合う、コミットするしかない。それをしないではいられない。その意味で「作家はSNSをやるな」は一理ある。やらないことも、やることと同じぐらい大切だ。
 承認欲求だけではなく、吐き出すためのSNS活用はあり得る。喩えは悪いが、犬が散歩でマーキングするのと同じような意味で、ちょっと発信(アウトプット)しておく。すると自分の中にできた空間に、自然に受信(インプット)が起こる。それを注意深く見つめることは、クリエイティブな行為だ。
 今日はなにが「来る」だろうか──。
 この方法では、私たちが空気の質をほとんど選べないのと同じように、選択なしで自動受信してしまう。
 創作では、この「選択なし、フィルターなし、先入観なし」の自動受信ほど重要なことはない。
 子供の頃、青春時代など、私たちはほぼ「自動受信機」で生きてきた。なにを見てもはじめてで、知らないことばかり。
 大人になったり、子供や思春期でも発信をはじめてしまったときから、自動受信の余地が減っていく。
 フォロワーを選択するように、恣意的に選択して受信するようになる。それも必要だ。創作をするには、材料が必要になるので、自分の持っている材料だけで足りないときは必要な材料を集める。自分なりの判断で取捨選択したインプットになる。
 ではそのプロジェクトが終わったとき、創作者はどうなるだろうか。
 自分の中の重要な部分はすでに発信された。その過程で必要だからとインプットしたことも、すべて作品に使ってしまった。
 なにも残らない。虚しい自分がいるだけだ。
 ちょっとぐらい深呼吸しても、手遅れかもしれない。
 この虚しさを埋めるために、酒に溺れたり危険な行為に走る人もいる。
 発信は虚しいのだ。
 これを乗り越えて、創作を続けていくつもりなら、発信だけに全身全霊を注いでいたのでは足りない。
 これは仕事全般に言えることかもしれない。「遊び上手」と言うように、いつ仕事をしているかわからないぐらいの方が、情報量や人脈も豊富だったりする。遊びという名の自然なインプットが虚しさから救ってくれ、創作者であることを維持させてくれる。
 私もなにかを書き終えたあと、次にすぐ行ければいいが、まったくの無になってしまうこともないわけではない。それは苦しい。自分が自分ではなくなるような気さえする。もう二度と書けないのでは、といった恐怖さえある。
 アウトプットした残滓を眺めても虚しい。そこには新たな創作につながるものがなにも残っていない。燃え滓だ。
 それを救うのは、人との交わりだったり、遊びだったりする。SNSもその一つだ。
 創作者のよくないところは、アウトプットのあとに自信までも喪失することだ。作品はすぐに評価されるわけではない。目立った評価のないまま時間が過ぎていくこともある。それこそ承認欲求さえも満たされない。
「私」を作品に込めてアウトプットしてしまったあとは、自分に残っている「私」はなんの役にも立たない虚しい存在なのだ。
 空疎な自分を抱え、自信さえ失った状態は最悪の事態にまでつながりかねない。
 全身全霊をかけて作品を生み出したあとは、死ねばいい、というのは簡単だけど、そういう人生もあれば、そうではない人生もある。
 私は少なくとも創作に人生を賭けてきたけど、「最高傑作が誕生すれば死んでもいい」と思うこともあるが、なんとなく生き残っている。虚しさを感じるよりも「次の作品」に取り組むワクワクが先に来ている。幸いにもそういう循環を生み出すことで、吐き出したあとも、虚しさに沈んでいる時間は少なくなった。
 そこで大切なことは、やはり受信、と思う。自分で選択せず、自然に入ってくるものを大事にすること。受信可能な状態にいること。
 SNSを何度も止めようと思った。それでも続けているのはふいに自分とは関係のないことを受信できる仕組みがあるだからだ。
 これは、忙しいときはイライラすることもあるものの、「次」につながることが多い。だから、細々とでも続けたほうがいい。呼吸のように。

