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SM入門29 羞恥・恥ずかしさの報酬

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 SM入門とおおげさなことを書いていますが、今回は「羞恥」について考えてみましょう。
 恥ずかしさについては、すでに「SM入門14 恥ずかしさの快楽」で書いています。

 今回は違う観点から。

 人間は(または動物は、というべきかもしれませんが)、報酬によって行動が変わります。報酬は金銭的な報酬だけではありません。周囲から認められる、自分のあこがれの人から認められる、世の中から認められるといったことも含まれますし、快楽も報酬として受け取ることになります。
 橘玲氏が週刊文春(2020年2月20日号「人はなぜ不倫をやめられないのか」)に書いていましたが……。そこに興味深い簡単な診断がありました。
 みなさん、パーティーは好きですか? 大音量で音楽が流れるクラブは? ダンスミュージックは? いろいろな人から気軽に話しかけられる場は?
 こうした場所が好きな人は「外向性が高い人」。そうじゃない人に比べれば、性の経験も多いくなりやすいとされているそうです(つまり不倫しやすいタイプ)。
 この外向性の高い人たちの「羞恥」と、そうではない人の「羞恥」はかなり性質が違うのかな、と読んでいて感じました。
 外向性が高くて奔放な人は「恥知らず」と罵られやすいわけですが、まったく羞恥心がないわけではありません。こうした人の羞恥は、メンツを潰されたり、自分の一番嫌な部分をさらけ出されることでなんらかのダメージを受けたりするときに感じるはずですが、外交性が高いので内に向かわず、外に向かっていきます。
「よくも恥をかかせたな、この野郎」ってな感じで、外に向かって爆発します。外向性の高い人の羞恥は、他責を追及することで報酬を得るのです。外にぶつけると「ああ、スッキリした」となったりするのです。
 でも、このように奔放ではなく、外交性の低い人の羞恥は、内に向かっていきます。隠すことで報酬を得てきた人たちです。
 もちろん外交性の高い人も、欲望を他に求めず、羞恥を外に発散しない人もいます。自制心が強いのです。
 もともと外向性の低い人と、自制心の強い人は、見分けはつきにくいのですが、どちらも「恥を知る人」と言えます。前者は消極的な自分を律する人で、後者は積極的に自分を律する人とも言えますね。
 SMでは、こうした自制的な人に対して、がんばって守ってきた自制に挑戦することになります。自制の限度を超えさせるような羞恥を与え、苦しみ悶えさせるのです。
 そもそも外向性の低い人をいたぶるのと、自制の強い人の自制心を壊していくのとは、同じ羞恥責めでも反応が違うのではないでしょうか。
 一定の社会的な地位を得た人の中には、大きく二種類あって、自制心を強く持つことで成功した人、生まれながらの外向性を活用して成功した人がいるわけで、SM小説ではどちらを対象にするかでストーリーにも影響が出ます。
 外向性を活用して成功する人たちとは、芸能関係や政治家などがまず思い浮かびます。自制心で成功する人は、研究者や学者、教師、スポーツ関係などいろいろと浮かびます。
 複雑なのは、芸能関係でも自身の外向性で成功した人ばかりではなく、幼い頃から教育を受け続けて芸の道へ進んだタイプの自制心の強い人たちもいます。
 たとえば、なにかの師匠のような立場の女性を責める、といったケースを考えたとき、その人の羞恥のポイントはどこにあるのか。
 簡単に言えば、その地位を利用した羞恥ポイントを責めるのも手でしょう。お弟子さんたちの前で恥をかかせるとか。絶対に失敗できない場面で、失敗しそうになるような責めを与えるとか。
 自制心型の成功者に対しては、その抑制を破壊するような責めも考えられます。押さえつけられていたものを解放してしまうのです。
 自制心は外れると羞恥心が低下し、羞恥責めにならなくなっていくので、この加減が難しいところです。このときに、有効なのは過去の立派だった頃を知っている人の前で、羞恥心を失ってしまったその人を晒す、といった間接的な責めかもしれません。
 もちろん年齢にもよります。若い人の恥ずかしさと年齢を重ねていきながらの恥ずかしさは違うし、恥ずかしさを感じる対象も変わっていきます。
 いずれにせよ、羞恥のポイントを責められることで、報酬が得られるかどうか。それによってその人のその後の反応や行動も変わっていくことでしょう。
 快楽の報酬や金銭的な報酬によって、自分が恥ずかしいと思うことに満足な報酬が得られたとき、その人にとって「恥ずかしいことはいいこと」となるので、がんばって恥ずかしいことをするようになるのです。
 羞恥に対して積極的になっていく可能性があります。正当化できるのです。とくに快楽よりも金銭的な報酬のとき、正当化しやすいでしょう。金銭的な報酬は、その人にお金を払う人がいる、つまりファンがいるのですから、「みんなのために私は恥をかきましょう」という考えになっても不思議ではありません。「みんなのために」は「金銭的な報酬」の正当化としては美しいですから。
 一方、このロジックを利用して、羞恥によって快楽も金銭も一切の報酬が得られないタイプの人たちを羞恥責めに追い込む仕組みも考えることができます。
 たとえば、「だれかのために」です。人質を取ることで「おまえが○○しないと」と脅し、一切報酬を得られないままに羞恥責めをしていくわけです。
 さらには、「いっそう、自分が恥をかいた方がまし」と思わせる状況に追い込むこと。
 これは、実は快楽の報酬を得ている人にも、自己正当化として使えるロジックでしょう。
 快楽で報酬を得ていると知られることも恥ずかしいので、「私がしなければ」と正当化できればいいのです。宴会などで順番に歌を歌わなければならない場合、大して上手でもないのに真っ先に歌うことで場を盛り上げる、といったケースも似たメンタリティーでしょう。「誰かがやらなくては。いずれ自分にも番が来るなら最初に恥をかいてしまおう」といった感覚ですね。
 そして最初にやることでわずかながら快楽を得るわけですが、すでに「私がしなければ」と正当化できているので、快楽はメインではないとすり替えることができます。このとき「またおまえか」「やめろやめろ」「へたくそ」とヤジられてもぜんぜん平気になっていきます。むしろみんな楽しんでいると。
 恥ずかしいことをすることで、報酬を得たときの快感はその人の人生をも左右するほど強力です。私がはじめてネットで自作を公表してアクセス数が伸びていく経験をしたときもそうですし、最初の作品をネットで公開したときもそうです。さらに遡れば、自分の作品を雑誌編集部に送付したときも同様です。返事が来て掲載されて金銭的報酬を得てしまうと、私の行動は「自分は書いていいんだ」へと大きく転換しました。
 SMプレイでの羞恥とその報酬も、きっと人生そのものを大きく変えていくことでしょう。

