SM入門29 羞恥・恥ずかしさの報酬

SM入門とおおげさなことを書いていますが、今回は「羞恥」について考えてみましょう。
恥ずかしさについては、すでに「SM入門14 恥ずかしさの快楽」で書いています。
今回は違う観点から。
人間は(または動物は、というべきかもしれませんが)、報酬によって行動が変わります。報酬は金銭的な報酬だけではありません。周囲から認められる、自分のあこがれの人から認められる、世の中から認められるといったことも含まれますし、快楽も報酬として受け取ることになります。
橘玲氏が週刊文春(2020年2月20日号「人はなぜ不倫をやめられないのか」)に書いていましたが……。そこに興味深い簡単な診断がありました。
みなさん、パーティーは好きですか? 大音量で音楽が流れるクラブは? ダンスミュージックは? いろいろな人から気軽に話しかけられる場は?
こうした場所が好きな人は「外向性が高い人」。そうじゃない人に比べれば、性の経験も多いくなりやすいとされているそうです(つまり不倫しやすいタイプ)。
この外向性の高い人たちの「羞恥」と、そうではない人の「羞恥」はかなり性質が違うのかな、と読んでいて感じました。
外向性が高くて奔放な人は「恥知らず」と罵られやすいわけですが、まったく羞恥心がないわけではありません。こうした人の羞恥は、メンツを潰されたり、自分の一番嫌な部分をさらけ出されることでなんらかのダメージを受けたりするときに感じるはずですが、外交性が高いので内に向かわず、外に向かっていきます。
「よくも恥をかかせたな、この野郎」ってな感じで、外に向かって爆発します。外向性の高い人の羞恥は、他責を追及することで報酬を得るのです。外にぶつけると「ああ、スッキリした」となったりするのです。
でも、このように奔放ではなく、外交性の低い人の羞恥は、内に向かっていきます。隠すことで報酬を得てきた人たちです。
もちろん外交性の高い人も、欲望を他に求めず、羞恥を外に発散しない人もいます。自制心が強いのです。
もともと外向性の低い人と、自制心の強い人は、見分けはつきにくいのですが、どちらも「恥を知る人」と言えます。前者は消極的な自分を律する人で、後者は積極的に自分を律する人とも言えますね。
SMでは、こうした自制的な人に対して、がんばって守ってきた自制に挑戦することになります。自制の限度を超えさせるような羞恥を与え、苦しみ悶えさせるのです。
そもそも外向性の低い人をいたぶるのと、自制の強い人の自制心を壊していくのとは、同じ羞恥責めでも反応が違うのではないでしょうか。
一定の社会的な地位を得た人の中には、大きく二種類あって、自制心を強く持つことで成功した人、生まれながらの外向性を活用して成功した人がいるわけで、SM小説ではどちらを対象にするかでストーリーにも影響が出ます。
外向性を活用して成功する人たちとは、芸能関係や政治家などがまず思い浮かびます。自制心で成功する人は、研究者や学者、教師、スポーツ関係などいろいろと浮かびます。
複雑なのは、芸能関係でも自身の外向性で成功した人ばかりではなく、幼い頃から教育を受け続けて芸の道へ進んだタイプの自制心の強い人たちもいます。
たとえば、なにかの師匠のような立場の女性を責める、といったケースを考えたとき、その人の羞恥のポイントはどこにあるのか。
簡単に言えば、その地位を利用した羞恥ポイントを責めるのも手でしょう。お弟子さんたちの前で恥をかかせるとか。絶対に失敗できない場面で、失敗しそうになるような責めを与えるとか。
自制心型の成功者に対しては、その抑制を破壊するような責めも考えられます。押さえつけられていたものを解放してしまうのです。
自制心は外れると羞恥心が低下し、羞恥責めにならなくなっていくので、この加減が難しいところです。このときに、有効なのは過去の立派だった頃を知っている人の前で、羞恥心を失ってしまったその人を晒す、といった間接的な責めかもしれません。
もちろん年齢にもよります。若い人の恥ずかしさと年齢を重ねていきながらの恥ずかしさは違うし、恥ずかしさを感じる対象も変わっていきます。
いずれにせよ、羞恥のポイントを責められることで、報酬が得られるかどうか。それによってその人のその後の反応や行動も変わっていくことでしょう。
快楽の報酬や金銭的な報酬によって、自分が恥ずかしいと思うことに満足な報酬が得られたとき、その人にとって「恥ずかしいことはいいこと」となるので、がんばって恥ずかしいことをするようになるのです。
羞恥に対して積極的になっていく可能性があります。正当化できるのです。とくに快楽よりも金銭的な報酬のとき、正当化しやすいでしょう。金銭的な報酬は、その人にお金を払う人がいる、つまりファンがいるのですから、「みんなのために私は恥をかきましょう」という考えになっても不思議ではありません。「みんなのために」は「金銭的な報酬」の正当化としては美しいですから。
一方、このロジックを利用して、羞恥によって快楽も金銭も一切の報酬が得られないタイプの人たちを羞恥責めに追い込む仕組みも考えることができます。
たとえば、「だれかのために」です。人質を取ることで「おまえが○○しないと」と脅し、一切報酬を得られないままに羞恥責めをしていくわけです。
さらには、「いっそう、自分が恥をかいた方がまし」と思わせる状況に追い込むこと。
これは、実は快楽の報酬を得ている人にも、自己正当化として使えるロジックでしょう。
快楽で報酬を得ていると知られることも恥ずかしいので、「私がしなければ」と正当化できればいいのです。宴会などで順番に歌を歌わなければならない場合、大して上手でもないのに真っ先に歌うことで場を盛り上げる、といったケースも似たメンタリティーでしょう。「誰かがやらなくては。いずれ自分にも番が来るなら最初に恥をかいてしまおう」といった感覚ですね。
そして最初にやることでわずかながら快楽を得るわけですが、すでに「私がしなければ」と正当化できているので、快楽はメインではないとすり替えることができます。このとき「またおまえか」「やめろやめろ」「へたくそ」とヤジられてもぜんぜん平気になっていきます。むしろみんな楽しんでいると。
恥ずかしいことをすることで、報酬を得たときの快感はその人の人生をも左右するほど強力です。私がはじめてネットで自作を公表してアクセス数が伸びていく経験をしたときもそうですし、最初の作品をネットで公開したときもそうです。さらに遡れば、自分の作品を雑誌編集部に送付したときも同様です。返事が来て掲載されて金銭的報酬を得てしまうと、私の行動は「自分は書いていいんだ」へと大きく転換しました。
SMプレイでの羞恥とその報酬も、きっと人生そのものを大きく変えていくことでしょう。
(協力:エピキュリアン インビジブル顔面拘束3点セット)

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