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メロー・マッドネス 44 鏡、見ないほうがいいわよ

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 そこに、梨々花は希望を感じた。黒田はあいつらの仲間ではないのだ。そのふりをしているだけなのだ、と。
「一緒に行かないんですか?」
「いや」
 黒田の目が梨々花に注がれた。傷だらけの自分の奴隷。それはすでに藤崎のものだった。
「これが精一杯だ。気をつけろ」
 黒田は残り、藤崎は梨々花を連れてここから脱出するという。梨々花は声が出ない。
「最高の奴隷」と言ってくれたではないか。またあの日々が戻ってくるのではないのか。そうでないのなら、殺してほしい。もう死にたい……。
 梨々花は意識を失った。

 タイムスリップであるとか、タイムリープといった言葉を梨々花はマンガや映画でぼんやりと理解していた。いま、自分の身にそれが起きたのだ、と。これは過去に戻っている……。
「気がついたみたいね」
 鹿尾知加子がつまらなさそうに言うと、赤ん坊が泣き始めた。
「この子にご飯あげないと……」
「しかし、面倒なものを押しつけてきたな」
 鹿尾忠夫は上半身裸で食卓にいた。なにかをかき込んでいる。
 梨々花は腹が減っていることに気づいた。
 簡易ベッドに寝かされていた。全裸にタオルケットだけだ。手足、胴をベルトでベッドに縛り付けてあった。
「はあ」と声を出してみる。
「おい、なんか、言ってるぞ」
「あとでいいでしょ」と知加子は子どもに離乳食だろうか。なにかを食べさせはじめた。
 赤ん坊と幼い子。子どもが二人いた。不思議だった。前に来たときも子どもはいたのか、梨々花には思い出せない。ここで起きたことは、ぼんやりとしか記憶にない。歩いて疲れ果てていた。攻撃を受けて必死で逃げて来た。藤崎と美麗がいた。美麗はいたはずだ。ここで藤崎は鹿尾と話をつけて武器を調達した。それを受け取ると男の切断された腕がついてきて……。
 頭が痛い。
 藤崎にも捨てられたのだろうか。
「藤崎、さん、は?」
 なんとか言葉になったが、誰にも届かないようだ。もう一度、少し腹に力を入れて「藤崎さんは?」と言ってみた。ガラガラ声だった。
「聞こえるか?」
 聞こえていた。以前よりはマシだ。体の痛みもかなり軽く感じられる。
「藤崎は夜には戻る」
 口にしていいのかわからないが「黒田さんは?」と聞いてみた。
「さあ。どこにいるのか、なにをしているのか」と鹿尾はペットボトルの麦茶を音を立てて飲みほしてから、梨々花の傍らにやってきた。
 固く冷たい指先で、梨々花の肩、首、頬を触る。
「痛みはどうだ」
「だいぶ、軽くなりました」
 そんなことはないのだ。痛みは体の芯まで染み込んでいて、梨々花から体力も免疫力も、そして気力も奪っていた。ただその状態が理解できる程度に落ち着いただけだ。
「ここに来て三日、寝ていたんだ」と言いながらベルトを外しはじめた。「夜中にひどく暴れるものだから、こうしたんだが」
 頭をベッドから持ち上げると、世界がグルグルと回った。
 落ち着くのを待って体を起こし、ベッドに座る。乳房、腹部、太もも、腕。痣と傷だらけだった。
「なんか、スゴイことされたね」と知加子。「だけど、殺すつもりはないみたいだわ。一種の耐久テストみたいな?」
 試されていたというのか。一方的で無意味な暴力の中に長時間晒されてきたのは、ただの耐久性を確認したかっただけ?
 美麗と長谷部はテストに合格しただろうか。それとも……。
「これ」
 知加子は水色のワンピースを投げてきた。
 それが床に落ちる。手を伸ばすこともできなかった。
 ゆっくりと前に屈み、それを拾い上げた。
 柔らかな素材だ。座ったままかぶる。素肌にふんわりと布があたるのは気持ちがよかった。それに腕と足以外の酷い状態は隠せる。
「鏡、見ないほうがいいわよ、まだ」
 顔も腕や足のように酷いのだろう。
「医者は元に戻るって言ってるわよ。顔はわからないけど」
「よかったな」と鹿野に言われても、梨々花にはそれほどうれしくもない。自分の顔はそれほど好きでもなかったのだから。


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メロー・マッドネス 43 パラボリカの狙いを見極めるんだ