(協力:エピキュリアン アームクラッチバンド



★共用淫虐妻・千春★

DLSiteのみで販売しています。小説『十二階』一部、二部を改題・改稿した作品です。
十二階に住む達也に頼まれ、千春の調教を引き受ける。彼女の奥底にある危ういまでの被虐性を知り、厳しい調教を行う。さらに達也の提案でマンション全体の「共用」として千春を住人に貸し出す。特殊なペットとして改造にも踏み出す。語り手の調教役を男性にし、一部の表現を変更。ストーリーは小説『十二階』一部、二部と同じです。



★小説『十二階』第一部★
十二階第一部
DMM.R18でのみ販売中。とあるマンションで人妻を徹底調教する。千春は夫の決断で同じマンションに住む敏恵に調教を委託することになった。激しくも甘美な調教で、昼夜を問わず若妻は被虐にどっぷりと染まる。



★小説『十二階』第二部★
十二階第一部

DMM.R18でのみ販売中。調教はマンションぐるみとなり、千春には衣服もプライバシーもなくなってしまう。住人に貸し出される人妻は、さらに苛烈な運命が待っていた。



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今日のSMシーン
固定バイブだるまさんが転んだ12
固定バイブだるまさんが転んだ12

テーマ : 官能小説
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くされ作家のクズ箱 その33 並行世界

