インサイドアウト 第三話(その1) かわいいわね

「それで、このことなんだけど」
真津美は、部長と二人だけで「アイガー」にいた。会社のフロアが三十五階から三十七階に分散していたが、それにちなんで三千メートル級の世界の山の名がミーティングルームにつけられていた。アイガー、富士、アネート、エミクシ、クック、エラバス、玉山……。
がらんとした広い部屋に二人だけだ。席にはつかず、立ち話。
中川和好江の声は低く冷たい。いつもの高級ブランドのメガネをはずしている。そのせいか目の周りの小じわが目立つ。
仕事に厳しい部長は、体躯で圧倒していた。学生時代はバレーボールをしていた。高校時代、全日本の候補にも挙がったというが勉強好きだったので断ったという逸話もある。骨太の長身で、ガリガリといってもいいほど痩せているのだが他を威圧する。
大手通信会社に長くいて、三十代後半ながらもいくつかのビジネスや経営関係の賞を受賞し、政府関係の委員を経験するなど対外的にも知られた人物だった。
若くして成功している女性。ただ、大学時代の同級生との結婚生活は破綻してしまった。大学卒業後、ベンチャー起業家となった彼だったが、実子のいない親戚から請われて選挙に出ることになったのが原因と聞いている。
政治家の妻は、好江の人生設計にまったく相容れないものだったのだろう。彼は離婚がむしろ幸いとなり、ミスなんとかだった地元の名士の娘と結婚して県会議員になっており、いずれ国政に出るとウワサされている。
女性の三十代後半は、成功者といえども人生の多くを完成させたように社会からは見られてしまうが、男性のしかも政治家の三十代後半は前途洋々というか、まだはじまったばかりだ。
元夫の存在は、きっといまも好江を仕事に駆り立てている刺激剤となっているに違いない。
そんな彼女の愛用しているタブレットに、真津美の写真が浮かんでいた。
空き地で雨の中、陰部を広げている。まじめな真津美の顔。雨に濡れて髪がべったりし、化粧をしていないとはいえ、知っている者なら真津美とわかる。
「プライベートでなにをしてても構わない、という意見もあるでしょうね。ディープフェイクの可能性もあるし。あなたはなにかの被害者なのか、それとも加害者なのか。これを撮影した人物との関係性を含めて知っておきたいの」
AI(人工知能)を活用した画像合成技術の発達は秒速で進歩しており、悪用すれば、顔は著名人、肉体はポルノ俳優、といった合成をすることもできる。動画でもスムーズな合成が可能だ。かつてはハリウッドで多大な時間と費用を使わなければできなかったような合成が、小さな画面なら誰でも簡単にできるところまで来た。
国際的にディープフェイクポルノは問題になり、製作者は摘発されている。
「どうなの? この部屋の記録はオフにしている。あなたの判断を聞きたいの」
ミーティングルームを利用すると、すべて音声と動画で自動的に記録される。通常は誰もその映像にアクセスできない。顧問弁護士らによる第三者委員会の管理する外部サーバーに入る。ハラスメント疑惑が浮上したときにはじめて検証に使われる。
部長権限でオフにできるはずがないと、真津美は知っている。
「じゃあ、質問を変えるわ。これを撮影したのは、内窪直人?」
「違います」
「内窪直人とあなたの関係は?」
「無関係です」
「今週、月曜日から欠勤しているんだけど、なにか知ってる?」
真津美は少し唇を尖らせた。
直人が会社に来なくなった。病気らしいが、仮病に違いない。土日のことがあまりにもショックで、おそらく職場で真津美と会う勇気がなかったのだろう。すでに金曜日になる。
北向きのアイガーの窓からは、青空が果てしなく広がっている。遠く、あのアパートのあたりまで見通せる。真津美の目にはそこだけまだ雨が降っているようにぼんやりと滲んで見える。
「なにも、知りません」
「彼に脅されたりしているわけじゃないのね?」
「まったく心当たりはありません」
「で、この写真はなに? どういう目的でいやらしい映像ばかりのSNSに投稿したの? こうした写真、投稿者を簡単に特定できることも知っているわよね。流出? それとも自分で投稿?」
「私が自分で投稿しました」
好江はふーっと大きくため息をついた。
真津美は、それよりも、好江がどうして特殊な嗜好のSNSに入って自分の写真を見つけたのかが気になった。そこに並ぶ写真は、いずれも当事者が投稿している危険なものばかりで、中には個人情報をあえて晒して同好の仲間を募っている人たちもいて、後日、そうした人たちが実行した行為の写真や動画が上がる。大半は目の部分や顔の部分をぼかしているのだが、真津美のようになにも隠していない場合もある。
