インサイドアウト 第一話(その1) 六人揃えてよ
「幸田さんって働く必要ないってウワサですよ」
幸田真津美は、いまも半年前にはじめて内窪直人にかけられた言葉を覚えていた。
「ウワサじゃありませんけど」
職場は明るいタワービルの三十五階で、ときどき雨雲に包まれることもあった。スカイツリーが遠くに見えている景色は、いつもならすぐに見飽きてしまう。雨雲は、白から薄い墨を溶かし込むように曖昧な明暗を描き、窓に水滴をつけるようになるとゾクゾクしてくる。
遠くの雨柱に雷光が走るときなど、フロアにいる社員たちの中には窓にへばりついて、子どものように騒いだりもする。真津美はそれには感心はない。だが、自分たちを包んでいる雲の中を稲光が走るところはぜひ見たかった。
全裸になって錆びた長い鉄の棒を持ち、雷雲を求めて荒野を歩く自分──。それは、かなり幼い頃から抱く暗い願望だった。
直人に声をかけられたとき、真津美はそのトーンにゾクッとしていた。イヤな感じに聞えてもおかしくないのに、嫌悪よりも先に体の芯が反応していた。
報告書を作っていた手を止めて、冷めてしまったカフェモカを口にした。甘ったるい。
「どうして、こんな会社に?」
直人は日焼けしていた。笑顔はセールスに有効そうだ。そして若い。真津美の好みよりわずかに若すぎる。この男と関係するところを想像したが、クリスマスシーズンに放送する高級ブランドのCMじみたいやらしさがあった。
「仕事が好きだから、ですよ」
直人は目を大きく開き、白い歯を見せて、真津美のウソを受け止めた。
「こんな小さなネット広告会社で、おもしろい仕事なんてないですよ」
直人が先週、三十人ほどの客にセミナーを開いていたところを目撃した。そのときはこんな声の感じではなかった。むしろ新人アナウンサーのように感じた。マジメ、体育会系、お坊ちゃん。真津美のこれまでの人生で、うんざりするほど見て来た連中のうち、比較的目立たないグループに属する。
それでも合コンをすればモテるに違いない。育ちの良さをこれほどあからさまに表に出しても平気でいられるのだから。
「修業、ですかね」と真津美はつぶやく。
「修業? ファーストクッキー対策についてのレポートを作るのが?」
「大事でしょ、ファーストクッキー」
「うち程度の規模じゃ、そんなことに興味のあるクライアントは来ませんよ」
一般的に多くの人たちのブラウザに表示される広告は、その人たちの閲覧記録などによって表示される広告が左右される。個人情報保護法のため、手軽に個人の情報を扱うことが難しくなってきたこともあって、どうやって広告と結びつけるか、その技術についてもいろいろと工夫しなくてはならなくなった。
少しでも興味を持っている人に、クライアントの広告を出せるようにしたい。とはいえ、費用対効果から考えて、あまり費用をかけられないクライアントとしては精度もさることながら、露出度などのわかりやすい数値だけで満足しているケースもある。
「部長はそうは思ってないみたいですよ。クライアントを育てることも大事だって」
「幸田さんはどう思うんです?」
「育てるなんてことは難しいと思うけど、より精度の高いプランにも需要はあると思う。少なくとも私の知っているクライアントの数社は興味あり、です」
「うちから知識だけを得て、他社に発注するんですよ、そういう人たちは」
「構わないでしょ」
「構いますよ。うちの利益にならない」
「部長に言ってあげて。利益を考えるのは彼女だから」
「うー」
中途半端に濁す。女性の上司が苦手なのだ。生意気だと目をつけられたくない。そして優秀な部長から辛辣な反撃を喰らいたくない。
気持ちはわかるが、真津美にはどうにもならない。彼のセミナーで見込み客が二件しかなかったと聞いている。それで腐っているのだろう。
「修業って、なんの修業です?」
話は終ったのだと思い、PCに向かっていた真津美に、なおも直人が話しかける。
「人生、ですよ」
返事をしない直人に、追い払うことができたのかと思ったら、「これ」と彼がスマホ画面を突きつけてきた。
よく知っている。いま住んでいるマンションからクルマで二時間ほどで行ける森の中の別荘だ。それほど大きくはないが、真津美はそこが気に入っていた。曾祖父のものだった。古い建物を真津美は気に入っていたが、いつの間にか父は建て直してしまっていた。それでも窓から見える景色は幼い頃と同じだ。聞えてくる森の音も同じだ。
「幸田さんの、でしょ?」
ため息をついて真津美は直人に向き合った。
「なんでしょう。いま仕事中ですけど」
「こんな別荘を持っている人、うらやましいですよ」
「ありがとう。だけどそれは個人情報よ。どうしてそんなことを?」
「簡単ですよ。幸田さんの学友と共通の知人がいただけです。たまたまです」
「ああ」
数人の顔が浮かぶ。合コンに行きそうな友達。
「今夜とか、あいてます?」
直人は独り言のように言う。彼の出したパンチはすべて外れている。
働く必要のないほどの財産を相続している。別荘など不動産をいくつか持っている。簡単に個人情報をバラす大学時代の友達がいる。手強い部長に対抗するために、仲間を求めている若い男が同じセクションにいる。
「あいていたら、どうするんですか?」
「食事でも、いかがですか」
「もう予約してるんじゃないですよね?」
「へへへ」
女の子ならそのくったくのない笑顔に心を開いてしまうかもしれない。いわゆる末っ子の人たらし。きっと出世することだろう。
「すっごくいい店があるんですよ、この近くに」
真津美はそのイタリアンレストランの名を一発で当ててみせ、一緒に食事をした。それが直人との出会いだった。
「どうしてぼくと付き合ってくれるんですか」と数回、食事をしたり飲みに行ったあとに直人に聞かれた。肉体関係はゼロだった。そういう方向に行きそうにないことを、最初の夜に直人は察したはずだ。
おそらく男が苦手なのか、年下に興味ないのか、あるいは同性愛者かと思っていることだろう。
「直人は、友達が多そうだし、人を集めたりするのが得意そうだから」
そう答えていた。
「ええ。学生時代からそんなことばっかりしていましたよ」
「じゃ、うちの別荘にふさわしい、スケベそうな男を六人揃えてよ」
すんなりそんなことが言えたのは、真津美にも不思議だった。弟のような直人をからかいたい衝動もあった。生意気そうで人好きのする若い男に、恥部を見せつけたい気持ちもあった。

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