奈々恵の百日 2 第一話 奴隷市場 その2
思ったよりも多くの人がそこにいました。見知った顔かどうかはよくわかりません。目の焦点が合わないのです。
ベルトも外され、ようやく口の中に詰め込まれていたものを吐き出すことができました。ダラッと涎があふれ出ます。
誰かが私の髪を握っています。
「言いたいことがあるだろう?」
言葉を出そうとしても、喉がしばらく役に立たず、失礼にならない程度のえずきと空咳を繰り返していると、髪を掴まれて頭を前後左右に振り回されます。
「私、奈々恵は」と言ってみましたが、あまりに声が小さいのでもう一度、できるだけ頑張って声を出し、「みなさまの肉便器として、どのような求めにも応じます」と続け、記憶した宣言文をすべて言い切りました。
「部屋の中ってなんだ」
その声は中麦です。宣言文はもともと、私が住んでいた部屋の玄関に貼っていて、私は裸で土下座して暗唱してお客様をお迎えしていたのです。
「これからは、そこは変えるんだ。そうだな……」
続きはこう変更になりました。
「みなさまの欲望の捌け口として存分にお楽しみください。いつまで、どのようにお使いなるかはみなさまに委ねます。性的奉仕はもちろんのこと、緊縛、SM行為等、お望みのままにお応えします。どのような道具をお使いになってもかまいません。私自身は金銭を受け取ることはありません。代償をお願いすることも、請求することもありません。いつでもどこでも、肉便器奈々恵をお使いください」
誰もなにも言いません。
美和──。
正面の小柄な人影は彼女です。トートバッグから何かを取り出し、床に並べています。
「友成奈々恵 三十三歳。現住所、東京都○○区○○町○丁目○の○。マンション○○の○号室。東京都○○市生まれ。○○小学校卒、○○中学卒、○○高校卒、○○大学卒……」
延々と私の履歴書が読み上げられています。
自分のやってきた破廉恥な行為ならともかく、こんな風になってしまう前の自分のことが暴露されていくのは、恥ずかしいだけではなく、みじめです。すべての個人情報を晒しているのです。
「いま、そこに並べられているのは、かつての勤務先から提供された履歴書、離婚後の戸籍謄本の写し、スマホの契約書、小中高の卒業アルバム、小学校の文集には、作文『大人になったらなりたい人』というきわめて立派な作文が掲載されています」
失笑もの。
「次に、彼女のこれまでの姿を描く、美和様の漫画もご覧ください。これはすべて実際に彼女がやったことなのです」
全裸で出迎える私。2つのバイブを持ち歩くOL。店で輪姦される女。ベランダで、バスルームで、ベッドルームで、そして居間で。
「こんなんじゃ、うちじゃダメだわ」
やや枯れた女性の声がします。顔はよく見えません。背の高い女性。その足元に四つん這いの男がうずくまっています。三号の飼い主でしょうか。
「現在、奈々恵は、そこに来ているブタ三号の嫁の候補となっています。離婚したばかりなので、正式な婚姻ができるのは7月になります。それまで3ヵ月ほどは、猶予期間。三号が奈々恵を気に入るかどうか。そして三号の飼い主様たちご夫婦のお眼鏡にかなうのかどうか。これから試されることになります」
「認められなかったらどうなる?」と誰かが言います。
「この奴隷市場でお披露目したわけですから、ご興味のある方はご連絡ください。多数の場合は公開入札をいたします」
「そのカネは誰が貰うんだよ。いまは飼い主はいないんだろう?」
「飼い主というのとは違いますが、現在のところすべての権利を、そこにいる漫画家の美和様が所有しています」
私が売れたら、そのお金は美和のものになる。
美和は私を手放して得たお金でなにを買うのだろう。それが数万なのか、数十万なのか、まさか数百万ということはないだろうが、ともかく、それで美和は少しだけ幸せになるのでしょうか。
そもそも、彼女の幸せと私の幸せに接点はありませんでした。だからよかったのかもしれません。プラスとマイナスが強く引き合うのです。彼女の幸せは、私の不幸。彼女の喜びは、私の苦悶。不幸になり苦痛に悶え続けることで、美和は幸福になるのです。