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 現実と妄想の区別がつかなることは、一般的にはまずない。フィクションでは、常に現実と妄想に境界線を明確に引けないために渾然となるのだが、現実ではフィクションの持っている世界よりも、遥かに膨大な情報で成り立っているために一瞬の錯覚はあったとしても、脳に障害でもない限り、現実と妄想の区別はついてしまう。
 残念ながら私たちにはそういう分別から逃れることはできない。
 たとえば敬愛する作家のスティーヴン・キングの作品は、大きく分けてホラーとファンタジーがあった。さらに近年は正面からミステリーにも取り組んでいる。
 各ジャンルには漠然とした境界線がある。混ぜてはいけない、いけないとまではいかないがきちんと説明しないとマズイことになる。
 ミステリーをホラー的に終わらせる(合理的な解決がない)わけにはいかない。それはホラーである。ホラーをミステリー的に終わらせるのはまあいい。しかし、合理的な解決では終わらない部分を残さないと読者の読後感は悪い。
 ファンタジーはさらに曖昧な世界であっても許されるものの、ファンタジー内で明確な(少なくとも著者だけは知っている)ルールを逸脱してはいけない。
 ミステリーは世の中にあるルールやシステムをそのまま使って合理的な結末になる。ファンタジーは、世の中とは別に著者独自のルールやシステムを設定できるが、そこから勝手に逸脱することはあまり好まれない。
 フィクションは現実とは違う。それだけに、世界を構築するための柱や土台をはっきりさせておかないと、読み手にはわけがわからなくなる。まさに現実(フィクションの上での)と妄想の区別がつかなくなってしまう。
 ただ、文芸作品としての小説(私の言うところのフツー小説もそこに近接している)は、現実と妄想の区別をせず、合理性もルールさえも変化してしまっても構わない。
 一番自由なのは文芸作品である。ジャンル小説はジャンルのルールやシステムに縛られる。そうでなければ、ジャンル小説ではなくなってしまうわけだし。
 一方、書き手はジャンルに縛られたくない。だからジャンルを越えようとする。
 キングはたくさんの作品を書いてきて、どうやらその中には共通の世界があるらしく、「並行世界」などと呼ばれる。
 映画にもなった『ダーク・タワー』は最初からファンタジーとして書かれている。ファンタジーの中での並行世界は、著者のルールさえ明確なら、なんら問題はない。
 映画『ショーシャンクの空に』は好きな人が多い傑作だ。
 そして最近WOWOWで放映されたテレビシリーズの『キャッスル・ロック』は、ショーシャンク刑務所が重要な舞台になっている。『ショーシャンクの空に』では最後に自殺する刑務所の所長がいた。『キャッスル・ロック』では、いきなり刑務所の所長が衝撃的な方法で自殺する。『ショーシャンクの空に』での自殺は明確な理由があった。つまり『ショーシャンクの空に』は現実であり合理的。
 一方、『キャッスル・ロック』での自殺には合理的な説明はない。そしてこのドラマは正面から「並行世界」を取り上げる。
 オリジナルドラマだから、ファンが喜ぶような情報を散りばめて、全体としては『ツイン・ピークス』(デヴィッド・リンチ)的な作品となっている。
 解釈を読み手や観客に委ねるタイプの作品は、その多くが現実と虚構の境界線に存在している。つまり並行世界だ。こっちの世界ではヒーローが、向こうでは悪人。似ているのにどこかが違っている世界。
 ただ並行世界が存在するルールとしたとき、とても合理的ではなかった事象も、合理的になってしまう。不可解な出来事はすべて並行世界によるものだ、となってしまう。
 一方、現実と妄想の区別の判然としない世界の方が、現実らしく思えてくる。
 フィクションは並行世界を設定しなくても合理的だ。ホームズは合理的に事件を解決し、登場人物には登場する必然性があり、そのセリフにはすべて意味があり、奇妙な行動に見えても最後に合理的な理由もわかる。
 私たちの生きている現実には、そんなことはない。
「いい人だと思ったら……」
「てっきり悪い人だと思ったら……」
 私たちは限られた情報やイメージや先入観や勘違いで、手軽に妄想を抱く。
 家族でさえも、「てっきりこうだと思った」が横溢する。一言もそんなことを言った覚えはないのに、「ずっとニンジンは嫌いなんだと思っていた」といったことがあり得る。
 思った通りのこともあれば、軽く裏切られることもしばしばだ。さらに、合理的な理由のつかない行動を目にすることも多い。どうしてそうなったのか、誰に聞いてもよくわからない。
 現実の方が、フィクションよりも不条理で不可解で奇妙なのである。
 そう考えると、フィクションに並行世界を持ち込むことは、結局は虚構を合理的に解決してしまうことになる。
 世の中はなにもかも合理的とは言えないのに、だからこそフィクションぐらいは合理的でなければならないのか。
 すべてが合理的に解決することだけがカタルシスなのか。またはカタルシスがなければフィクションには存在意義はないのか。
 ひるがえって私の描くSM小説は、合理的だろうか? まったく合理的ではない点で、ファンタジーである。現実的な解決もない。並行世界もない。救いや感動もない。そもそも目的が救いや感動ではないのだから。
 それでも、ある種の感動はあると私は信じている。主人公たちの行き着く先を見たい。それが私の書く主な動機だ。だから、もし少しでもなにかしらの感動があるとしたら、それは私の仕掛けではなく、主人公たちが生み出した「なにか」だ。
 それは合理的に説明がつかないし、計算で成り立つものでもない。だから「なにか」を求めて今日も書く。それがまさにくされ作家のくされそのものだ。

(協力:エピキュリアン ピンキープリズン



★『安里咲1』★

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亜由美の拷問実験を目撃させられた美しき女子大生・安里咲。後継者として目をつけられ、女子寮のペットに。寮長たちによる過酷な調教が彼女を被虐の快楽に引きずり込みます。


★『安里咲2』★
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完結編。休む間もなく徹底した調教の果てに辿りついたものとは……。恥辱にまみれた公開調教から東欧の古城で繰り広げられる拷問ショーへ。


エピキュリアン1

今日のSMシーン
緊縛解禁!ごっくん解禁! 喉奥ご奉仕いいなり精飲口衆便女メイド 森下美怜
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くされ作家のクズ箱 その32 古さと新しさ