(協力:エピキュリアン インビジブル顔面拘束3点セット



★お嬢様はドM 第一部★
お嬢様1

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少しドジなお嬢様・丸木戸恵梨香(20歳)がマゾの衝動にかられてじわじわと屈辱的な「ドMのゴキ」となっていきます。ブログ公開版に未発表の2エピソード追加。



★お嬢様はドM 第二部★
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お嬢様として育てられた恵梨香は、M性に目覚め執事の息子の遠隔調教を受けることに。執事夫妻、代理として屋敷に入り込んだ男、巨根の運転手、そして調教のプロたちから日夜、心身の限界まで責められていく。さらに大学の友人たち、婿候補の子息たちにも……。 未公表部分追加。


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今日のSMシーン
いいなり肉ペットどすけべ肉尻妻 初めての野外でか尻調教
いいなり肉ペットどすけべ肉尻妻 初めての野外でか尻調教





テーマ : 官能小説
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SM入門28 拘束・束縛の気分

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 SM入門とおおげさなことを書いていますが、引き続き拘束・束縛について考えてみましょう。

 拘束・束縛は多くの人にとって避けたいことでしょう。ですが、たとえば、押し入れや納戸の中とかガレージとかにひとり閉じ込められる感覚は、いかがでしょう。
 夜、眠るとき私たちは布団の中、ベッドの上といったところに、いわば結界のように限られたスペースの中でじっと数時間、過ごすことになります。
 カプセルホテルや、バスタブに一人浸かってみる。全裸です。お湯は少なめで自分の上に蓋をしてみたことはありますか?
 そこで得られる安心感、安息。それを至福とさえ感じるのです。
 教室や広い部屋に一人取り残されたことはありますか? 閑散とした駐車場にほとんど人影がなく、自分だけ……。
 誰もいない場所。自分しかいない場所。
 不安とスリル。焦燥感。トイレに行きたいような気分。早くこの状況から逃れたい気分。
 おもしろいもので、似たような状況でも、安心感を得られることもあれば、不安にかられることもあります。
 不安や恐怖は、そのまま性的な興奮につながりやすいですよね。
 私たちは、拘束されたり束縛されたくない。一方で、そうなったときに安心感を得たり不安感にさいなまれたり、スリルを感じたりもします。
 自分でどうにもならない状況に陥ることは、避けるべきことなのに、妙な魅力があるのです。
 きつめの下着や服を身につける。ピッタリと締め付けてくるような感覚。ベルトをぎゅっと締める。必要以上にやる。そうなってきたときに得られる快感はなんでしょう。
 身動きのとれないほどギッチギチに混雑した電車の中。いやなニオイ(強すぎる香水、体臭、異臭など)を発する人がすぐ横にいて、それを嫌って逃げようとすると、その動きに反発した別の人から強くカバンを押しつけられたり肘でこづかれる……。
 不快でしかない場面。自分の意志ではどうにもならない理不尽さ。だけど、これがもし性的興奮につながるとしたら?
 普通なら、頭に来たり不快になるような状況が、快楽への入り口になるとすれば、それは変態的な性欲の仲間入りです。
 冬場、ホームレスの人などが暖を取りたいがために電車に乗っていたりする(最近はあまり見かけませんが)。そのときになんとも言えない強い異臭を感じたりするし、その周辺だけ人が寄りつかなかったりする。
