天使と悪魔の変態辞典 14 辱め・恥

辱め・恥

天使
恥ずかしい、辱め──。音では「はずかしい」ですが、恥辱(ちじょく)と呼ばれるように「恥ずかしい」「辱め」は近接していますが微妙に違います。もっとも簡単に言えば「恥」をかかせることが「辱め」です。
ベネディクトの『菊と刀』でクローズアップされた日本文化は「恥」の文化でした。長く日本の歴史的な文化の中には、罪よりも恥を重視した道徳が生き続けてきました。辱めを受けるぐらいなら死ぬ、といった感覚です。つまり辱めを受けたら「恥を雪ぐ」つまり雪辱を果たすことが生きる目的となります。人生を賭けるべき行動であり、それをしない人間は侮蔑の対象となります。
辱めは、プライドや尊厳を傷つけたり、恥ずかしいと思うことを強いることです。屈辱って言葉もありますね。
辱めを受けたら仕返しするか死ぬか。おめおめとそのまま生きているわけにはいかない、みたいな気持ちになることを求められたわけです。
でもね、「旅の恥はかき捨て」「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」なんて言葉もあるように、状況によっては進んで恥を享受する面もあったのです。
一方、恥を恐れるあまり「こんな辱めを受けてしまったらどうしよう」と日頃から考えるようになると、むしろ辱めを受けたあとの自分について思いを抱くようになります。さらに自分は辱めを受けても仕方のない人間だとあきらめたとき、なんだかすごく楽になっちゃうこともあるんですよね。
さらに進むと、恥ずかしいことを人前でする快感、辱めを受けて惨めな自分の姿に熱くなる、といった倒錯的な気持ちも生まれてくるんです。
もっとも、羞恥心は、時代とともに変化していますから、いまの時代はかなり緩くなっていますよね。平気でやっちゃう人って、それほど珍しくないですから。
逆説的ですが、道徳がしっかりあったほうが、そこから外れたときのインパクトも大きくなる、つまり快楽も大きくなるんじゃないでしょうか。

悪魔
辱めを受けたいやつ、辱めを受けるべきやつに、しっかりと与えてやることができる者は、その優越感に浸ることができる。
相手に恥をかかせて楽しむ、辱めを与えて苦しむ様を楽しむことは、幼少期からある人間本来の底意地悪い愉悦なのだ。
世の中にはさまざまな罠があり、それを仕掛けて、かかった人間がもがき、泣き叫ぶ姿を覗いてはほくそ笑む。実に優雅で、自分はなんにも傷つかない高度な娯楽だろう。
もちろん、恥辱にまみれてその悦楽に浸る者がいる一方、命をかけて雪辱を果たそうとする者もいるので、がむしゃらに復讐を狙う相手としっかり対抗できるだけのパワーも必要だ。
この点で権力、財力を使うことはよく知られている。いまの時代では、そうした明確なパワーよりも、知力が勝る。ネット社会では、情報操作のできる者、知識のある者のパワーは絶大で、なおかつ自身の姿を巧妙に隠すこともできてしまう。
つまりAに恥辱を浴びせるために、善意の第三者BやCを利用して罠を仕掛けるようなことが、知力さえあれば比較的容易な時代になっている。こうすることで、ストレートに復讐されることから逃れる可能性があるわけだ。
もっとも、辱めは、受けた者の受け止め方にもよるので、どの程度の効果があるかは予測がつかない。人前でパンツを脱がされても平気なヤツが一定の確率でいるのだ。
このため繊細な心の持ち主ほど、標的になりやすい。詐欺によくあう資産家と同じように、なぜか辱めばかり受けてしまう人も出てくるのである。ご愁傷様。
パワーのある者は、パワーのある者と戦うべきかもしれないが、ちょっとした愉悦のためにへとへとになるのはゴメンなので、やりやすい相手を選ぶのはむしろ自然なのだ。
パワーのある者の性質として、自分のパワーを減らすような行動をできるだけ避ける。パワーは温存する。または増やす。遊びや愉悦のために減らしたりはしないのである。
そして自分の楽しみのために犠牲になるものを、愛するのだ。
(協力:エピキュリアン 豚面強制 家畜女園 3 PART2)

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