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 先日、私にとってはちゃんと原稿料をいただいて掲載された作品のうち、小説SMセレクト「仲ゆうじ」名の3作品を、手元にまったくなにもないため、神楽坂の風俗資料館にお願いしてコピーを取り寄せた。
 久しぶりに読んでみて、明らかに「古い!」と思える部分と「へえ、意外にも」と思う部分があることに気づいた。
 作品は古くなる? いや、そんなに簡単に古くはならない? さあ、どっちだ。
 はじめて太宰治を読んだとき、古いとは思わなかった。はじめてドストエフスキーを読んだとき、古いとは思わなかった。どちらも「難しい」「わからない」と思う部分は多かったけど。
 いま、私は作品をブログに書き下ろしている。執筆したテキストをほぼそのまま、ブログで連載している。それは草稿段階であるとも言えるし、それなりに完成版(1st)とも言える。これを2011年から続けている。
 こうして書いた作品をPDF版やKindle版で販売するのには、当然、しっかり見直して、加筆修正または大胆にも人称を変えたり、構成を変えたり、新原稿を大幅に足したりすることになる。
 新作をほぼリアルタイムでブログで書きながら、最終的に原稿を完成させていくことは集中力も必要だし時間もかかり、どんどん遅れていく。
 なによりも気持ちの安定が重要だ。気持ちがぶれていると集中力が落ちるだけではなく、余計な手を加えようとしたり、無駄な書き直しに走ったりしがち。
 このため、ブログで発表したときから、実際に刊行されるまで1年以上、いや正直に言えば3年ぐらいかかってしまう場合もある。
 時間をかけて、最初の執筆時点から遠ざかることでいい点は、より客観的に作品を吟味できること。悪い点は、執筆動機が薄れてその当時の自分とは熱量のベクトルが完全には一致しないことだろう。
 もっともよくないのは、「この作品はダメだ」と感じはじめ、改稿がストップしてしまう事態だ。たいがい、否定的になるのは感情的な反応にすぎず、その感情を安定させればそれほどダメでもないことや、修正すべき部分が見えてくる。
 ただ、そのために時間が過ぎていく。
 PDF版はあるのにKindle版のない作品にいたっては、すでに6年経過しているものもある。
 光でいえば、3光年6光年といった具合だ。3年前の光を見るのである。
 この間、IT関係だとか時事的な部分、ジェンダーについての意識などは大きく変化していたりもする。
 まして、元号の平成はもう終わる。時代の節目にいると、その前と後で大きく変化する意識に直面しやすくなる。これも、区切りの前後に異常に高まっていき、その後、「そんなに変化していないよ」と穏やかになる。
 いまも、「これは昭和か平成か」とクイズを出せば、多くの人は判断の迷う事象があるように、時間の経過とともに、考え過ぎ、感じ過ぎの部分は収束していく。
 作品も「これは古すぎる」と思ったときが、その思いのピークで、その後ゆっくりと客観的に見直せば、大手術は必要なく、わずかな削除や改変で対応できることがわかってくる。
 そう、実は古さというのはそれほど恐れるものではない。幸いにもゲームやITのように、陳腐化の早い世界と違い、文字だけで表現する小説の世界では、陳腐化はほとんどない。だから古典や古書を楽しむこともできる。
 そもそも、私が作品として世に問うているのはSM小説である。以前も「フツー小説」に取り組んでいることを書いたのだが、あくまでもそれもSM小説なのだ。私としては。
 SM的要素を入れた小説ではない。私はあんぷらぐど(荒縄工房)で発表している作品は、すべてSM小説と思って書いている。
 この点で、SM小説は1970年代頃にはほぼ完成形が出尽くしていたはずなので、そんなことを言ったらSM小説という概念そのものが古いことになるだろう。あらゆるジャンルは、ミステリーやSFや恋愛といったものは、綿々と語り継がれ、新しい作品にあふれている。つまりジャンルが古くなる、ということはなく、つまらなく感じるときはあったとしても、大きな意味でのジャンルは一度誕生すると息長く続く世界なのだ。
 競技場、フィールド、土俵やリングは、大きさや形状、材質は微妙に変化しているものの、基本的に大きな変化はない。家や建物も、その基本構造はほとんど変わっていない。ジャンルとはそういうもので、小説をお人形遊びとすれば、ジャンルはドールハウスだろうか。
 そもそもがバーチャル空間で繰り広げられる物語の世界なのだ。古い部分も味として楽しめることも多いので、単純に切り捨てない方がいいかもしれない。同様に、新しさをことさら強調するために、全体の雰囲気に合わないような「いま」な部分を追加することも余計なことになってしまうかもしれない。
 幸いというか、三十年も前の自分の作品を読み返していて、おもしろいと感じた。これはこれでおもしろい。ベテランの編集者によるアドバイスもあったからだろう。より恒久的な表現によって、読める内容になっていた。
 いずれ、これらの作品もなんとかここでお披露目できるようにしたい。