 そうした光景を目撃し、そのニオイを嗅いでしまったときに、妙な感覚に襲われたりする……。
 SMにおける拘束・束縛は、相手の自由を奪いなにをされても抵抗できない状況にするわけですが、同時に「そういう状態を好む変態性を公然とさせる」意味もあるのです。
 首輪や手枷足枷などをファッション的につけて歩くのも、ハロウィーン的な遊びでありながら、「私は拘束・束縛で感じる変態です」と公言するような意味での遊びでもあります。
 その意味では、拘束・束縛を施したままの放置プレイは典型的なSMプレイでしょう。床に寝かせたまま、納戸に押し込んだまま、車のトランクに入れたり、物置に入れたり、水の入っていない浴槽に入れて蓋をするといった行為です。
 相手がこうした苦しい状況にあることを、責める側は愉悦とし、その間においしいものを食べたり、楽しい遊びをしたり、仕事をしたりして、ときどき責められている相手のことを思うのです。
 いまごろ、どんな気分なのだろうか、と。
 責められている側は、いつまで放置されるのかわかりませんから、苦しみながらも、さまざまな想像をします。
 ノーマルな発想では、苦痛の時間が長ければ長いほど、あとでご褒美が得られるでしょうし、そのご褒美を希望として耐えるのであって、ご褒美がなければ二度とこのプレイはしないでしょう。
 ですが、アブノーマルな発想では違うのです。こうして拘束・束縛を受けていることそのものがすでにご褒美。事件や事故でこうした状況に陥っているわけではなく、合意のもとに行っているので、必ず助けてくれるのはわかっています。最低限の安心を確保した上でのプレイです。
 このまま相手が戻って来ないかもしれない。そして自分はここで朽ち果てるのだろうか。トイレに行きたい、喉が渇いた、目がかゆい、などなど生理現象と戦いながら、生きている自分が理不尽にも物として扱われている哀しみを抱き締めて快感に浸るのです。
 放置プレイには、私も描写をするときに、浣腸を施してアヌスに栓をしたままだったり、アヌスやヴァギナにバイブレーターを装着したまま放置するようなこともあるのですが、これは通常の放置プレイが小説としてはあまりにも単調になりがちだからです。
 現実としては、おそらく放置プレイはそんなことは余計で、ただ放置するだけで最高の責めになるのです。
 もっとも、変態性がそこまで強くない人もいますので、拘束して放置しておけばいい、とは言えないわけで、このあたりのさじ加減はお互いに確認しながら判断していくことになるでしょう。
 つまり、「どの程度がいいのか」をお互いに知ることが、信頼関係につながっていくのです。
 それでいて相手がOKした責めしかしない、というのでは、ぜんぜんおもしろくないでしょうから、思ったよりもキツイことをたまにやってみて反応を見る必要もありますよね。
 優れたベテランの責め手は、このあたりの察知能力が高く、さじ加減が上手なのでしょう。一方、そこまで経験のない人は、相手とのプレイ回数を増やして、いろいろと試していく中で理解していくしかないかもしれません。この場合は、嫌がられてしまうリスクもあるので、なかなか思い切ったプレイはしにくいでしょう。
 海外の動画ではセルフでやるものも散見されますが、とてつもなく危険です。よくある例として、あらかじめ、冷蔵庫で鍵を大きな氷の中に閉じ込めておき、自分で自分にボールギャグをかませ、手足を手錠で拘束。氷が溶けるまで鍵は取れません。
 変形では、家の鍵を膣内に入れる。家に入るためには、そこで自分の中にある鍵を取り出さなければならない。
 後者のように縄や手錠なしでも自分を縛ることはできます。
 大量の水を飲んでおく、といった時限爆弾もありでしょう。それでいてトイレには行けない状況に自らを置くのです。この場合には最後にはお漏らしという羞恥が目的になることもありますが、要するに自分の自由を奪う快楽なのです。

