荒縄工房短編集 第一話 別れの儀式(2)
二本目のビールを開けた絹恵は、冷蔵庫から食べかけのキムチを出して、パックのままテーブルに置く。美奈の仕事を増やすように、絹恵は平気で汚す。これもちょっとしたプレイなのだ。
コンビニで貰って使っていない割り箸を出し、乾いた音を立てて割ると、水分が増え始めた甘口のキムチを口に運びはじめた。
「お皿、出しましょうか。なにか、作りましょうか?」
「いいの。座りなさいよ」
「はい」
磔台や道具を片付けると、美奈は絹恵の足元に正座しようとしたが、「あっち」と言われて、向い側のイスに座った。冷たく固い木の座面に尻を浅くのせる。背もたれは使わない。
「飲んでいいのよ」
「はい」
絹恵は遠慮を嫌う。だから提案は命令と同じと思って、飲みたくなくても飲む。美奈は冷蔵庫からレモンの絵柄の缶チューハイを取り出した。
「いただきます」
炭酸が強く、開けるといい音がした。
「私のこと、嫌いになった?」
思いがけない絹恵の言葉に、飲みかけた酒が逆流してむせた。
口からあふれた冷たい液体が肌を濡らす。
「そうよね。私だってまさか家に戻ることになるなんて思わなかったもの。いまの仕事、定年まで続けるつもりだった。あと十年はいられるはずだったから」
すでに退職届けは出している。年末に向こうへ行く予定になっていた。
介護はいつまでなのか。介護が終ったら戻ってくるのか。そんな失礼な質問が頭に浮かんでも、美奈には言葉にすることはできなかった。介護の終わりとは絹恵の親の死を意味していたからだ。
五年、十年、十五年……。介護の終わりはまったくわからない。
「美奈はまだ若いから、いろいろ楽しいことが待ってるよ」
他人事のように言う絹恵に、食ってかかることもできない。頭の中にはたくさんの言葉が浮かんでは消えていく。
絹恵のいない日々なんて興味ない、楽しいはずない、これ以上幸せな時間が持てるわけがない、私はもうそれほど若くはない……。
年の差があるとはいえ、お互いに一年、歳を取ったのだ。わずか一年、とは美奈自身でも思えない年代になってきた。二十過ぎてからの時間の加速は想像以上だった。
「出て行くなら、なにかしようか。思い出になるようなこと」
ポツンと絹恵が言葉を置いた。
美奈はその言葉がテーブルの上にあるかのように、じっと下を向いている。
「だってさあ、美奈はこれからもいい女と出会えるかもしれないでしょ? 私はあり得ない」
「そんなことないよ」
母親が入居予定の施設には、介護の専門家やリハビリの専門家がいるはずだ。中には絹恵と意気投合する女性がいるかもしれない。いや、必ずいるだろう。
またしても、美奈は勝手に嫉妬する。
「なにしよっか。これまでしたことのないことがいいよね」
いつもの絹恵になっている。それは軽いアルコールのせいだろうか。それとも美奈に対する気持ちの昂ぶりによるものだろうか。
美奈は彼女がまっすぐこちらを見てくれていることに気付いて熱くなった。
なにもかも忘れること。この一年の素晴らしさは、毎日、夢中でいられたことだ。その最後に、なにをすればいいのだろう。美奈にわかるはずがなかった。
「おいで」
絹恵が立ち上がる。美奈も立つ。
さっきやったばかりのことだが、美奈は文句も言わずに裸身を再び磔台の前に立たせる。手足をXの形に伸ばす。絹恵が足首を台にベルトで留める。次に手首。これで美奈は自由を奪われる。
「口を開けて」
棒状のギャグが美奈の口に。芯は金属でゴムが覆っている。美奈の歯型がついている。そこにぴったり歯を置くように、絹恵が調整する。美奈の首の後ろからベルトを回して側面で締める。
その上から、スポンジが分厚く裏側に貼りつけられた黒いビニールレザーのマスクを被せていく。
「これで悲鳴も、子猫の鳴声ぐらいになっちゃうわね」
鼻フック。ぐいっと引き上げられる。
「かわいいブタ鼻。息がしやすくなった?」
口での呼吸がほぼできないので、鼻呼吸だけが頼りだ。
これまで何度かここまで厳重にしたことはあったが、今日は意味が違っている。なんといっても別れの儀式なのだ。
「美奈。奴隷のくせに、生意気に自分から出て行くなんて言って。許さないわよ。あんたは私に捨てられるの。捨てる前にしっかり名前を刻んであげる。この先、どんなご主人様に出会ったとしても、必ず私の名前を見ることになるわ」
本気だろうか。ソフトなSMでは何度か苦痛を受けても、美奈が泣く頃にはベッドに移って甘美な時間へと移っていった。
絹恵が手にしているのは、手の平ほどのレザーケースだった。美奈は最初はそれがなんだかわからなかった。ファスナーをゆっくりと引いて、手品のようにゆっくりとケースを開ける。それは絹恵が使っている爪の手入れの道具だった。爪を切るニッパーや甘皮を浮かして切り取るプッシャーと呼ばれる細い金属の棒状の道具が入っている。
ゴムで軽く止まっている道具から、絹恵はプッシャーを引き抜いた。
「これ、わかる?」
美奈はうなずく。しかし、いまから爪の手入れをするわけがない。大きく見開いた目はいつも以上に怯えている。
「この先端、甘皮を切るための小さなカッターになっているの。よく切れる。ほんとにスーッとよく切れる」
鋭い先端を美奈の頬にそっと当てる。
美奈のこもった悲鳴に、絹恵は微笑む。
「美奈のかわいいオッパイの横に、私の名をこれで刻むことにするわ」
美奈は暴れた。ギシギシと磔台が鳴る。重い木製の台と互い違いになった分厚い板の部分からなり、美奈が直接触れる板はしっかりとビニールレザーでくるまれている。中には薄いがスポンジが入っているので、多少のクッションにはなるが、いまのように美奈が激しく自分の腿や腕を板にぶつけると、もちろんそれだけで痛いし、打ち身や痣ができることもある。
「下書きするわね」
アイライナーで、絹恵は左の乳房の側面に自分の名を書いてみた。震える美奈の乳房を片手で支えながらだったが、ちゃんと読める。文字の大きさは五百円硬貨ほどもあるだろうか。誰が見ても、その印の意味は瞭然だ。
「こっちもね」
右の乳房の側面にも書く。
「そうだ、ここもいいかな」
指先で下腹を撫でると、美奈は失禁した。

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