彼女だけじゃない。離婚できて春雄は幸せです。多美も愛人から思いがけず妻になれて幸せでしょう。会社の人たちも私をクビにできて幸せだったのでしょう。
私はあと何人、幸せにできるのでしょう。私の中に欲望を吐き出した男たちはみな幸せになれたでしょうか。私のようなこの肉便器に放出することで、幸せなのでしょうか。
もしも、幸せではないのなら、とっくに誰も私には何もしなくなっているでしょう。せめて、そう思うことぐらいしか、私にはできません。
「もし誰も申し出なかったら? 入札もなかったら?」
「美和様次第でしょうね。どうされるんですか、美和様は」
男の意地悪な質問。
美和は答えるのでしょうか。答えないでもいいのです。
「もしかして美和様は、この肉便器と女性同士の関係にあるとでも?」
残念ながら、それはありません。美和と私は、そういう関係にはないのです。永遠にないのです。混じり合うことのない2人。それでいて、表と裏のように、ぴったり貼り付いているのです。だから、女同士の関係とはかなり違うつながりがあると思ってもいいのではないでしょうか。
「私は」と美和が言葉を発しました。私は緊張して耳をすませました。「こうなった以上、奈々恵には幸せになって欲しいと思います」
幸せ? なにそれ……。
「どういうことですか?」
「いまの状態は、奈々恵にとって幸せの入り口なんです。だけど、そこから入ったら、どこにつながるのでしょうか。新しい飼育先で奴隷と結婚することでしょうか。ここにいらっしゃるどなたかの奴隷になることでしょうか。引き取り手がなく捨てられることでしょうか?」
捨てられる……。
「もし引き取り手がなければ、私は奈々恵を捨てるかもしれません」
「ほう。もう、関わりは持たないと?」
「私はこれから就活がありますし、自分の作品と人生はそれぞれにできる限り、好きなようにしたいのです。奈々恵は、私には重すぎます」
笑い声が起こりました。
美和は一つもおもしろいことは言っていないのに。
「美和様、それでは、困ったことになりました」と司会が言う。「捨てるかもしれないような奈々恵には、金銭的な価値はないのではありませんか?」
「もちろんです。奈々恵にはそんな価値はありません」
どよめきというか、バカにするようなうなり声。いえ、賛同の声。
「ただ」と美和が言います。「彼女がどうなっていくのかは、つぶさに知りたい。だって、私の漫画の題材なんですから」
しばらくしてから「なるほど」と司会の声。「金銭はいらない。奈々恵がなにをしているのか、わかるようにしてほしいと。それだけですか?」
「ですね」
軽い言い方。
「では、奈々恵については、特に金銭的価値はなしと。私たちの店の使用料だけでいいということにしますか……」
「お店の使用料は、奈々恵が払いますよ」と美和。
「なるほど。しかし、どこにもサイフはないようですけどね」
「払わせればいいんです、奈々恵に」
冷たい言い方に、ドキドキしているのは私でした。
彼女から愛情深い、または友情めいた言葉が出てくることはそもそも期待していませんでした。だったら、なにを期待していたのか。当然、無慈悲で冷たい言葉です。私に浴びせていい言葉です。
「ううううう」
私は涙を流しながら、唇を震わせていました。
「おっと、奈々恵が泣いちゃいますよ。泣きそうです。いや、もうほら、涙がいっぱいですよ」
司会のおちょくり。
あらためて自覚していました。私はこういうのに弱いのです。
「おっと、下からも涙があふれていますよ。ハハハ」
クスコで開かれた陰部にはそもそもザーメンやローションが溜っていたはずですが、愛液が滲み出て、タプタプになっているのです。
「価値のない女。価値のない生き物。そんなものに、私たちは興味ないのよ」
三号の飼主さんの冷酷な言葉。

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