(協力:エピキュリアン バイブ固定バンドType2 長型



★共用淫虐妻・千春★

DLSiteのみで販売しています。小説『十二階』一部、二部を改題・改稿した作品です。
十二階に住む達也に頼まれ、千春の調教を引き受ける。彼女の奥底にある危ういまでの被虐性を知り、厳しい調教を行う。さらに達也の提案でマンション全体の「共用」として千春を住人に貸し出す。特殊なペットとして改造にも踏み出す。語り手の調教役を男性にし、一部の表現を変更。ストーリーは小説『十二階』一部、二部と同じです。



★小説『十二階』第一部★
十二階第一部
DMM.R18でのみ販売中。とあるマンションで人妻を徹底調教する。千春は夫の決断で同じマンションに住む敏恵に調教を委託することになった。激しくも甘美な調教で、昼夜を問わず若妻は被虐にどっぷりと染まる。



★小説『十二階』第二部★
十二階第一部

DMM.R18でのみ販売中。調教はマンションぐるみとなり、千春には衣服もプライバシーもなくなってしまう。住人に貸し出される人妻は、さらに苛烈な運命が待っていた。



エピキュリアン1


今日のSMシーン
制服の割れ目に無慈悲にくいこむ股縄責め
制服の割れ目に無慈悲にくいこむ股縄責め




テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

SM入門27 拘束・束縛の誘惑

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 SM入門とおおげさなことを書いていますが、今回は拘束・束縛について考えてみましょう。

 自由が欲しいという気持ちがあり、その自由の中には、束縛も含まれているのではないか、束縛される自由があるのではないか。それがSMに不可欠な緊縛、拘束につながっていくのではないでしょうか。
 束縛されたくないと言う気持ちと、束縛されたい気持ちは、二者択一ではなく、常に同時並行に存在しているものと考えるとわかりやすいでしょう。
 相反する気持ちがどちらも自分の中にはあるのです。自由になりたい、束縛は嫌だと気づくのは、それまでの束縛に飽きたり、より魅力的な束縛を探したいからではないでしょうか。
 SMと緊縛や拘束、ボンデージ(bondage)。それはBDSMにおけるB
 先日、志摩紫光先生にお話をうかがう機会があったのですが、そのとき「いま流行の緊縛の先にSMはない」といった話が出ました。
 SMにおける緊縛は、相手を拘束することで終わりではありません。SMプレイをするために、したいことをしやすいように縛るのです。
 たとえば股間を大きく開かせて抵抗できないようにして、恥ずかしいところを責める。あるいは宙に吊して叩きやすい高さにお尻を持っていく、などでしょう。
 したいことをするための緊縛と、昨今流行のアートな緊縛は違うのです。
 アートな緊縛世界になると、もはやその先のプレイはなく、肉体と縄による美で完結していくのです。またセラピー的な緊縛では、縛られることで得られる安息、エクスタシーを感じたときに完結します。
 緊縛で完成しないSMでは、むしろ教科書的な縛り方ではかえって危険な場合も考えられると志摩先生は指摘されていました。
 たとえば、後手にしっかりと縛った相手を床に仰向けにさせて性行為を延々とする。この間、背中にある腕は体重を受けて必要以上に痛みます。これ、必要でしょうか、という話なのですね。
「古縛(こばく)の世界では、罪人を捉えるための捕縛術としての緊縛があり、また拷問としての緊縛があったが、SMプレイでそこまでする必要があるのだろうか」といった疑問があるのです。
 相手が合意の上でプレイをするのですから、手を縛る必要がそもそもない。繊細な部分には縄をかけないようにしてプレイしてもいい。
「写真を撮るために、後手にしっかり縛りたいときも、体も縛るのなら、手は最後でもいいんですよ」と志摩氏。
 そもそもSMという表現に疑問を持つ氏ですので(「究極愛」と表現しています)、相手を気遣う緊縛も、ひとつの世界なのです。
 私は作品では、これでもかと責めていきますし、苦痛にさらに苦痛を重ねていくような描写もしますが、プレイではこれはちょっと考えられないことでしょう。
 志摩氏も映画やビデオの初期から、浣腸、針、導尿、炎責めなど過激な描写で知られていました。その拘束は、確かに場面場面で必要な方法で対応しており、同じ緊縛のままでつぎつぎと責めることは少ないと感じていました。
 一方、さまざまな映像作品で、責めそのものよりも、緊縛美を主としたものも増えていますが、その場合は、腕からキメていき、さまざまな形の縛りを流れるように連続させていく鮮やかな技も見られます。
 拘束、束縛の誘惑は、プレイ主体の者にとっては、自分のやりたいことをするための手段です。
 拘束、束縛を受けたい側としては、どのような意味で拘束されたいのか、束縛されたいのかを理解してもらったほうがいいでしょう。
 よくプレイにおける「信頼」が問われますけれども、このときに、お互いに信頼を高めていくチャンスとなります。
 拘束や緊縛は、時間との戦いになります。そこには2つの時間が流れていきます。1つは拘束を完成するまでの時間。そしてもう1つは拘束を解かれるまでの時間です。
 プレイに移行したとき、拘束を最後までそのままにするのか、途中で変更するのかは、とても重要です。拘束具よりも縄が重宝されるのは、縛る側の技術しだいで、簡単に解いたり緩めたりができる。つまり加減ができる点にあります。
 そのことから考えれば、プレイにおける緊縛は、経過時間、プレイ内容、そして相手に合わせて自在に変化させる技術を磨くことが理想なのかもしれません。縛り方にこだわるよりも、してはいけないことを知り、危険性についての知識を身につけ、相手の変化を察知して臨機応変に対応できる能力を磨いたほうがいいのではないでしょうか。
 手錠や枷を使う拘束でも同じです。縄よりも緩いですが、固い素材であることは忘れてはなりません。
 こうしたことを考慮すると、縛る側、拘束する側は、プランとそれを臨機応変に変更できる技術、つまりリーダシップが必要になってきます。
 支配する側ですから、当然、リーダーシップを磨く必要があるのです。ただし、ビジネスに似たリーダーシップである側面もありつつ、まったく違う側面もあります。なぜなら、性愛とは人と人の快楽をめぐる支配と被支配の関係性なので、実際には完全に平等だからです。
 支配と被支配は快楽のためのロールプレイなので、人間としてはどっちの立場でも平等であり、被支配側は、嫌いな支配を受けることを拒絶できるのです。というか、すべきです。恋愛と同じく、嫌いな相手との快楽の追求は考えられないでしょうから。
 支配側になったときには、断られない支配者になる必要があるので(そうしないと支配側としての快楽を得られませんから)、相手が求めるリーダーシップを発揮する必要があります。相手がどのようなリーダーを求めているのかも人それぞれなので、それを感じるアンテナが大事になります。
 このあたりは「センス」と言ってしまえば片づく気もしますけど、もう少し考察してみたい部分ですね。
 