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 黒田に抱きついた。そのとき、腕も指も包帯だらけだと気づいた。構わない。そのまま黒田の体に巻き付けた。それはそこにあった。幻でも夢でもない。それに、全身が痛い。カーッと燃えるように熱い。
「だめだ、だめだ。動くな」
 優しく引き剥がし、ベッドに横たえる。
「やっぱ、黒田さんのことが好きなんですね」
 藤崎もそこにいた。
「好きとかってことじゃないんだ。こいつにはおれしかいないんだ」
「悔しいな」
 黒田と藤崎は対立しているのではないのか。藤崎は黒田を叩き潰し、自分を奪ったのではないか。もっとも、その後ドローン軍団にすべてを奪われてしまったのだが。
「梨々花。少しでも回復したら、おまえの頭に埋め込んだ機械を外す。悪いけど、あまり時間はないんだ」
 黒田の言葉は、梨々花の細胞一つ一つに染み込む。喜びに震える。どんな命令にもとろけそうで恐ろしい快感がある。そう教え込まれたのだ。
「黒田さん」と藤崎は親しげに呼びかける。「あいつらを信用していいんですか?」
 黒田はすぐには答えなかった。
「二村をどう思う?」と逆に聞き返す。
「信用できるわけないでしょう」
 藤崎は悔しさを滲ませる。
「それと同じだ」
「わからないっすよ。どういうことですか。同じってどういう意味なんですか!」
 珍しく藤崎は子どものように激高した。
 その気持ちは梨々花にもわかる。何度も何度も死にそうな目に遭ってきたのだ。カジノの襲撃以来、安心して眠ることもできず、常に何者かに狙われてきた。反撃しようにも、歯が立たなかった。
「焦るな。パラボリカの狙いを見極めるんだ」
 パラボリカ……。はじめて聞く言葉だった。梨々花にはなんのことかわからない。服のブランドのような。それともIT関係の用語?
「あの2人はどうなるんです?」
「おれたちには手が出せない。連中が決めることだ」
 黒田の声は冷たく固い。
 苦々しく思っているのだと梨々花は感じる。奴隷になった当初、黒田から言われたことがあった。
「いまはなりたくてなった、願いがかなったと喜んでいることだろう。しかし、そのうち疑問が出て来る。なんでもそうなんだ、人間は。入りたい学校に入る、やりたい部活に入る、行きたい会社に行ける、そのあとに揺り戻しが必ずくる。そのときには、私は容赦しない。おまえの嫌がることをやらせるだろう。おまえが泣き叫んでたっぷり後悔するまで、いじめ抜く。なぜだかわかるか?」
「わかりません」
「いまは表面だけが私の奴隷になっている。芯の部分はいままでの梨々花だ。そこがいずれ反抗をはじめるのだ。すべては私のせいではなく、おまえの中にある。だから、芯の部分まで奴隷に染め上げる。それを中途半端にやる気はない。徹底してやる。そしてのちに、おまえは奴隷としての本当の喜びを見つけるはずだ。自分は間違っていなかったと」
 そんな日が来るのかと思ったが、彼女には実際、言われた通りのことが起きた。最初は軽いプレイで、それはセックスのバリエーションに過ぎなかった。そのうち、「このままでいいのか」と考えはじめる。黒田は自分のことを本気で考えているのか。黒田にとって自分はなんなのか。こんなところにいても、意味はないのではないか。自分は間違っていたのではないか。
 そして彼の理不尽で強烈な調教が始まった。人間としての尊厳を奪い、女としての扱いもされず、地獄のような日々が続いた。
 その頃に藤崎や無数の誰かとのセックスを強要され、ボロボロにされていった。言葉を発することも許されず、目を閉じたり開いたりする自由さえもなかった。
 このまま黒田に殺されるのだと思った。
 いま思い返すと、あの日々はハネムーンのようだ。梨々花にとって、何物にも代えがたい経験だった。最後には気絶している間に頭になにかを埋め込まれていたのだが、そんなすべてを懐かしく心地良く思い出す。
 それを黒田は「一歩、踏み込む」と表現した。
「物理的に移動するのではない。心が入ること。それが本当の最初の一歩なのだ」と。
 黒田はなにかしらいま、疑問を抱き、苦々しく感じている。表面と心は一体になっていない。「連中」を信用していない。「連中」と一体になるところまで踏み込んでいないのだ。


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1970年代からのSM小説を読み、書き。「仲ゆうじ」などのペンネームで「SMセレクト」などに小説を書かせていただいておりました。
未発表作、新作などを随時、お読みいただきたいと思っています。

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