(協力:エピキュリアン 卵型ローター専用固定バンド


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★共用淫虐妻・千春★

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完全拘束・完全支配 拷問ドラッグ 桃瀬ゆり
完全拘束・完全支配 拷問ドラッグ 桃瀬ゆり

テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

くされ作家のクズ箱 その31 フツー小説は起爆剤か触媒か

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 くされ作家は、SM小説に魅せられて自分なりの作品づくりに没頭している男である。

 私はこのところ、フツー小説を書くようになった。
 2017年7月から連載をはじめた『変態ですみません』は、SMを中心とした変態趣味で結ばれた夫婦の日常の話である。SM描写やセックス表現はない。
 その次に『メロー・マッドネス』を連載した。これは奴隷となった女性が主人公であるものの、やはり際だったセックス描写はなく、アクションでありサスペンスだ。ただしSM的表現はある。
 つい先頃、連載が完結した『いいなりドール』もその流れを汲む。変態的な女子校生が主人公でありながら、話はどんどん遠ざかり、最後にはとんでもないところへ行き着く。セックスに関する会話はポンポン出て来るものの、描写はない。SM表現もない。
 ためしに「小説家になろう」という投稿サイトでも掲載したのだが、先の『メロー・マッドネス』は完結後に「セックス描写があるからダメ」と言われて削除した。どこが該当しているのか私には理解できず、修正不可能と感じたからだ。
『いいなりドール』はどうなるだろうか。
 こうしたフツー小説を書く以前は、SM小説を多いときで週に3作品、並行して執筆し連載してきた。いまでは2作品だ。当然ながらセックス表現、SM表現ともに豊富であり、減らすことは考えられない。