(協力:エピキュリアン クリアブラック アナルビーズ



★『隷徒1 聖香の章』★
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シリーズ1作目。荒縄学園に転校してきた聖香。その性癖を暴かれ、退学が嫌なら隷徒として卒業を目指せと命じられる。だが隷徒は全裸で教員や生徒たちのあらゆる要望に応えなければならない……。表紙とイラスト1点・月工仮面。



★『隷徒2 姉妹の章』★
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シリーズ2作目。隷徒・聖香の恥ずかしい姿を目撃してしまった姉の翔子も引きずり込まれ、本性を暴かれて特別隷徒にされていく。捌け口として肉体をいじめ抜かれる姉妹。表紙とイラスト1点・月工仮面。


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今日のSMシーン
フィスト喰い
フィスト喰い

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SM入門26 衝動に初級も上級もない

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 SM入門とおおげさなことを書いていますが、ちょっとこの入門って話について改めて考えてみましょう。

 入門と称して書いていますが、SMのような人の心の奥底にあるパッションを誰かにぶつけていくような、いわば衝動によって起きる行動には、入門もなにもないし、初級があって中級があって上級がある、といったイメージにはそぐわない面があります。
 自分の中から沸き起こる衝動。それがすべてであって、それに優劣などはつけようがありません。
 プレイとしてSMをする場合は、緊縛の縄扱いの巧みさ、SならばMの心を汲み取る技術の高さ、相手のことを知り、なおかつ不満の少ない組み立てをするといった構成力など、さまざまな技術が積み重なっていき、その熟練度は間違いなくあるでしょう。
 興奮度と熟練度は必ずしも比例しないので、技術力が足りないままに、衝動をぶつけあっていくうちに、取り返しのつかない事故に至ることもあり得ます。
 支配すること。支配されること。どちらの側に立っても、日常生活では考えられないリスクを負うのです。リスクに対して無知であるままに、衝動で行動することはとんでもなく危険なことです。
 ところが、その危険こそが魅力に感じることもあるので厄介なのです。
 衝動がなければSMは、ただの手続きのような世界になってしまい、面倒なだけで楽しくはないでしょう。だから技術を修得していったからといって、楽しみが増大するのかどうかはわからないのです。
 ですから、SMは「やりたい」「やろう」とお互いに合意が形成された時点で、すでに危険をはらんでいます。その危険を巧みに回避しつつ、ギリギリのところで快楽を目指す人もいれば、そもそも危険を回避せずに突き進む人もいます。さらに、危険なことは最初からやらない、と決めてしまう人もいるでしょう。
 いまの書き方からすれば、危険を巧みに回避しながらギリギリのところで快楽を得ていくような技術があるなら「上級」と呼びたくなります。または「熟練」とか「達人」とか。
 ですが、本当にそうでしょうか。
 不特定多数のお客さんを相手にSMプレイをするプロフェッショナルなら、そういうランクが自然に生まれてくるのはわかります。
 ですが、プライベートで特定の相手とだけSM関係にあるときには、まったく話は変ってきます。
 お互いに満足できるSM関係が築けているのなら、そこには熟練も達人もなく、お互いの衝動から生まれたSM心とでもいうべきものを交換し合うことができれば、そしてそれを継続できればかまわないのです。
 その意味で、継続を考えたとき、ある意味でいつも初心者の方がいいかもしれません。それでいてお互いの呼吸を深く理解する意味での熟練があってもいいかもしれません。
 SMは「お互いに理解し信頼した上ですべき」と、おそらく多くの人が言うことでしょう。