直人の告げ口かと考えたが、彼もそのSNSを知っているとは思えない。柏田から教えられたSNSだ。だが、柏田と部長の接点がわからない。ほかにも若鮎の会のメンバーを考えてみても、それらしい人物は見当たらない。
唯一、動機があるとすれば、真津美を止めようとした直人なのだろうが、果たして彼はそんなことをするだろうか。
もしも真津美が会社からいなくなれば、直人は安心して出勤できる。そんなことを目的に? 画像の由来が簡単にわかるのと同様、匿名であっても告発者の身元も割れる。直人自身、そのSNSに入っていなければこの写真には辿り着けないのだから、なぜそんなところを眺めていたのかと疑われることになるだろう。
あのお坊ちゃんが、そんな面倒なことをするとは思えないのだ。
だとすれば……。
「かわいいわね、あなた」
好江の口から意外な言葉が飛び出し、真津美は思わず首を傾げた。
「そう、その表情よ。この写真のままね」
陰部をさらけ出しているときの真津美。中身の空っぽな肉体。表情なんて関係ない、と彼女は思っていたのだが。
「これまでぜんぜん気がつかなかったわ。一緒に仕事をしてきたけど、仕事しか見てなかったからしょうがないわね。人間としてのあなたに、はじめて気付いた」
好江には女性らしさがあまりない。痩せていて骨張っている。年齢に似合わず老けているのはその手だ。ゴツゴツとした指は枯れ枝のようだ。首筋も艶めかしさというよりはギスギスした印象で、講演などで目立つ服装をしたり、レセプションでドレスを着ても、むしろ彼女の肉体の魅力のなさが強調されてしまう。長身はモデルの条件であり、その点だけは群を抜いているのだが……。
元夫は、若い娘と再婚して その女に毎年のようにポコポコと子どもを産ませている。政治家なのだから家族が大事なのはわかるとはいえ、その豹変ぶりには呆れるしかなかった。
対抗意識、憎しみのようなものが好江の中には渦巻いている。
真津美は突然、そうしたことを察知した。彼女もまた、好江を部長としてしか見ていなかった。そこにいるのは、意地悪で、かわいさに代表される男の求めるステレオタイプな女性像への憎しみがある。好江と正反対のセクシーで小柄で男好きのする女への憎しみだ。
なぜ大手通信会社や数々の輝かしい経歴がありながら、いまここで部長をしているのか、以前にも増して強い疑問が浮かぶ。この会社の創業者は、彼女がかつて在籍していた大手企業で一緒に大仕事をした人物だった。理由はそれだけではないのかもしれない。
好江には、なにかある。
部長に嫌われたらここを去るしかない。とんでもない遊びにどっぷりと肉体を浸していながらも、真津美は仕事は気に入っていたのだ。これを失うと、いよいよ自分には暗黒の川底しか残されていないのではないか。
「ねえ」
好江が一歩、近づいてきた。節くれ立った指を真津美に伸ばし、髪に触れた。真津美がじっとしていると指は髪の中へ入り、うなじを辿って、タートルネックの中へ滑り込み、びっくりして手を引っ込めた。
「包帯? 首、どうしたの?」
真津美は「ちょっとケガをして」と言う。
「その手首は?」
リストバンドでは誤魔化せないほど傷は深く大きくなったため、両手首にも包帯を巻いていた。
「辞表を書きます」
真津美はそう答えていた。
好江はさらに一歩踏み込んで、真津美の頬に手をあてた。
「違うの。あなたを辞めさせたいわけじゃない。あなたは仕事ができるし、もっとできるに違いないわ。辞めろって言っているわけじゃないの」
好江はスーツを真津美に密着させてきた。冷たい金属が、温かい肉体に重なったような気持ち。どんなことをしても、冷え切った好江を温めることはできそうにない。
(協力:エピキュリアン 三方向の鼻責め)

★『安里咲1』★

DMM.R18版はこちらへ
DLSite版はこちらへ
Kindle版はこちらへ
亜由美の拷問実験を目撃させられた美しき女子大生・安里咲。後継者として目をつけられ、女子寮のペットに。寮長たちによる過酷な調教が彼女を被虐の快楽に引きずり込みます。
★『安里咲2』★

DMM.R18版はこちらへ
DLSite版はこちらへ
Kindle版はこちらへ
完結編。休む間もなく徹底した調教の果てに辿りついたものとは……。恥辱にまみれた公開調教から東欧の古城で繰り広げられる拷問ショーへ。

今日のSMシーン