 フツー小説を書くようになったのは、SMの周辺を含めた作品を書いてみたいと思ったのが最初の動機だったが(少なくとも『変態ですみません』はそうだ)、その後、いったんフツー小説を書いてみると、SM小説と同じようにフツー小説の構想もどんどん出てきてしまうようになった。
『メロー・マッドネス』は、SM小説として構想したのに、結果的に「これはSM小説ではない」と判断した。というのも、もし『メロー・マッドネス』をお読みいただいているのなら、おわかりのように、めまぐるしくアクションが続くため、SM描写を入れるタイミングがほとんどない。
 これはSM小説とは言えないな、と感じたのでフツー小説にした。成人向けのアクション作品としては、むしろセックス描写が少ないぐらいだ。
 当初、私の中では、表(SM)と裏(フツー)じゃないかと思えたのだが、こうやって毎週末はフツー小説を書いていると、どうもそうではないことがわかってきた。
 表とか裏ではなく、私にとってはSM小説もフツー小説も、描きたい世界の本質という点では同じなのだ。
 たとえば支配する・される、というBDSM関係からこれらの作品を見てみればわかる。
『変態ですみません』は、そもそも夫婦なので、夫としての主人公は、妻をプレイで支配するとはいえ、完全な支配ではなく現実的な範囲に留めている。はっきりと誰が誰を支配しているのかはわからない。その中で、自分たちの生き方を模索する。
『メロー・マッドネス』では、奴隷となった主人公が売られたところからはじまる。クソ生意気でよくわからない若造の奴隷になって戸惑いながらも、必死についていく。そして彼らのために役立とうと努力していく。支配されている者なのに、しだいにそのパワーは限界を突き抜けていく。
『いいなりドール』は、何者にも支配されていない自由なはずの主人公なのに、さまざまな出来事に巻き込まれていく中で、実は過去によって支配されていたことに気づかされていく。家族と思っていた母、父、兄の本当の姿が明らかになり、自分のことも少しずつわかってくる。そして最後に彼女は決断をする。
 支配というものは、SM関係ではお互いによくわかっている前提だ。それが現実社会では、そこまではっきりとしていないことの方が多いだろう。
 また、シチュエーションによって支配していた者が、支配される側に回ることもある。その逆もある。
 支配する・される関係は、BDSMの中のひとつの要素である。すべてではない。SM小説を書いていても、そこには常に注意を向けないわけにはいかない。
 こうしたことを自分の書きたいストーリーに入れ込んでいくと、エロとかセックスの描写によって描きたいことがぼやけてくるような気がしてしまう。
 セックスなしのフツー小説ということになっていく。一周回って来た感じだ。
 私の創作の原点は、SM小説だけではなかった。ジャンルにとらわれないさまざまな作品について試みてきた。頭の中では、それぞれに別の作品として考えてきた。
 それがここに来て、融合をはじめたような気がしている。
 くされ作家は、腐ってきて形が崩れていく過程の中で、ジャンルそのものが溶けていくのかもしれない。
 もっとも、私のメインはSM小説なので、フツー小説を書くことが新たなSM小説の起爆剤となるのか、新たな「なにか」を書くための触媒となっているのかは、まだわかっていない。
 それにお読みいただく方に「SM小説と思ったらSMがなかった」とか「フツー小説かと思ったのにエロエロだった」と誤解されてしまうのもいいことではないだろう。
 だからここはキッパリ、フツー小説、SM小説ととりあえず、「あんぷらぐど」は2つの世界を持つことにした。
 そして、この2つの世界がどのように結合あるいは分離していくのかは、私自身もよくわかっていないのだ。まったく見通せない。
 わからないからこそ、もう少し書いてみたい。書くしかない。

 最新連載の「露出の気分」は、あえてエロスを主題に置いてみた。フツー小説で、セックスもSMも直接的に描写することはない。それでいてエロスをどれだけ生み出せるかは、ちょっとばかり興味のある世界に思えた。
 まだ書きはじめたばかりなので、どうなっていくのかはわからない。
 ちょっとしたひらめきで、時代設定を少し昔にしてみた。2014年の夏から始まる。これも、自分ではよくわかっていない。ただ、そうしたかったし、この物語はそのときにしなければならないと感じたのだ。
 2014年ってなにがあったのかと調べることになる。記憶だけでは危ないから。すると夏に実際に起きたある事件にぶつかった。これは運命だな、と感じた。そういう話なんだな、と。
 女子校生が同級生を殺害したのち、頭部を切断するなどした事件だ。
 私の作品はそんな事件があった頃の話として描かれる。露出プレイを楽しむ若き母親とその女友達。彼女たちには未来が見えない。郊外の忘れかけている団地に住んでいる。周囲はさびれ、遠くに最近ではメディアにもてはやされる再開発地域が見える。
 はたして、この物語がどのような帰結を迎えるのか。私もワクワクしながら書いているのである。
 なお、SM小説も新連載をはじめた。1つは「グランドSM」。グランドファーザーと孫。禁断のSM関係を描く。また、次の新連載予定もほぼ構想はできている。
 正直、今回からのSM小説側にはフツー小説の影響はなにかしら、出て来るはずだ。それがどのような形になっていくのか。
 少なくとも私はすでに、後戻りはできないと感じている。
  
(協力:エピキュリアン 牝豚の鈴


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