 本当でしょうか?
 この「SM入門」では当初から、それを第一にしているわけではありません。
 意外性とスリルから考えれば、SとMの間には、一定の無理解があってもいいのではないでしょうか。
 そもそも、SとMはその衝動に大きな隔たりがあるので、永遠にお互いに理解できない部分があってもいいのではないでしょうか。
 SにとってはMの奥底に眠る未知の部分を知りたいかもしれないのですが、知らないとしても構わないでしょう。Mのことを知る必要がないと、その部分を撥ね付けた方がいい場合もあるのではないでしょうか。
 M側としては、相手のすることがいつも自分の想定内であったときよりも、意外性があった方がいいかもしれません。
 または、そういうスリルは求めずに、いつものシチュエーションの方が安心してのめり込めるかもしれません。
 衝動とは、理解したり反省したり、その目的や意味を考えることなく、突き動かされることです。その結果、SMとしての満足を得るときに、必ずしも性的な快感を伴わない場合があっても不思議ではありません。
 その点からすれば、相互の理解もあまり深くし過ぎないこともあってもいいのです。
 SがMにとってよりSらしくあり、MがSにとってよりMらしくあれば、満足度は高まるはずです。結果的に満足が得られることで、SMの関係は続けられるかもしれません。
 たとえば、『その先の道に消える』(中村文則)には、こんな描写があります。
──そのうち、手を縛るだけで、ただセックスのみするようになる──
 この作品はミステリーなので、詳しいことはここでは述べませんが、この一文に象徴されるように、手続きとしてのSMプレイは、目的がセックスによる快楽にあるときは、むしろよりシンプルに、手間のかからない方向へ一種の進歩というか慣れが発生していく可能性があります。
 以前、「SMはエスカレートするか?」で書いたように、強い刺激を求めるときに、暴力的にエスカレートするケースも考えられますが、性的な満足度を求めていくと、むしろSMらしさは減っていく可能性も考えられます。
 セックスそのものも、性器への刺激で得られるオーガスムや射精が目的のときは、それをお互いに高めるための工夫を惜しみません。ですが、ただ心を安らかにしたい、お互いに気持ちのいい時間を共有したい、となったときには、面倒な愛撫はどんどん減っていく可能性もあります。
 通常のセックスでも、最初に削られるのはシチュエーションでしょう。お互いに快楽を高めるために、よりふさわしい場所であるとか、時間帯などを求めていたはずが、気心が知れてくると、どこでもよくなっていく。シチュエーションのことを気にしなくなっていくこともあるのです。
 SMではシチュエーションが豊富に用意されており、それをプレイすることで気持ちを高めていくのですが、目的が変っていくに連れてそこをいくらでも簡略化できてしまうのです。
 場所、拘束の仕方、服装、時間帯、小道具などによってシチュエーションをさまざまに変化させていける利点がSMにはありますが、特定のパートナー同士では、実はそんなにいろいろなことを試す必要はないかもしれません。
 マンネリは快楽の敵でしょうか。そんなことはないはずです。安心感やいつもの感じ、過去の記憶の中にある感じなどが複雑に絡まって得られる快楽もあるのです。
 その意味では、自分の衝動や相手の衝動と向き合っていくのですから、常に初心者のような気持ちでいることも楽しみを長く保つために役立つかもしれません。
 最初は衝動によって生まれた行動も、自分の中でしだいに目的別に整理されていき、満足度を高めるための道順が明確になっていくことがあるのです。
 そこを手探りで徒歩で行くこともあれば、自転車や自動車で行くこともあるでしょう。
 その道順は変更できるでしょうか。
 根本は自分の衝動なので、そこは忘れることはないはずですから、ナビのように必ず進めるのではないでしょうか。
 ですから上達しなくても、熟練にならなくても、ぜんぜん構わないのです。
 ということで、この「SM入門」は、いつまでも入門なのです。

(協力:エピキュリアン アナルバルーンプラグ



★便所虫の歌★


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週末にマリカとして苦痛を求めてさまようOL。掲示板で出会う相手の要求のままに、激しい苦痛にもだえ苦しむ。その間の記憶は失われ月曜には勤務先に出社する。そこに別のマリカが挑戦してきた……。どちらがホンモノか決着をつけることに。負ければ永久便器となる。



★折檻部屋の風夏★
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父母を香港のゴミ焼却所で惨殺された風夏は、大金持ちから一転して逃げ回る生活に。最後に学生時代の女友達を思い出して訪ねる。卒業前に奴隷になると誓っていたのだ。だが女友達は風夏に過酷な指令を出し続ける。ノワール風味の漂う作品。



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魅惑のGAG・さるぐつわコレクション5
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SM入門25 暴力ではない愛だ

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 SM入門とおおげさなことを書いていますが、引き続き暴力とSMの関係について探っています。

 純粋に相手の反応や態度によって、暴力スイッチをオンにし、さらにいくつかある制御段階を吹っ飛ばして暴力へと結実するパッションが生まれる……。
 それを人は「愛」と呼ぶこともあります。
「SMについて暴力と一緒にされるのは心外である。SMは暴力ではなく愛なのだ」
 この主張を私は信じるわけにはいきませんが、同時に、抗えない強さも感じます。魅力があるのです。
 このSM愛を「愛」から考察するよりも、その最大の特徴である暴力から考察したほうがわかりやすいのではないか。それが、この数回、暴力の構造について考えてきた理由なのです。
 たとえば、典型的なSMプレイで人々の頭に浮かぶ「鞭、ロウソク、浣腸」のそれぞれを考えてもいいですし「野外露出」「犬や豚として扱う」といった行為、さらに緊縛や拘束に至るそれぞれが、「愛」に包まれていると信じることもできます。
 でも、そうじゃないかもしれない。
 ご存じのようにサドの著作では、ばんばん人を殺しています。毒殺による大量殺戮を含め、その暴力は政府レベルにまで拡大します。暴力のエスカレートをまんま、描いているので、サドの著作をポルノっぽく楽しむことはなかなか難しいことでしょう。どこかで、必ず引いてしまう、または理解しにくくなる。
 一方、マゾッホの作品は官能的で、悲劇的な側面があるとしても、どこか戯画化されていて、形式美があります。
 サドの暴力とマゾッホの暴力の違いは、目的というかビジョンの違いだとも言えます。
 サドは彼が生きている時代における暴力のすべてを肯定しつつ否定し、受け入れながら批判することで、「いま生きる自分たちはどんな夢を描けるのか」と考えていたのではないかと私には思えます。
 有名な話で牢獄で小さな字でびっしり原稿を書いていたというところからも、彼にとっての「世界」と戦うために書いていたのではないでしょうか。
 マゾッホは、自分の欲望と戦っていたのではないでしょうか。抗えない欲望を文字として表現していくと、作品になっていきます。これはアプローチとして私も似ています。それだけに理解しやすいし、より多くの人をエロティックに興奮させていくでしょう。「O嬢の物語」もマゾッホのアプローチと通じていると思います。
 結果、マゾッホはわかるけどサドはわからない、となりやすいのかな、と思います。
 サドには形式がないのは、形式を壊すことが目的だったから。マゾッホや「O嬢の物語」は自分たちの描く欲望世界を形式化するのがひとつの目的だったから。
 暴力を使うにあたっても、ビジョンの違いは大きく、サドの抗った支配と暴力の結託に比べると、マゾッホなどの個人の欲望とエロティックな快楽が暴力と結託することは、かなりの差があると感じます。
 サドが相手を殴るときは、相手を被支配に落として、物体として葬る愉悦のためです。支配の愉悦の一つが、サディスティックな悦びでであることは間違いありません。もちろん、そこにも反論される人も多いとは思いますが、支配による悦びは、必ずしも性的な悦びとは限らないので、ちょっとわかりにくい点はあるでしょう。
 しかも支配欲の快楽は、エスカレートし終わりが見えません。この手の快楽にはまると最後は幻滅や自己破滅になっていくのではないかと思えますが、歴史的には必ずしもそうはなっていないので、最後まで幸福のうちに暴力的に生きた支配者たちも大勢いたのではないかと思います。ええ、確かにそれを想像すると吐き気がする人もいるかもしれませんが、その存在を否定できないのです。
 一方、支配されたい願望からすると、そこには性的な悦びが大きく存在していて、その願望を満たしたいパッションに突き動かされるのですが、その先はありません。悦びに満たされたらそれで本望。のちには、ひたすら平和で心穏やかな世界があるのです。
 これも、実際にはそれよって生まれる葛藤などによって幸福は長く続かない可能性も高いものの、パッションの行き着く先は昇華されやすいでしょう。
 愛する者からの暴力ならいいのか、と言われると、これも単純化しにくい議論になります。同じ平手で打たれても、愛するご主人様からなら愛を感じて感涙を流すかもしれません。関係ない人に叩かれたら「ざけんなよ!」と反撃するかもしれません。
 こうして考えてみると、暴力という行為から生まれる「痛み」の受け止め方こそが、重要な要素なのではないでしょうか。
 痛みは、激辛の食べ物と同じく、脳内麻薬が生じて快楽につながる可能性があります。支配者側は、いくら相手を殴ってもこの脳内麻薬は出ません。
 ただ、これまで何回かにわたって記したように、暴力のスイッチを解除して実際に暴力行為に及ぶには、理性ある人間にとってはかなり大変なことです。それをやり遂げた、という意味での自分へのご褒美として、脳内物質が出る可能性はあります。
 SM関係になると、それに加えて被虐側の愛する相手が陶酔していることを確認することで、「自分はちゃんとSとしての役割を果たし、相手が求めていたものを与えることができた」という、支配側の快楽の一つを感じることができるでしょう。
 この支配側の快楽は、必ずしも性的快楽ではないので、S側はプレイとしてしっかりSとしての役割をまっとうすることが可能で、それをうまく形式化できればプロとして、不特定多数の愛していない相手ともプレイ可能でしょう。
 この暴力の形式化は、SMにとってはとても重要なことで、スタイルをしっかり描かないと暴力はエスカレートする一方で、最終的に被虐的嗜好の人が死ぬまでやってしまう恐れがあるのです。
 またこの形式化は、S側ではなく、M側によって生み出される点も大きな要素でしょう。
 さきほど記したように、サドの作品には暴力のエスカレートはあっても形式化は破壊されるばかりで、私たちはその残骸のようなものに直面して戸惑うばかりです。
 一方、マゾッホの系統では、形式化があるので、暴力は最初から制御されています。「自分のことを本当に愛するなら、あなたの素敵なお尻を私の顔にのせてグリグリしてください」といった形式を、お互いに認めたときに愛は成就し、お互いに幸せな関係を築けるのです。これを破壊してしまうと、不幸または死が待っているのです。
 私の作品では、しばしばこの形式を破壊していきます。官能性を破壊します。ある意味のサドの作品に流れる側面を生かしているわけですが、余計なことをしているとも言えますよね。ただ、私は暴力のエスカレートと一方通行な愛、または憎悪の関係を作品として楽しみたいので、こういうタイプのある意味破壊的破滅的な作品を書いています。
 作品の世界と現実の世界の差はそこで、現実には形式によってお互いに愛を確認する行為としてのSMが一般的です。私の創作物はそれとは別のSMがあることを、しかも現実のすぐ近くに側溝のように秘かに流れていることを描いているのです。
 けっして側溝にはまってはいけませんが、そこにそういうものが流れていることを確認することで、ともすれば形骸化しやすい形式に刺激を与えることも可能ではないでしょうか。
 というわけで、SMにおける暴力は愛であって欲しいと強く願っています。

(協力:エピキュリアン スパイク コックリング



★M穴地獄―デッドライン―★
 

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自虐の虜となった女子校生が自分の肉体破壊に突き進んでいく。物語はデッドライン(引き返すことのできないところ)に向かって、エンディングと発端から交互に描かれる。結末はわかっているのに、読み進めるしかない破壊的な磁力を発する作品。



★玩具にしてください! 変態女子校生・菜津希★
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陸上部の女子・菜津希はそのことが頭から離れない。練習中に公園の隅に暮らす汚れた人たちを見たときから、肉体をその人たちに汚してほしいと願うようになる。それはやがて理解者であり脅迫者でもある人物を得て輪姦願望へとエスカレートしていく。鍛えた若き体を汚辱する快楽。

エピキュリアン1

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『荒縄工房短編集』
『奈々恵の百日(続・許諾ください)
『お嬢様はドM3(完結編 期間限定Ver)』
『新版 共用淫虐妻・千春(期間限定Ver) 』
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1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
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